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1993/07/31 産経新聞朝刊
【潮流】護憲派総裁の誕生 座標軸変えた自民党
 
 “野党・自民党”の新総裁に河野洋平氏が選出された。歴史は時に人間に皮肉な役回りを演じさせることがあるが、河野氏の自民党総裁就任を目の当たりにすると、その「歴史の皮肉」を感じずにはいられない。政界における河野氏の位置が完全に入れ替わってしまったからだ。
 自民党もまた河野氏を総裁に担ぐことで保守党としての座標軸を変化させようとしている。
 自民党は、梶山静六幹事長、佐藤孝行総務会長ら頑迷ともいえるオールド保守派が「党を分裂させないために」との名分で政治改革を先送りし、逆に党の分裂を誘発、結果的に政権党の座を滑り落ちた。そして、自民党は梶山氏らとは党内で対極にいた河野氏を新総裁の座に据えることで当面を糊塗(こと)しようとしている。
 河野氏は、昭和五十一年にロッキード事件に揺れる自民党を離党して新自由クラブを結成。「自民党の歴史的役割は終えた」として、当時の公明、民社党などとの連立を模索した時期があった。本来ならば位置的には、非自民の側に立つべき人だった。
 河野氏は宮沢喜一前総裁とともに、自民党内では少数派に属する護憲派でもある。改憲を党是とする自民党から改憲を志向した小沢一郎氏らは既に去り、非自民勢力の側で「憲法尊重」で足並みをそろえている。さらに、憲法改正の積極的な推進者であり、派閥の長である渡辺美智雄氏が総裁選挙に敗れた事実は、自民党が確実に体質的な変化を始めている、といえるだろう。
 だが一方で、古参の代議士の間には「河野総裁の下で党員であることには極めて強いこだわりを感じる」という声もある。
 さらに、元総務会長の西岡武夫氏は「今日の党の分裂、大敗北を招いた人物(宮沢喜一首相)と共同正犯的立場(官房長官)にあった人が何の反省もなしに総裁になるのは許し難い。本人が立候補するのは勝手だが、それを認めたのでは自民党はもはや自民党ではなくなる」と言い切る。
 同氏は、かつて河野氏とともに新自由クラブ旗揚げに参画、幹事長兼政策委員長として自民党との政策協調路線をとって、保・保連立構想を打ち出したために、河野氏の保守・中道路線と対立、自民党に戻った経緯がある。
 いわば、自民党は河野総裁の誕生によって新たな分裂への火ダネを大きくしたともいえる。
 一方、若手議員の中には「次の総選挙が目前に予想される時に、党の顔としては渡辺さんよりは河野さんだ。自民党も世代交代をやらなければ、細川(日本新党代表)、羽田(新生党党首)といった若い党首と勝負にならない」といい、河野総裁の選択は“人気優先”の判断であったことを隠さない者もいる。
 十七年前に、「打倒自民党」を叫んだ河野氏は今、野党自民党の総裁になり、かつての宿敵であった小沢氏らを名指しこそしないものの、「極めて国家主義的色彩の強い政治運営を企図する勢力」と批判する。この言葉だけ聞けば、社会党左派か共産党からの批判とさえ思える。とても保守党党首の言葉ではない。
 河野氏が政界における位置を大きく変えたことに象徴されるように、日本の保守は今、激動と流動の渦の中にある。国民は改めて保守の意味をかみしめ、新保守の論理を考え直さなければならない。河野自民党総裁に求められるのは“新保守”としての理念の提示である。そのことなしに自民党の再生は難しい。
(編集委員 河村譲)


 
 
 
 
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