1994/11/04 産経新聞朝刊
日本国憲法とは何か 論説委員・久保紘之 改憲論者にも希薄な視点
本当の「国家的危機」とは何か? という問いに、「最悪は危機が身近に迫っているのにだれも気付かないこと、第二はみんなそれとなく気付いているのに対応策がとれないこと」と答えた政治家がいる。四年前の「湾岸戦争」そして現在の「北朝鮮の核・ミサイル疑惑」は、その意味で日本国民と日本国家が戦後見舞われた最大の国家的危機、戦後日本のありさまが根源的に問い直される、いわば日本列島の頭上に馬のシッポの毛一本でつるされた“ダモクレスの剣”に等しい。
しかし、二つの危機にはさまれた五年間に実に五つの内閣ができては消えたが、この国家的危機に対する有効な対応策(有事法体系などの危機管理政策)を明確に提示できた首相はひとりもいない。それどころかこの二つの事件がダモクレスの剣に等しい危うさを持っていること、さらに現在の硬直化し、あらゆる意味で手詰まり状態に陥った政治システムでは、政治リーダーが有効な対応策を打ち出したくとも打ち出せない、その実情を国民に率直に告げようとさえしなかったのである。
現在の村山富市首相(社会党委員長)・河野洋平外相(自民党総裁)・武村正義蔵相(新党さきがけ代表)トリオによる“ハト派”連立政権も、もちろん例外ではない。日米包括経済協議、税制改革をめぐる消費税論議、そして北朝鮮への対応策、すべてが“言葉のごまかし”のうえに成り立っている。その最たるものが現行憲法のいわゆる解釈改憲的運用(実用主義的憲法解釈)であることはいうまでもない。
「日米安保条約の堅持」「自衛隊合憲」「日の丸・君が代容認」といった社会党の基本政策の大転換に象徴される村山首相の政治手法について、「ここまで無原則に譲るなら、何も無理をして明文改憲しなくとも解釈改憲で十分、事態に対応できる」という見方がいま、自民党内に出てきている。しかし、米朝協議であいまいなままに放置された北朝鮮の核開発・ミサイル開発疑惑について、今後、現実に海上封鎖をしなければならない事態に至ったとき、現行憲法のもとで有事法体系の整備、あるいは米軍などとの集団安全保障をめぐる憲法解釈の変更が果たして可能だろうか。
有事立法について、かつて故佐藤栄作元首相は「危機に直面すれば超党派で一日でできる。日本はそういう国柄だ。何も心配することはない」とうそぶいたことがあった。しかし、もしそんな対症療法的な、憲法のなし崩し的拡大解釈がどこまでも可能だとすれば、周辺国ばかりでなく国際社会にとって日本ほど薄気味悪い国家はあるまい。それは法治国家という国際政治に通用する合理的、理性的な「言葉」を持たない、野蛮な前近代的国家と同じだからである。湾岸戦争と北朝鮮の核疑惑という二つのダモクレスの剣は、五五年体制における自民党政治のお家芸であった現行憲法の解釈改憲的運用が完全に限界にきたことを告げる警鐘でもあった。
実は憲法制定から四十六年たった昨年、新聞はじめマスコミ各社の世論調査で初めて「憲法改正」を支持する人が反対派を上回ったという事実がある。改憲論議は昭和三十年代の鳩山一郎政権、五十年代後半の中曽根康弘政権時代にも一時、盛り上がったことがあったが、この両時期の憲法論議は「改憲」「護憲」の主張のいずれも政党や政治団体、論壇、違憲裁判をめぐる学者、活動家のレベルでの論争にもっぱら終始し、国民(大衆)意識に根差したものではなかった。その意味で平成四年から五年にかけて、異様な盛り上がりを見せた憲法論議は、前の二つの時期とは大きく異なり、頭デッカチではなく、大衆的基盤に根差した、ただの一過性とは異なる、底の深さを感じさせるものなのである。まず、この点に注目していただきたい。
つまりただの抽象論、観念論ではなく、具体的に湾岸戦争で百三十億ドルもの大金を出しながら、クウェート政府が米マスコミに出した感謝広告にさえ、日本の名前が出ない。欧米諸国からは軽侮のまなざしが注がれ、卑怯物呼ばわりされる。さらにカンボジアの国連平和維持活動(PKO)への自衛隊派遣、そして国連ボランティアの中田厚仁さんと文民警察官の高田晴行・岡山県警警部補(当時)の死亡という相次ぐ惨事。それらを通じて国民は戦後四十六年間の「一国平和主義」のぬるま湯から突如、冷酷無残な国際政治環境の中に投げ出された。それを日々の生活の中で実感したのである。
これに対して政治の側の対応は明らかに鈍く、事実、大幅に立ち遅れている。当時の宮沢喜一首相は「(少なくとも、私が首相の間は)憲法には指一本触れさせない」と公言していたし、宮沢首相と並ぶ自民党ハト派コンビの後藤田正晴自民党元副総理・法相は、湾岸危機ぼっ発以来「自衛隊の海外派遣は軍事大国へエスカレートする」という“アリの一穴”論を展開していた。その後藤田氏がいま、村山政権を支える河野洋平外相(自民党総裁)のもとで自民党の「自主憲法制定」の党是見直しに取り組む党基本問題調査会会長に就任している。
もちろん、中には中曽根康弘元首相のように「五五年の保守合同、社会党統一は安保条約に賛成か反対かがきっかけだったが、いま、政界再編成の軸となる基本問題は憲法の再検討、改憲問題だ」とし、国会または内閣に「臨時憲法調査会」の設置を提唱しているものもいる。しかし、残念ながら多数意見にはならない。
明治憲法を「神聖不可侵」「不磨の大典」視したプロシャ的な精神的伝統を戦後のマッカーサー憲法に引き継ぎ、「戦前」に対する「戦後的変革」に絶対的価値を与えてきた戦後民主主義派が意識改革しない限り、冷戦崩壊後の世界政治の大変革に日本が取り残されることは目に見えている。それを避けるためには、何よりもまず、政治リーダーが主体的能動的かつ自立的な行動者へと脱皮する以外ない。憲法改正論議はそのための試金石である。
最近の世論調査では、これまで改憲すべき理由の第一に挙げられていた「アメリカに押し付けられた憲法」という根拠が半減し、代わって「国際貢献など対応できない新たな問題が生じているから」が、過半数に達している。確かに、日本の現状は憲法制定当時の予想をはるかに超えているのだから、憲法見直し論議が第九条以外にも出てくるのは当然だろう。
しかし、この「事実」をもって、例えば細川護煕元首相のように「新しい改憲論」と「復古的改憲論」とを区別し、「押し付け憲法論」を復古的改憲論として退け、「国際貢献論」を新しい改憲論として肯定的に位置づけするのは明らかに、間違いである。日本の自立、主体性確立をいうなら、SCAP(連合国最高司令官)が「日本ガ再ビ米国ノ脅威トナルコトノナイヨウ」(初期対日方針)日本の新憲法起草に果たした押し付け憲法論の「歴史的事実」を避けて通ってはならない。もちろん、復古的あるいは戦前回帰的志向は論外だが、押し付け憲法論を素通りした新しものがり屋の「新しい改憲論」とは、「主体なき護憲論」から「主体なき改憲論」へ“横ずれ”していくだけのことである。改憲論の原点はあくまで日本の主体性の確立、つまりアメリカやアジアと仲よく付き合っていくための前提として日本の健全な国家意識を取り戻すことにある。現行憲法にうたわれている「国連中心主義」もそれを前提にしてはじめて真に現実的課題になる。
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