1997/02/14 産経新聞朝刊
【教科書が教えない歴史】(226)日本国憲法(10)
日本国憲法は、天皇は「日本国の象徴」であり、「国民統合の象徴」であると定めています。これに対し明治憲法は「国の元首」と明記していました。このため、新憲法により天皇は「元首」から「象徴」に変わったとか、新憲法における天皇の地位は「たんなる象徴にすぎない」などといったことが言われます。
しかし、こと天皇の地位に関するかぎり、日本国憲法と明治憲法との間にはそれほど大きな違いはないのです。
「象徴」とは、抽象的なもの、複雑なものを、具体的な物や人で表現することをいいます。例えば、国旗をみると、その国のことが思い浮かぶように、国旗も国のシンボルです。しかし、国旗は何百年、何千年の文化的、歴史的伝統を背負い、生成発展する生きた国家を表現するのには不十分です。生きた国家の象徴として天皇ほどふさわしいものはありません。
しかも、国民統合の象徴ということは、天皇が国民の求心力であり日本人の精神文化の源泉であるということです。君主国で君主が国家の象徴でない国はありません。
かつての西洋に、国家元首は実質的な行政の首長でなければならないという考え方があったことは事実です。その意味で象徴天皇は元首ではないということになります。しかし、その考え方は立憲主義の発展とともに消滅しました。
例えば、イギリスの国王は「君臨(くんりん)すれども統治せず」といわれるように、実質的な権限は制限され、名目的、形式的なものに限定されています。それでも、イギリス国王が元首でない、という人はいません。
天皇の条項が憲法の第一章第一条にあることは、天皇に関する規定が国家の根幹にかかわる最も重要なものであることを意味し、天皇が元首であることの有力な証拠です。また、栄典(えいてん)の授与、国会の召集、解散などを天皇の国事行為としていることからも、天皇が国家の栄光の源泉であり、元首であることに疑いがありません。
このように、天皇は象徴かつ元首なのであって、二つの憲法はそれほど違わないのです。ただ、象徴というのは人間の心の持ち方に関わることばですから、法律の言葉としては元首という方が明確で優れています。
大正期以来、天皇が主権者であるかどうかをめぐる論争がありました。明治憲法を解釈して、天皇は主権者であるといったのは東大教授の上杉慎吉でした。これに対して主権は国家にあり、天皇は国家の機関にすぎないといったのは同じ東大の美濃部達吉です。戦後、天皇機関説の立場に与(くみ)したはずの宮沢俊義ら美濃部の弟子たちは明治憲法下では天皇は主権者であった、と、前と正反対のことを言い出したのです。
機関説論争の当時、天皇は主権者か、あるいは主権者がだれかという発想自体、権力主義的な発想であって、我が国の憲法とは無縁であるといった筧(かけい)克彦のような学者もいました。そもそも、ヨーロッパにおいても、主権は絶対であるという理論は、主権の制限という立憲主義の理論の発達によって時代遅れになりつつあったのです。
自由な国民の民主主義は権力の制限という考え方に基づく民主主義であり、君主制と決して対立するものではありません。
フランス革命が起きた直後、イギリスの思想家バークは、王を処刑し、伝統的なものをすべて破壊し尽くした後には自由の圧殺と隷従(れいじゅう)が待っていると書きましたが、間もなく恐怖政治が現れ、この予言は的中しました。権威と権力を分離する立憲君主制は、独裁や専制政治の出現を抑止するはたらきなどをもっているのです。(平成国際大教授 慶野義雄=自由主義史観研究会会員)
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