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1997/02/20 産経新聞朝刊
【教科書が教えない歴史】(231)日本国憲法(15)
 
 「日本国憲法第九条では、外国との間に争いが起こっても決して戦争をしないこと、そのために、戦力をもたないことを定めています」(小学校社会科教科書より)
 小学校の教科書のほとんどは、憲法第九条をこう説明しています。これを読んだみなさんは、自衛隊という戦力は憲法に違反していると理解したかもしれません。
 けれども、政府も国民の多くも自衛のための戦争まで放棄したとは考えていません。他国の侵略に備えて、自衛のための軍事力を持つのは当たり前のことだと、憲法第九条を解釈してきたのです。
 かつては、「非武装(ひぶそう)主義」を掲げてこの教科書のように説明する人もいました。しかし、一九九四年に日本社会党が「自衛隊は合憲」と政策を大転換したことによって、現在ではこうした非現実的な主張をする人はごく少数になってしまいました。そして、これまでにさまざまな解釈を許してきた憲法の条文をもっと素直に理解できるように改めるべきだという考えが、国民の間に広がってきています。
 こうした議論のきっかけになったのが、一九九〇年(平成二年)イラクのクウェート侵略に始まった湾岸戦争でした。この戦争が日本国民に与えた教訓は二つありました。
 ひとつにはなぜクウェートがあれほどやすやすとイラクの侵略を許してしまったのかという問題でした。クウェートは国民一人当たりの所得が世界一というほどの国でありながら、満足な軍備もなく、いざというときの備えに欠けた「平和的な」国だったのです。これは無防備な国は戦争を誘い、かえって世界の平和を乱す原因になるのだという生きた教訓になりました。
 二つ目は、中東に平和を回復するための戦争に、日本はどんな協力ができるのかという問題でした。
 アメリカをはじめ三十カ国が軍隊を派遣し、国連の支持のもとにイラク軍と戦いました。侵略戦争は断じて許さないという国際社会のルールを示したのです。当然のことながら、日本も協力を求められました。政府はなんとかしてこれに対応しようとしましたが、ついに自衛隊も民間人も派遣することはできませんでした。
 議論の中心が憲法第九条だったことはいうまでもありません。当時はまだ、どのような理由であれ、自衛隊を海外に派遣することは憲法上許されないという意見が強かったのです。
 そこで日本は、総額百三十億ドルもの資金を負担することにしました。国民の多くは、これで世界平和に対する責任を果たせたと考えました。けれども、世界の国々は認めませんでした。日本は、正義も責任もお金で片づけ、危険な仕事は他国に押し付けようとする自分勝手な国だと思われたのです。
 平和回復のために汗と血を流した国々から見れば、憲法第九条は、危険な仕事から逃げるための言い訳に過ぎなかったのです。
 日本人の多くは、日本だけは戦争にかかわらないことが平和主義だと考えてきました。けれども、湾岸戦争の教訓は、そうした一国平和主義のまやかしを、目に見える形で示したのです。こうして、世界平和を維持するために、日本も積極的に貢献していかなければならない、それが真の平和主義ではないかという考え方が国民の常識になっていきました。
 このような議論の結果、一九九一年九月、国会でPKO協力法が成立し、ようやく日本の自衛隊も、国連の平和維持活動に参加できるようになりました。しかし、憲法第九条によって、その活動には大きな制約が課せられています。今なお、国民の課題として残されているのです。
 (埼玉県大宮市春野小教諭 斎藤武夫=自由主義史観研究会会員)


 
 
 
 
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