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1996/03/28 読売新聞朝刊
[明日への条件―日本総点検]第2部憲法再考(8)訴訟社会の足音(連載)
 
 大阪市北区の司法試験受験予備校。昨年十月三十一日、法務省の発表を受けて同校でも司法試験の最終合格者が張り出された。大阪地裁書記官の山下忠雄さん(32)も“受験生”の一人。「六百十九番。あった、やっと受かった」。全身の力が一気に抜ける。初挑戦から十年目だった。
 山下さんは、学生時代の一九八六年に初めて受験。短答式試験はクリアしたが、次の論文試験で失敗。書記官をしながらの受験勉強が始まった。昼休みは図書室にこもり、予備校にも通う。だがいつも論文試験で挫折し、九四年には入り口の短答式で失敗した。
 「今度あかんかったらもうやめよう」。背水の陣で挑んだ昨年の試験だった。
 合格者の平均受験回数が六回を超え、資格試験の「最難関」とされる司法試験。その狭き門が法曹人口の拡大を阻み、「裁判の長期化」を招く一因とされる。
 山下さんも「裁判官と弁護士の絶対数不足が、裁判の長期化の原因。三、四か月の間に一度も法廷が開かれない裁判も多い。これでは、裁判を受ける権利が保障されているとは言えない」と語る。
 法務・司法当局は九一年以降、それまで毎年五百人だった司法試験の合格者を七百人に増やしたが、現在日本の弁護士は約一万五千人で、米国の二十五分の一とまだまだ少ない。法曹三者と学識経験者で作る「法曹養成制度等改革協議会」で、最高裁・法務省は千五百人程度への倍増を主張している。しかし、日弁連は「千人程度が限度」と反論、平行線が続く。
 同協議会のメンバー、鈴木良男・旭リサーチセンター社長(61)は「日弁連は、過当競争で弁護サービスの質が落ちると反対するが、これは特権がある組織を守ろうとする業界エゴだ」と手厳しい。
 憲法判断がからんで最高裁まで争う裁判となると、十年、二十年とかかる。判決時に、被告や原告が亡くなっているケースも珍しくない。
 最高裁で昨年十二月に判決があった外国人登録法違反事件。指紋押なつ制度を合憲と認める初の判断だったが、起訴から判決まで足かけ十四年もかかった。
 罰金一万円が確定した被告の日系人宣教師、ロナルド・ススム・フジヨシさん(56)は怒る。
 「長い裁判は、国際人権規約で保障されたジャスティス(公正)、スピーディー(迅速)な裁判を受ける権利を侵害している。国連に提訴したい」
 証拠調べに時間がかかり、長期化が著しい民事裁判に関しては、法務・司法当局が民事訴訟法の改正案を今国会に提出した。少額訴訟(三十万円以下)は一回の審理ですぐ判決が出せる制度を新設するほか、上告制限を盛り込み最高裁の負担軽減も狙っている。
 第一東京弁護士会のユニーク提言では、民事訴訟の期間を「原則一年以内、最長でも二年以内」とする。表久雄弁護士(57)は「裁判が国のサービスである以上、注文(提訴)に対し、納期(判決)が決まっているのが当たり前」という。
 上告制限について元最高裁判事の島谷六郎弁護士(76)が語る。
 「最高裁は上告事件がいっぱいで、夜も休日も公邸で記録を読む。ただ最高裁で下級審の判断が覆るのは全体の二%で、大半の事件は初めから上告理由が乏しい。憲法の番人として、本当に重要な事件に十分な時間と精力をさきたかった」
 大法廷で新しい憲法判断を示されることが少ないのも、この過重な負担が消極的な姿勢を生むからだと指摘する声もある。
 池田辰夫・大阪大教授(民事法)は「今後、民事訴訟に伴う憲法訴訟が増えるだろう。そのため憲法解釈が専門の憲法裁判所の創設など憲法改正を含む論議をすることがのぞましい」と話す。
 先進国として高度に発展し、急速に国際化した日本。社会生活は複雑多様になり、個人や各種の組織、さらに外国もからんで様々な利害の衝突が多発している。規制緩和が進み、自己責任の原則が徹底する将来は訴訟社会となる。司法への需要は高まる一方だ。法曹人口の拡大や民事訴訟手続きの改善にとどまらず、憲法の原点に戻って司法のあり方を見つめ直す必要がある。(大阪社会部 中浜宏章)
 
〈迅速な裁判の要請〉
◇憲法三七条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
◇民事訴訟規則三条 裁判所は、審理が公正かつ迅速に行われるように努め、当事者その他の訴訟関係人は、これに協力しなければならない。


 
 
 
 
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