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1996/03/29 読売新聞朝刊
[明日への条件―日本総点検]第2部憲法再考(9)平和と自衛隊(連載)
 
◆世界に通用せぬ解釈
 二十人が犠牲になった北海道古平町の豊浜トンネル崩落事故。懸命に救援を続ける陸上自衛隊第三施設団(恵庭市)の同僚の安全を祈りながら、S一曹(38)には、三年前の異国の夜の記憶がよみがえった。
 カンボジア、タケオ基地。明日は総選挙という一九九三年五月の夜。恵庭から国連平和維持活動(PKO)に派遣されたS一曹はベッドで手紙を書いた。
 「最悪の事態になってもだれも恨まないで下さい。妻子をよろしく頼みます……」。思いを託す相手は大阪の父親しかいなかった。
 翌日から四日間、一曹の小隊十二人は、選挙期間中の投票所をパトロールする。邦人の殺害事件などで緊張が高まり、部隊の任務は、日本人選挙監視員の安全確保になった。
 仲間も、黙って便せんに向かっている。投かんするつもりはない遺書だ。遠くで銃声がこだましていた。
 各国のPKO部隊と違い、自分を守るためでも、自衛隊は部隊としては武器を使えない。憲法九条が禁じた武力行使にあたるとの政府解釈があるからだ。指揮官の命令で動く組織なのに、武器使用は隊員の「個人の判断」に任されている。
 重苦しい朝を迎え、小銃で武装した小隊は要警戒区域とされた任務地に向かう。防弾チョッキを重ね着しても、恐怖で暑さを感じなかった。幸い、手紙が家族に届くような事態は起きなかったが、隊員たちは「運がよかっただけ」と言葉少なに語る。
 一昨年のこと。訪米中の天皇陛下がアーリントン国立墓地に献花された。各国の例では、元首を先導するのはその国の駐在武官だが、防衛庁の制服武官は随行者の最後だった。
 戦後五十年、目立たないようにと生きてきた自衛隊では制服をめぐる屈折したエピソードに事欠かない。
 だが、社会党(現社民党)が、「自衛隊合憲」「日米安保条約堅持」に転換し、自衛隊を取り巻く環境は大きく変わった。内部でも変化の兆しが出ている。
 防衛庁の広報誌「セキュリタリアン」二月号。巻末のグラビア記事は「制服を着て街に出よう」という見出しを掲げた。
 東京・六本木の同庁では今、見出しの文句が若手幹部の合言葉になりつつある。「最近は制服への妙な視線も感じない。原宿でも平気で歩ける」と、三等海佐(36)の表情は明るい。
 しかし、日本の安全保障政策となると、なお宿題が山積している。
 とくに国連憲章などが認める集団的自衛権については、政府は「国際法上、集団的自衛権を持つのは明らかだが、憲法九条の制約から行使できない」との奇妙な解釈を維持している。
 集団的自衛権は、自国と密接な関係の外国が武力攻撃を受けた場合、自国が直接攻撃されていなくても共同して攻撃を排除できるという権利だ。
 政府解釈に従うと、安保条約によって日本を守る米軍が、朝鮮半島有事などで攻撃を受けても自衛隊は米軍を支援できない。では、兵器修理や燃料補給などの協力もできないのか。国会がこんな論議をしているのも、個別的自衛権と自衛隊の存在を認めることだけを主眼にした冷戦下の九条解釈に限界があるからだ。
 「ゴムの原理」という言葉が防衛庁内にある。集団的自衛権の範囲があいまいな方が、裁量の幅が伸縮自在で有事の際に都合がいいという考え方だ。文民統制の原則を侵しかねない話だが、集団的自衛権の論議に決着をつけない限り、かえってこのような考えを正当化させる危険がある。
 元チリ大使の色摩力夫・常葉学園浜松大教授(67)は指摘する。
 「国際社会は、自衛隊にPKOなど軍隊としての貢献を求めている。しかし、警察予備隊として誕生した自衛隊にはまだ警察組織的な色彩が残る。PKOでの武器使用の制限もその一つ。これでは世界に通用しない。集団的自衛権も国際社会では当然の原理だ。自衛隊のあり方は国民自身で変えていくしかない」
 国の安全保障の大原則は憲法で明確にすべきだ。平和を守るには何が必要なのかを、現実を踏まえてまともに議論する時である。(社会部 岡島 毅) 
 
〈自衛の組織と国際協力〉
 読売憲法改正試案一〇条(戦争の否認、大量殺傷兵器の禁止)
 同一一条 日本国は、・・・自衛のための組織を持つことができる。
 同一三条 ・・・日本国は・・・国際的機構の活動に、積極的に協力する。必要な場合には、・・・自衛のための組織の一部を提供することができる。


 
 
 
 
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