日本国憲法はGHQスタッフによってわずか一週間で原案が作成されたという。それが不磨の大典のごとく神聖視され、改憲論は悪魔の落とし子のような扱いを受ける風潮が戦後を支配してきた。
「平和憲法で平和が保てるのなら、台風の日本上陸禁止も憲法に書いてもらえば安心して寝られる」と最大限のアイロニーを込めて喝破したのは碩学・田中美知太郎だったが、戦後風潮の中では異端視されるだけであった。戦前、国策に協力した主要メディアを含む言論界がおそらくは己の罪悪意識を払拭するために平和・進歩主義者へ変身し、“平和憲法”を錦の御旗に仕立てあげたことが、冷戦への反発と日本人の反省好きに木霊(こだま)して、戦後思想の主潮を形成した。改憲論者は少数派にとどまらざるを得なかったのである。
この三日は日本国憲法が昭和二十一年に公布されて四十九年目の文化の日であった。しかし、この日は潮流の変わり目として後世に記憶されるようになるかもしれない。読売新聞が「憲法改正試案」を発表したのを読んでの率直な感想である。
ミニ新聞と異なり、大新聞が憲法問題のような国論を二分しかねないテーマで明確な姿勢を打ち出すには大変な勇気がいる。部数の維持を考えれば曖昧にしておくのが計算に合う。すでに一部護憲学者たちの読売新聞離れが生じているといわれる中での発表だけにその決断を評価したい。
内容についてはこんご精査していきたいが、憲法第九条を全面的に見直して自衛力容認を明記するとともに、国連など国際的機構への積極的協力と自衛組織の提供を条文に盛り込んだ点には合理性がある。なぜなら素直に読めば合憲とは思えない自衛隊の存在をこれまで違憲としてきた社会党までが容認し、その結果憲法の空洞化と憲法無視が生じたまま「護憲」だけが叫ばれているのは滑稽というより退嬰的現象としか言いようがないからだ。読売新聞の試みは日本の憲法感覚を健康なものにする挑戦ととらえたい。
もちろん産経新聞の立場と食い違う点も少なくない。わたしたちはもっと日本の文化的伝統を生かした憲法にしたいと思うし、衆院二院制のあり方にも抜本的改革を加えたい。しかし、一国平和主義では国際社会での生存や繁栄はあり得ない、とする読売新聞の基本的立場に同意するものである。この提言に対し、建設的な議論が起きることを期待してやまない。
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