1992/02/13 読売新聞朝刊
読売憲法問題調査会第2回 安全保障は国連軸に貢献 小沢一郎氏の見解聞く
自民党の小沢一郎・元幹事長(「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」会長)の冒頭発言と主な質疑の内容は次のとおり。
おざわ いちろう 衆院岩手2区選出。当選8回。衆院議運委員長、自治相、自民党幹事長など歴任。竹下派会長代行。慶大卒。49歳。
◆平和へ応分の負担 破壊者へは共同で対処
湾岸戦争ぼっ発以来、いろいろ勇ましい発言をするということでご批判を受けております。あたかも国際社会での責任、役割というと、私の議論は自衛隊を(海外へ)出すことだけというような形で批判を受けますが、それはまったく「ため」にするおかしな議論です。
一昨年以来のいろいろな議論の中から人的貢献に対する消極論を拾うと、「憲法はそういう(平和維持、秩序回復のための)役割を予想していない、あるいは禁じている」という解釈があります。この解釈に加えて、国連にわが国が加盟した時に、「そういう面は日本は協力できませんよと文書(岡崎勝男外相=当時=の国連事務総長あて書簡)で言っているから、できない」というような意見がかなりありました。
次には、解釈論として「やはり憲法はこれを許していない、憲法解釈として無理だから憲法改正を打ち出すべきだ」という議論です。
これに対しては、「いつ憲法改正ができるかわからないのに、何十年もそんなことを言っていられるか」という政治論的な反対論もありました。
また、同じ解釈論にしても、ややもすれば我々政府・与党の政治家が錯覚に陥ることがあります。「ずっと国会で答弁してきたからその域を出られないのだ」と言う人がかなりおります。しかし、たまたま自民党がずっと政権をとってきたからそんなことがいえるわけで、仮に社会党が政権を取って自衛隊は違憲だと言ったらどうするのか。それはその時の政権の憲法判断ではないでしょうか。
積極論についても、ニュアンスは若干違います。今までの(憲法)解釈論の中で(人的貢献は)やっていけるのではないかというのもかなりの人々の意見です。
同じ積極論をとりながら、政治的な困難は分かるけれども、憲法改正をより明確に正面から掲げていくべきではないかという意見の人。時の内閣、日本の置かれている立場、国際情勢で、憲法の判断は変化してもいいという解釈の人。最後の意見が小沢調査会を中心に多いわけです。
まさに世界各国が加盟している今日の国連を中心とした平和維持機構に、日本がむしろ他国以上に積極的に役割を果たしていくというのが、憲法の目指すところであり、理念でなければならないということに尽きると思います。
従って憲法九条の問題は、わが国が国際社会で国連を中心とした役割を果たしていくうえで、何の妨げにもならないし、(国連を中心とした平和維持機構への参加は)憲法の趣旨に合っているという考え方です。
小沢調査会としては、基本的に憲法の目指す国際平和、平和国家、平和主義の目標と理念に基づいて、日本が国際社会で相応の役割を果たすべきだとすれば、国際社会の平和と秩序を維持するということが究極的目標となるわけです。平和を維持するために、民生向上、技術協力などいろんなことをするのは当然だが、それを「威力」をもって破壊しようとする者に対してお互いが「威力」をもって破壊者を抑える行為は、何ら(民生面での協力などと)区別すべきものではありません。
PKO(国連平和維持活動)という狭い範囲だけでなく、国連が世界平和のために機能していくこと自体を平和維持活動ととらえれば、秩序維持のために国連によって部隊が編成されれば、日本もそれに参加する。すなわち、国連軍ができれば、国連軍に参加することは何ら(憲法と)矛盾しません。
今まで(国連憲章に基づく)明快な国連軍は組織されたことがないわけで、朝鮮動乱の際の国連軍も今度の湾岸戦争の多国籍軍もそういった(厳密な)意味での国連軍ではないが、理論的にはきちんと解釈できるという意見もかなり多数なんですが、そこの問題をどう扱うかということ。また、アジア地域の安全保障をどう考えていくかも大きな議題になりました。
いわゆる集団的自衛権と集団的安全保障の議論は今後の検討課題ということでまとまりつつあるようです。
そして、日米安保条約の片務性の問題。これも集団的自衛権の問題に絡みますので、いろいろ議論は出ましたが、今後の検討課題としました。
集団的安全保障は、国際的にも、今や国内的にも大勢の理解と支持を得ています。しかし、集団的安全保障と集団的自衛権は言葉が似ていて具合が悪い。概念は画然と分けられるのですから、集団的安全保障とは言わずに、国際的安全保障という言葉を使うことにしています。
[質疑応答]
◆「PKO、総長指揮下で」西広氏 「冷戦後の改革案示せ」佐藤氏
斎藤鎮男氏(元国連大使):朝鮮動乱の時の国連軍、PKO、多国籍軍がなぜ出来たかというと本来の国連軍がないからという暫定的な考え方からであって、それでいいということにはなりません。今後も国連軍を作れという議論は出てくると思います。
小沢氏:国連を中心とし、日本が平和維持のために積極的に働いていくという意味で考えれば、国連軍と切り離すことのできない秩序維持の問題を除外していくわけにはいきません。時の政府が政策判断として、参加する部隊を送ることを決めるかどうかは別として、論理的には(国連軍参加は)当然ではないか、と考えたわけです。
個人的意見ですが、国際的安全保障、集団的安全保障で平和を維持する以外に、一国だけで武装独立ができるのはアメリカ以外にない。遠い将来、国連が常備軍、警察軍を抱えて(平和維持活動を)やっていくのは理想かもしれません。
しかし、(アメリカ以外の各国は)平和を維持するために他国との協力が必要なのだから、各国のもつ警察力、軍事力は単に自国防衛に専念するだけでなく、国際社会の平和維持に共同して対処する性格を持っていくのではないかと思います。
防衛大綱の見直しなどの時にはそういう考え方を入れるべきです。今はそれこそ日本の防衛という一点だけで書かれていますから。
西広整輝氏(防衛庁顧問):国連の一員として国際平和の一翼を担うためには義務を放棄できません。必要なのは国連の意思に従って行動することですから、PKO参加の場合に国連事務総長の指揮下に入るのは重要なことでしょう。政府の説明だと、(日本は)国連事務総長の指揮に従わない、勝手に離脱できるとして、肝心な部分を否定していると思いますが。
小沢氏:基本的にお話のとおりです。日本のよって立つところはすべて国連の、全世界のみんなの共同作業、共同意思であり、その枠内で行動し、それ以外に行動しないことにあります。ただ、調査会の結論は、今のような問題があることは分かっていながらも、(PKO法案の)審議や成立の妨げにならないような形になると思います。
島脩氏(読売新聞論説委員長):政界再編の可能性が指摘されているが、国際貢献と日本の政治全体との絡みをどう考えますか。憲法と国際的役割、それに基づく政策判断という骨太のものを政界再編の柱とすべきだと思いますが。
小沢氏:どうしようもない今日の政治状況(の責任)は、自民党もそうですが、野党第一党社会党にもあります。
今、社会党の中でも、国連を中心としたものについて真剣に考えようという議論が出てきており、いいことだと思います。社会党が今のままなら、どことどう(連立して)再編しようが、どうしようもない。ここは、(社会党に)もう少しまじめな改革論議をしてもらったらいい。
佐藤欣子氏(弁護士):冷戦構造が消滅した現在、日本が自分の安全と平和をどうやって守っていくのか。この疑問に首相が真剣な所信を表明出来ないようでは、リーダーとしての資格がないと思います。今や日本は明治維新に匹敵するような改革を求められているというのに、自民党としては、何をどういう手段でやっていくのか、国民に訴えかけていませんね。
小沢氏:今の時代は、第二の開国、黒船というか、(第二の)明治維新というか、それぐらいにとらえなければいけないと思います。湾岸戦争の時も、日本人は遠くの火事のようにながめていたわけですが、なかなか現実問題として、自民党、野党どちらにとっても、難しいことを考えないで済んできたので、その状態がこれからも続くのを念じているのが大勢になりがちです。(笑)
向こう十年、中東、ロシア、中国、朝鮮半島、どこを見ても秩序の不安定化の問題が出てくると思いますが、なかなか前倒しで長期的観点に立って改革を進めていこうというエネルギーは出てきません。私は、革命とは言いませんが、少なくとも大改革を今やっていくべきだと考えますけれども、大勢にはなりません。少数派です。(笑)
西修氏(駒沢大教授):自民党内には、小沢調査会のほかに憲法調査会もあり、ここでは、「政府解釈の積み重ねもあるので党としても解釈をなかなか変えられない」という声もあります。また、集団的自衛権をどのように調査会では処理していこうとしているのでしょうか。
小沢氏:政府も与党も永久連続政権にぼけているのだと思います。(憲法判断について)内閣が変われば違った判断が出たとしても当然のことで、政治として、内閣としてきちっと判断していけば、行政はそれをフォローしていけばいいのであって、役人の責任にすることはないと思います。
役人の中で、自分の信念から(その憲法判断では)仕えられないという人は辞めればいい。政治と、政治決定に従って実施する行政との違いは、政治家も役人もきちっと認識してやっていかないといけない時代だと思います。
集団的自衛権の問題は、日本人がこれまでタブーとしてきたもので、初めて正面にすえて議論しようとしているわけです。ただ、憲法九条の論議とこんがらかるとよくないということで、今回は詳細に入らず検討課題にしました。今度の(国際的安全保障という)ことが国民的理解を得られれば、引き続き議論をしていきたいと思います。
北岡伸一氏(立教大教授):国際的安全保障という枠組みを小沢調査会が提示した時に、私は、国連が関与しているものに対し非常に広い国際的正当性を付与したのだなと思って聞いたのですが、それでいいのですか。また、日米安保条約との関係は。
小沢氏:国連に世界の三分の一の国しか加入していないというようなことにでもなれば、集団的自衛権と集団的安全保障の関係うんぬんの議論になりますが、今や国連には全世界がほとんど加入しているのですから、国連に基軸を置いて論議を構築していっていいと思っています。日米問題については、実体関係ですね。安全保障だけでなくあらゆるものの根底、本質を成すのは日米同盟であろうと思いますから、そこの議論は皆一致しています。
◆国連加盟時の文書◆
国連加盟申請時に、当時の岡崎勝男外相は、「日本国政府は国際連合の加盟国としての義務を、その有するすべての手段をもって履行する」とする書簡(昭和二十七年六月十六日付)を国連事務総長あてに送った。
この中の「有するすべての手段をもって」の文言について、野党側は、わが国が憲法九条で「武力」を持たないとしている以上、兵力提供の義務まで負うことはできない旨「留保」したと解釈し、自衛隊は国連軍に参加できないと主張。
一方、政府は、国連憲章には兵力提供義務は一切書かれていないことなどから、「留保条件が付されていたとは考えない」との見解を示している。
◆国際的安全保障◆
集団的安全保障と同じ意味だが、集団的自衛権と混同されがちなために言い換えたもの。平和への侵害があった場合に国連加盟国が共同で対処する国際警察的な考え方が基本。
集団的自衛権は「同盟関係にある国の個別判断に基づく侵略に対処する権利」で、わが国の憲法がこの集団的自衛権の行使を禁じていると解釈されている。しかし、国際的安全保障について政府は「憲法上の解釈が必ずしも明確でない」(外務省)として、合憲・違憲の判断を示していない。学説も見解は分かれている。
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