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1997/03/24 読売新聞朝刊
[社説]憲法施行50年 ほんとうに「五十年」なのか
 
 「日本国憲法はいつ施行されたか」などという問いは、とりわけ今年は愚問に響くかもしれない。なにしろ、国会や民間団体などによるいろいろな憲法施行五十周年記念行事が予定されている。
 だが、憲法は、ほんとうに施行五十年になるのだろうか。
 確かに、五十年前の一九四七年五月三日には、皇居前広場で、「新憲法施行記念式典」が開催されている。昭和天皇が出席、約一万人が参加した。当時の読売新聞は、「風雨を衝(つ)き、宮城前広場の盛典」などと伝えている。
 
◆GHQ主権下のセレモニー
 それでは、新憲法「施行」とともに、日本は憲法の基本原理と規定されている通りの「国民主権」の国に生まれ変わったのだろうか。
 明らかに「ノー」である。五十年前の日本がおかれていた状況に照らせば、この憲法「施行」式典は、いわば“おとぎ話”としてのセレモニーだった。
 それを象徴的に示すのが、式典当日に初めて、国会、最高裁判所、首相官邸と皇居に限定して国旗・日の丸の掲揚が、連合国軍総司令部(GHQ)によって「許可」されたことだ。
 一般家庭での国旗掲揚が許されたのは、それより一年近く後、それも国民の祝日だけに限ってのことである。
 国旗を掲揚する自由さえないのが、「国民主権」の実態だった。要するに、「GHQ主権」下の憲法「施行」にすぎなかったのである。
 閣僚人事さえ、日本政府の思うにまかせなかった。「新憲法施行」のわずか二週間後に、第一次吉田内閣の石橋湛山蔵相ほか二閣僚が、GHQの指令により公職追放されている。
 石橋蔵相は戦前、軍部・軍国主義に敢然と反対の論陣を張ったことで知られる気骨の人物だった。そうした人物でも、GHQに迎合しなければ、公職から追われた。
 
◆擬制だった「国権の最高機関」
 日本国憲法で「国権の最高機関」と規定されている国会はどうだったのか。
 国会には、「時計を止める」という国会運営上の手法がある。法案審議が難航していて、真夜中の零時を過ぎて日付が変われば廃案になる、という場合に使われる。
 この手法を現憲法下で初めて使ったのがGHQである。
 四八年十一月三十日、国家公務員法改正案が審議未了・廃案になりそうなのを見たGHQ民政局のジャスティン・ウィリアムズ国会課長が国会に乗り込み、時計を止めて採決させた。法案の採決寸前に審議ストップをかけ、修正の上で可決させたといった例もある。
 国会も、GHQの監視・統制下にあり、GHQが許容する範囲内でしか審議・法制定の自由はなかったのである。
 「国権の最高機関」でさえこの有り様では、とても憲法が「施行」されていたなどといえないだろう。
 現行憲法が、実際に「施行」されたといえるのは、五二年四月二十八日にサンフランシスコ講和条約が発効して、日本が「主権」を回復してからである。日本管理体制としての連合国対日理事会も、極東委員会も、GHQも、この日まで存続した。
 つまり、今年は、憲法施行「五十周年」などではなく、実は、施行「四十五周年」なのではないか。
 
◆制定過程も直視すべきだ
 憲法をめぐるこうした歴史的現実を冷静に見直すことは、憲法制定過程を直視することにもつながる。
 いうまでもなく、現行憲法は、外国人によって書かれた。憲法前文がいかに格調高い日本語に仕上がっているとしても、GHQの一海軍中佐が執筆した英文を翻訳したものであることには変わりはない。
 日本の憲法は、なによりもそうした点で世界に類例のない憲法である。
 そのうえ、国会での審議も、GHQによる厳しい監督下にあった。一昨年やっと公開された衆議院・帝国憲法改正案小委員会(通称・芦田小委員会)の秘密議事録や、昨春公開された貴族院審議録を見るだけでも、そのことは明らかだ。
 原案はGHQでも、その後は日本の国会での自由な審議によって制定された、などといった主張は、明白な事実から目をそむけて“おとぎ話”の中に逃げ込もうとするに等しい議論である。
 だからといって、現行憲法のすべてを否定すべきだというのではない。この憲法の国民主権・議会制民主主義、基本的人権の尊重、平和主義といった基本原理は、戦後日本の発展の基盤となってきたし、今後とも堅持すべき人類普遍の原理である。
 だが、半世紀前の人たちがいかに知恵を絞ったにしても、その後の世界や日本の巨大な変貌(へんぼう)を見通せたはずがない。基本的人権ひとつとっても、環境権やプライバシーの権利、情報公開請求権など、新しい人権概念が登場している。
 当然、現在の日本が解決を迫られている課題には、半世紀前には想像もつかなかったような性質のものも多い。半世紀前に書かれた憲法を一字一句変えてはならないとする方が非常識というものだ。
 
◆未来へ向け戦後史の点検を
 ところが、目下、六つの改革という形に集約されている社会・経済システムの抜本的改革にしても、改革内容が憲法に触れそうだとなると、とたんに議論が停滞してしまう傾向がある。首相権限の強化問題などは典型例だ。
 憲法論議をタブー視していた時代の後遺症が、こういうところに表れているように見える。
 二年前の戦後五十年に際しては、国会決議問題に代表されるように、もっぱら「戦前史」が議論の対象になった。二十一世紀の日本を議論するために今必要なのは、むしろ戦後史の点検だろう。
 憲法「施行」五十年という節目が、“おとぎ話”に基づくものであることを見つめ直すところから、はじめて自由な憲法論議も始まるのではないか。


 
 
 
 
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