1997/03/30 読売新聞朝刊
[社説]憲法施行50年 言論管理下の“戦後民主主義”
「現在、死生の関頭に立っている日本においては、憲政の常道などということは問題にならない。何よりも先に、国民の生活の安定をはかり、国内の争いをやめて、国民が一致結束して講和条約を結ぶことであります」
一九四七年五月、憲政の神様と呼ばれた尾崎咢堂翁が、憲法「施行」に際して読売新聞に寄せた文章の一節である。
◆「憲政の神様」の寄稿も削除
憲法「施行」後五十年の歳月を経て、日本が世界第二の経済大国となっている現在の感覚からすれば、「死生の関頭に立っている日本」などといった尾崎翁の表現はオーバーに過ぎる、といった受け止め方があるかもしれない。
決して、オーバーではなかった。当時の国民の一般的生活形態だった“違法”なヤミ食糧に手を出さず、配給だけに依存した裁判官が、栄養失調で死んだと伝えられたのが、この年の十月である。
多くの国民にとって、まだまだ「食う」ことだけでも大変だった。尾崎翁が指摘したのは、「憲政の常道などということは問題にならない」世相の実態だった。
憲法が「施行」された当時に日本が置かれていた状況を理解するには、そうした時代の実相もきちんと点検しておく必要があるのではないか。
ただし、尾崎翁が寄稿した全文のうち、この一節は、紙面には掲載されなかった。連合国軍最高司令部(GHQ)の事前検閲によって削除されたからだ。しかも、早版だけの掲載で、途中から全面ボツ指令、その後、また復活許可などの経緯をたどり、結局、最終版には収録されていない。
なぜ、この一節が削除されたのかなどの理由については、いろいろな推測が可能だが、もとより、超越的権力としてのGHQからはなんの説明もなかった。
米軍将兵の暴行事件をはじめ、国会での質問や答弁の報道記事が、全面ボツか、削除されることも多かった。
国民は、こうした検閲が行われていることを、まったく知らなかった。GHQの検閲は、検閲が行われていること自体を国民に知られないような形で実施された。
◆講和条約発効まで続いた検閲
日本が降伏条件として受諾したポツダム宣言には、「言論、宗教および思想の自由……は確立せらるべし」とあったが、GHQは日本上陸後、すぐに言論統制を開始した。「ポツダム宣言違反」などと抗議する余地などおよそなかった。
GHQの検閲機構要員は、一時は、八千人にのぼり、新聞・出版、ラジオ放送の事前検閲はもちろん、手紙の開封から電話の盗聴まで行った。
憲法に関しては、とくに、原案がGHQによって作成されたことに言及するのは、厳禁だった。
当時の米軍文書には、検閲の対象として、GHQへの批判および極東国際軍事裁判への批判と並んで、「日本の新憲法起草にあたってGHQが果たした役割についての一切の言及、あるいは一切の批判」が挙げられている。
検閲は、形を変えながらも、五二年四月の講和条約発効まで続いた。それまで、言論の自由を保障している現行憲法二一条は、機能停止されていたのである。
憲法「施行」五十年を考える上で、重要なポイントの一つだろう。
ひところ、進歩的文化人といわれる人たちが、よく、戦後民主主義という言葉を使った。しかし、その戦後民主主義なるものは、そうした厳しい言論統制の檻(おり)の中で、管理されたものだった。
◆「親ソ反米」だった護憲運動
“戦後民主主義者”は、しばしば、中学生用の副読本として作成された「新しい憲法のはなし」、あるいは中高校生用の「民主主義」を読んだ時の感激を語る。
戦争中の重苦しい体験から解放された身としては、確かに、新しい世の到来を実感したのだろう。だが、今となっては、それらの読本や教科書も、実態はGHQ監修だったことに目を閉じてはなるまい。
言論の自由こそは、民主主義の基幹である。言論の自由なき民主主義は、本質的に民主主義の定義に反する。
“戦後民主主義者”の多くが、つい数年前まで、人民の「前衛」と自称する共産党の独裁をプロレタリア民主主義と言い換えた、ソ連全体主義を美化していたのは、歴史の皮肉というべきだろう。
この点は、東西冷戦下での「護憲」運動の主流が、実態的に親ソ反米運動だったこととも密接にかかわっている。戦後史を検証する場合、「護憲」運動の軌跡を点検することも忘れてはならない。
ともあれ、この四十五年間は、憲法に保障された基本的人権としての言論の自由は確保されている。
ところが、近年、その人権や民主主義の名において自由な言論を封じようとする動きが目立ち始めている。
評論家の上坂冬子さんが、九二年、新潟市での講演をキャンセルされたのは、そうした代表例の一つだ。上坂さんが憲法改正を語っているとして、「護憲」勢力が反対したためだ。
◆言論妨害は全体主義への道
自由な憲法論議を妨げるこうした動きこそ、憲法の基本理念に反する、民主主義の敵というべきだろう。
最近では、評論家の桜井良子さんが、いわゆる従軍慰安婦問題をめぐって、「人権」を名乗る団体に講演を妨害された事件があった。
歴史教育の見直しを提唱している藤岡信勝・東大教授も、しばしば似たような経験をしているという。
「人権」団体や「民主」団体を称しながら、基本的人権である言論の自由を押しつぶそうとするこうした動きは、言論には言論で対抗するという民主主義の基本ルールの破壊につながるものだ。
左右を問わず、特定の集団が言論管理をする資格があると思い上がるのは、全体主義に通じる道である。
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