1995/09/30 読売新聞朝刊
[社説]「主権なき憲法審議」の公開
自分の国の憲法なのに、それを審議した国会議事録を国民が見られない――。こんな奇怪な状態が、憲法制定後五十年近くも続いていた。
その衆院の帝国憲法改正案委員会小委員会(芦田小委員会)の審議速記録が、やっと一般公開された。
芦田小委の審議内容については、連合国総司令部(GHQ)に提出させられていた速記録の英文翻訳を米公文書館の資料から逆翻訳したものや、当時の小委関係者のメモなどにより、近年は、ほぼ全容に近い形で知られてはいた。
それでも、実際に速記録原文に接して改めて鮮明に浮き上がるのは、憲法草案がGHQにより作成されたことだけではなく、審議そのものが、GHQの厳しい監視の下、GHQが許容する範囲内で進められていた、ということである。
たとえば、政府原案の修正論議に関連し、こんな芦田均小委員長発言がある。「総理大臣が『マッカーサー』元帥と直接話をしました結果、その目的を貫徹することが困難であるという事情がわかって、これ以上政府当局の力ではどうにもならぬということになったのだと聞いております」
だが、この部分は、英文翻訳速記録にはない。ほかにも、原文にあるGHQに言及した発言が、翻訳に際して削除されている部分がいくつかある。
第九条(戦争放棄)関係では、当時の金森徳次郎憲法担当国務相の「戦力不保持を規定した第二項には含みがある」とする趣旨の発言と、その関連審議部分が削除されていることが確認された。
しかし、いわゆる「芦田修正」の真意をめぐる従来の解釈論議に変化を及ぼしそうなほどの新事実は出ていない。
要するに、芦田小委の速記録が秘密扱いされたのは、国家主権の精髄ともいうべき憲法が、主権のない状態で審議・制定された実態を、国民には隠すためだった。
小委メンバーたちが、「憲法の文章までも翻訳的に日本文らしからざるものを残しておくと将来の恥になる」などと言いながら、“英文和訳”作業に苦労している様子には、悲喜劇の趣さえある。
結果として、現行憲法の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という基本原理が、戦後日本の復興・発展に果たした意義は大きい。それらは、今後とも堅持していかなくてはならない普遍の原理である。
が、この五十年間に、世界も、日本も、巨大な変化を遂げた。それに伴い、日本は、憲法制定当時には想像もつかなかったような国際的な責務の分担を求められるようになった。
また、プライバシーの権利や環境権といった新しい人権概念の採用など、世界の憲法の潮流も変わってきている。
やはり、もう、日本国民自らが、そうした変化を踏まえながら、二十一世紀を展望した新しい憲法のあり方を考え、論議する時がきているのではないか。
公開された芦田小委審議録は、改めてそうした論議の必要性を示している。
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