1997/02/13 産経新聞朝刊
【教科書が教えない歴史】(225)日本国憲法(9)
一九四五年(昭和二十年)十二月、連合国軍総司令部(GHQ)から出された「神道(しんとう)指令」を知っていますか。これは国家と日本古来の宗教である神道の厳格な分離を定め、神道および神社に対する公的な財政援助を禁止するものでした。「神道指令」は、昭和二十七年、日本が独立を回復した時点で効力を失いました。しかし、日本国憲法を解釈する上で、今日もなお一部の人々に大きな影響を及ぼしています。
GHQのマッカーサー元帥=写真=は「神道指令」について「きわめて重大」な問題であると語ったといいます。なぜこの指令を占領政策の最も重要なものの一つであると考えたのでしょうか。
日本と戦ったアメリカは、日本軍の勇敢さを目の当たりにして大変驚きました。日本人をここまで勇敢に戦わせた理由はどこにあるのか。アメリカはそれを「国家神道」にあると判断したのです。「神道指令」の草案起草者であるバンス宗教課長は「国家神道」を軍国主義的、超国家主義的思想そのものと考えていました。
この考え方は正しいどころか、GHQの誤解の産物でした。そもそも、「国家神道」の呼び名は日本ではほとんど用いられていませんでした。敗戦後「State Shinto」が翻訳されてから一般化したに過ぎません。
GHQは「国家神道」を、ヒトラーのドイツを支配したナチズムと同一視しようとしていました。実際はどうだったのでしょうか。例えば、神社に対して支出された国費は、大東亜戦争(太平洋戦争)が始まると減額されてしまいました。「神道指令」の中で、思想面から「国家神道」を支えたとして禁書とされた『国体の本義』にしても、政府は大量に頒布(はんぷ)し大々的に宣伝しましたが、国民はほとんど関心を示しませんでした。
「国家神道」が信教の自由を圧迫したといわれますが、あるキリスト教信者は昭和の初め、神社の「多数は廃止すべき」と神道を痛烈に批判していました(小崎弘道『国家と宗教』)。つまり「国家神道」批判の自由は当時でも認められていたわけです。確かに、一九三一年(昭和六年)の満州事変以降、思想統制や宗教弾圧が顕著になったことは事実ですが、それは治安維持を目的とした法律に基づくもので、「国家神道」によるものではありません。
では、これが憲法解釈に及ぼした影響とはどんなものでしょう。例えば、第二〇条三項には「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」との規定があります。もし、この規定を「神道指令」に則って国家と神道の厳格な分離を定めたものと解釈すると、神道とのかかわりは厳しく禁止されることになります。毎年八月十五日になると、数多くの戦没者を祀(まつ)る靖国神社に内閣総理大臣が公式参拝することは、憲法違反ではないかとして論議されています。
しかし、典型的な政教分離の国とされるアメリカでさえ、新大統領の就任式では、聖書に手を置いて宣誓がなされますし、式に参列している牧師が祈りを行うのです。もちろん、この式典が憲法違反だと批判されることはありません。それは、アメリカ国民の大多数がキリスト教の信仰を持っているからです。
神道は仏教とともに、わが国の伝統に根ざした宗教です。にもかかわらず、いつまでも「神道指令」に呪縛(じゅばく)され、神道のみをことさらに国家から分離することは、国民生活を混乱におとしいれることにならないでしょうか。
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