ようやく国会に憲法論議の場が登場する。今月二十日召集の通常国会で、衆参両院に憲法調査会が設置される。現憲法公布後、すでに半世紀以上を経ており、論議そのものすらタブー視されていた時代を思い起こすと隔世の感がある。遅きに失したとはいえ、調査会を舞台に、新世紀を目前とした国のありようを見据え、真っ向から論議を進めるべきである。
これまで昭和三十年代に憲法調査会が内閣に設置された前例はあるが、国会にこうした調査会ができるのは初めてである。自民党などには委員会としたい声が強かったが、野党の抵抗によって法案審議を行わない調査会に“格下げ”することで決着した。したがって憲法改正案を審議するといったことはできないが、それでも、通常の委員会のように質疑のほか参考人の意見聴取などは可能だ。
調査会は衆院五十人、参院四十五人で構成され、予算委員会なみの規模となる。調査会長には、衆院は超党派の憲法調査推進議員連盟会長の中山太郎氏、参院は村上正邦議員会長と、いずれも自民党のベテラン議員が就任する予定だ。調査会設置に反対していた社民党や共産党も参加する。憲法をあらゆる角度から俎上に載せ、多角的に検討作業を進めてほしい。
われわれがこの時期の調査会設置に期待するのは、「西暦二〇〇〇年」という意味合いが論議を推進させるのではないかと思われる点だ。今世紀中に起きたことは今世紀中にせめて解決の糸口ぐらいはつけよう−という意識が高まっていけば、調査会の活動の加速要因となるはずだ。
昨年の民主党代表選挙では、改憲論を掲げた鳩山由紀夫氏が代表に選ばれた。この事実は、改憲−護憲で対立していた過去とは決別し、自民党から民主党まで憲法をめぐる認識ではほとんど同じ土俵に乗ったことを意味する。このことは、今後の政界再編の動向にも少なからぬ影響を与えよう。
“平和憲法”なるものに安住してきた国民性が、観念的安保観や希薄な危機管理意識を導いてはこなかったか。権利重視・義務軽視のアンバランスが、「公と私」の感覚をあいまいなものにしてはこなかっただろうか。調査会の論議では、そうした戦後憲法体制の欠陥の徹底検証を望みたい。憲法の見直しは、望ましい国家像の模索に直結するのである。
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