1995/05/03 読売新聞朝刊
[社説]戦後50年を超えて 建設的安保論議への転換の時
戦後五十年の節目に立ち、日本は、冷戦後の安全保障をどのように考えるのか、阪神大震災や地下鉄サリン事件で問題になった「内なる安全保障」をどう構築するかという深刻な課題に直面している。
憲法記念日にあたり、読売新聞社が「総合安全保障政策大綱」を提言するのは、これらの課題について幅広い国民的論議が不可欠だと思うからだ。
読売新聞社は昨年十一月三日、「憲法改正試案」を発表した。大綱はこの試案に基づき、国の防衛だけでなく大災害やテロ、騒乱など、国民の生命や財産を脅かすあらゆる脅威から、どのように国民を守っていくかという安全保障の基本命題についての一つの解答を示したものである。
◆憂うべき「安保論議回避症」
戦後の五十年、日米安保条約の是非論など、安全保障をめぐってはさまざまな論議があった。しかし、日本の安全保障をどうするのかについて、ぎりぎり詰めた議論の深まりは果たしてあっただろうか。「否」と言わざるを得ない。
なぜだろう。第一は、安全保障論議の中心になるはずの自衛隊について、違憲、合憲論議に多くが費やされたことが挙げられる。イデオロギー的な“神学論争”から抜けられず、内容の議論に入れなかった。
第二は、より大きな背景として、米国の圧倒的な軍事力による庇護(ひご)があったことを見逃すわけにはいかない。米国の核のカサの下で、安心して、「経済優先・軽武装」路線を追求できたのである。
同じ第二次大戦の敗戦国でありながら、安全保障と憲法の問題を一つ一つ解決してきたドイツの戦後の歩みと比較すれば、日本の特殊性がよくわかる。
西ドイツでは、一九五四年、防衛は連邦の専属立法権に属するという基本法(憲法)の改正を行って、将来の再軍備を可能にしたうえで、五六年に軍隊の設置や徴兵義務を憲法で明文化した。
六八年には、非常事態に対応するため憲法の大幅改正を行った。国内は激しい論議に包まれたが、与野党が具体的な案を示して合意形成が行われた。
東西冷戦の最前線に位置した西ドイツと日本を単純に比較するのは、無理があるかもしれない。
しかし、国や国民の生存の基本にかかわる安全保障についてあいまいにすることなく、憲法を改正することで対応してきたドイツの歴史から学ぶものは多い。
村山政権誕生に伴い社会党が自衛隊合憲、日米安保条約堅持に転換、ようやく与野党が同じ土俵で安全保障論議を行うことが可能になった。
にもかかわらず、事態はむしろ逆になっている。昨年暮れの防衛予算編成にみられるように、連立政権に亀裂が生じることを恐れるあまり、極力論議しないという“安保論議回避症”とも言うべき現象が自社両党を支配している。
政治が真剣な対応を怠ってきたという意味では、防衛問題だけでなく、大災害などを含めた広い意味での安全保障に対しても同様である。そのツケは、何よりも阪神大震災ではっきり表れたと言っていいだろう。こうした態度はもはや許されない。
戦争や大災害、テロなどあらゆる事態に備えることは、国の最低限の責任だ。
総合安全保障政策大綱の大きな柱になっている緊急事態に関する規定は、基本権の一部制限を伴うだけに、かねてから根強い反対論がある。
しかし、平時に法整備を怠れば、緊急事態の際に、何らの規定もないまま法や憲法を超えるような措置を許さざるを得なくなる。むしろその方が危険である。だからこそ、多くの国で緊急事態や非常事態について憲法で明文化しているのである。
◆緊急事態への備えは国の責任
大綱では、首相が緊急事態を宣言する際国会の承認が必要なことや、緊急措置が法律に基づくものであることなど二重三重の歯止めを設けている。
緊急事態の際、首相に一元的な指揮監督権を与えることについては、乱用の危険や地方分権に逆行するなどの批判もあろう。しかし、その必要性は阪神大震災の教訓からも明白だ。読売新聞の世論調査でも九〇%の国民が必要と感じている。
七〇年代に有事立法が問題になった際、自衛隊違憲論を背景に、有事立法は軍国主義の復活であるとの議論が声高に叫ばれ、論議すること自体を封じてしまった。不幸なことだったと言わなければならない。
自衛隊については、各種の世論調査等でも違憲論は少数派になったものの、担うべき任務に関してはさまざまな意見がある。大綱では、国の防衛や災害派遣とともに、国連平和維持活動(PKO)を自衛隊の主要任務の一つとして位置づけている。
PKOへの参加は、平和な世界での自由な通商が国の存立の前提である日本にとって、二十一世紀に向け、積極的に役割分担していくべき国際的責務である。
PKOでの武器使用については、憲法で禁じられている武力行使=侵略戦争と混同してはならない。国連の「集団安全保障」の一環としての行動と、主権国としての個別的、集団的自衛権の行使とは、明確に区別する必要がある。
「日本人は、安全と水は無料で手に入ると思い込んでいる」としばしば指摘される。国民や国の安全は、所与の自明のものとして「ある」のではない。不断の努力によって作り上げなければならない。
新聞には、事実をできるだけ正確、公正に報道するという報道機関としての機能と、重要な問題について論評し、見解を示すという言論機関としての機能がある。
今回の大綱のように、国民的課題について提言することは、言論機関としての新聞の当然の責務であると確信している。
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