1993/05/03 産経新聞朝刊
【主張】世界に向けて日本の理念を 憲法改正へ国民は歩み始めた
◆これが日本語だろうか
四十六回目の憲法記念日を迎え、ひとつの提案がある。
憲法前文と、八九条を読んで頂きたい。学校で習ったことのある人はその記憶を捨て、今日は素直な気持ちで目を通して頂きたいと思う。
《日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて》
まず憲法前文のこの部分、「人間相互の関係を支配する理想」とは何を意味しているのか理解できるだろうか。 《われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる》
この文章を読むとき、主語「われら」の述語を探すだけで頭がきしみ始めるのだが、それはともかく中程に「政治道徳の法則」とある。ここでいう政治道徳とは何であり、どんな法則なのだろうか。おそらく明快に答えられる人はいないと思う。
憲法八九条を、これもまた素直に読んでみよう。《公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない》
これを簡略にすると、公金は公の支配に属しない教育の事業に支出してはならない、と読める。
国や自治体による私学助成は、この条文によれば憲法違反である。政府は現実の必要に迫られ、私学助成を合憲と解釈しているにすぎない。わずかばかりの玉ぐし料を自治体が護国神社や靖国神社に出すと、八九条により憲法違反だとされるが、宗教団体が経営する学校へ莫大な公金を支出しても合憲とせざるを得ないのである。
◆解き放たれた国民意識
なぜこんなおかしな憲法の条文が生まれたのだろうか。それについては、もう触れる必要がないほどよく知られているが、日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)の民政局スタッフが、わずか一週間の拙速で作り上げた草案が元になっているからである。
しかし、日本の戦後史の不運を嘆くより、これまで半世紀近くも前文や各条項の見直しさえできなかった理由を考えてみる方が、今となっては有益だと思われる。
自由主義と社会主義が対峙していた冷戦時代、国内にも冷戦構造が持ち込まれ、防衛、安保、教育、その他すべての面でイデオロギー対立が続いてきた。東側から見れば憲法改正の動きは危険な軍国主義化であった。西側から見れば、非武装中立をめざす護憲派とは、日本を社会主義、共産主義に引き入れる革命勢力に外ならなかった。
この対立が、多くの戦中派世代の反戦的心情とあいまって、呪縛のように世論をしばりつけていたのである。
しかし、冷戦の終結と自由主義の勝利は、国民を呪縛から解き放った。今やっと国民は自由に、率直に日本国憲法を考えることができる時代を迎えたのである。
最近の世論調査は、そのことをはっきり示している。三月の日本世論調査会のデータでは、実に七二%の人が憲法改正に賛成している。論議はいいが改正の必要はないとする人は一七%、論議の必要もないという反対派はわずか四%にすぎない。このほか各種世論調査はほとんどすべて、憲法改正論が反対論を上回った。「論議を尽くして憲法を改正すべきだ」これが国民多数の意見になりつつあると言っていい。
こうした世論に護憲派の社会党でさえ、憲法見直しについて山花貞夫委員長が記者会見でこう言い切っている。「時代の変化の中で必要な改正は行われなければならない」
◆憲法臨調設置を求める
わたしたちは昨年の本紙「年頭の主張」で、憲法改正に向け憲法臨調(臨時憲法調査会)の設置を提言した。今、改めて議員立法に基づく臨調設置を求める。内閣または国会が有識者を集め、徹底討議して新しい日本の憲法、美しい日本語によるわたしたち自身の憲法をめざすのである。
現行憲法の平和主義、国民主権、人権尊重を恒久的に日本の理念とすべきであるのなら、それを憲法前文に明確に書く。憲法九条の一項を残すのが多数意見であれば、世界中に宣言するぐらい強くわが国の平和主義を打ち出すべきだ。
そのうえで第二項以下、自衛のための国防軍を有すること、しかし絶対に核武装はしないこと、海外派兵の厳格な制限、とくに朝鮮半島、中国、台湾にはいかなる名目でも派兵を禁じるなど厳しく規定するのである。こうしてこそ初めてアジア各国の信頼を得られるのではないか。
解釈改憲という用語がある。政府の解釈によって憲法を実質的に変えていくのは、国民に対する欺瞞であろう。本当に憲法の精神を守ろうとするなら、もはや護憲派であってはならない。ここに自民党から社会党まで創造的改憲の共通の基盤が生まれる。少なくともその可能性は芽生えている。
与野党による抜本的政治改革が成功すれば、必ず憲法改正への道が開けるだろう。すでに多数の国民が憲法見直しを支持していることを、内閣と国会は厳粛に受けとめるべきである。
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
|