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1950/05/03 産業経済新聞朝刊
【社説】日本憲法の現実性
 
 昭和二十二年五月三日現憲法が実施されてここに満三年の記念日を迎えた。この間、憲法が高く掲げている民主化と平和化の成果について内外に各種の批判が行われている。だがこの憲法の成り立ちからいえば、三年位の短い期間に、そう完全に全国民が憲法の精神を身につけ切ることを要求するのは無理だといいたい。
 現憲法は諸外国の場合と違つて突然として国民に与えられたものである。外国の例では、憲法は大てい、永い闘いによつてかち取られたものである。従つてこの場合は永い闘いの期間に全国民の精神を完全に支配していたものが憲法として成文化されるにすぎない。しかし、日本の場合はポツダム宣言受諾の趣旨にしたがつて日本の優れた頭脳が各方面の援助の下に造りあげたものである。したがつて、それが成立したときも、まだ全国民間の心にとけ込んでいたものではない。
 だから今日の状態を以て憲法の空転を論ずるのは尚早にすぎる。問題はむしろ、憲法の精神を身につけることへの国民の努力の如何即ち一歩一歩その努力が前進しているかどうか、ということである。その真摯な努力が混乱した世の中にあつて、絶えず輝ける光明として、国民の行く先きに導きの光となつているかどうかの点が重要なのである。この努力が真に行われているならば我々は堂々と胸を張つて歩けるのである。
 日本はポツダム宣言を受諾することによつて、今後の日本のあり方をポツダムの線にそうことを定めたものである。憲法もまたその線に従つて定められ、これを日本国民は日本のあり方の根本原理として決定したのである。即ち民主主義と非武装の日本である。非武装と平和主義は占領軍の主目的として第一段に遂行され、それは同時に憲法にも掲げられている。しかし憲法のいう戦争の放棄が、他国の軍事力による安全保障の問題をも拒否しているというのは行き過ぎであろう。憲法は日本国民が武備を保持せず、戦争を放棄することを規定している。他国の軍事力による安全保障がいいか悪いか他の視点から論ぜられるべきものであろう。
 また戦争放棄の修項からして自衛軍をも一切放棄したものとするのは抽象的、観念論的解釈といわざるを得ない。勿論武装を一切無くした日本として、仮りに侵略を受けた場合でも、何らこれに抗して戦うべき武装は持たないが、それでもなお自衛の権利そのものは国の生存が許されている以上当然そこに附随する権利である。人間が生存している以上、生命を守る権利があることは民主主義の根本でもある。
 憲法は国の方向を定めた極めて現実的な法である。決して空中に理想の絵図を画いたものではない。現実を遊離した空想論をたて、これがあたかも憲法から当然帰結されるように言うことは、決して憲法そのものの精神を真につかみとつているものではないといえるだろう。それは憲法を故意に曲解して、全体主義の再起を図ろうとする一派と同様の誤りをおかすものである。
 憲法は一つの方向を与える意味で国民の理想であるが、それは飽くまで到達すべき、また到達しうべき理想であつて、決して現実を遊離するものではない。常に国民が一歩一歩近づき得る現実なのである。従つて憲法の精神を現実から遊離した観念を以て解釈しても真の精神とはならぬことは当然である。
 マツカーサー元帥はその憲法記念日声明で「自由と特権を悪用して自由を破壊しようとする」者に強い警告を与えている。自由の権利は飽くまで民主主義社会を前進させるためのものであつて、決して自由を奪い全体主義を●らす自由を意味するものではない。故意か過失か、自由の意味を抽象的、観念的にのみ解しようとすることは決して現実社会を進歩せしめるものではない。
 まして憲法を破壊しようとする行為にまで、憲法の与える特権が及ばさるべきでないことは当然といわねばならない。憲法は現実社会の法であり、それを守るものである。

(日本財団注:●は新聞紙面のマイクロフィルムの判読が不可能な文字、あるいは文章)

 
 
 
 
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