2002/05/20 毎日新聞朝刊
[社説]考えよう憲法/39 憲法と条約 両立は永遠のジレンマ
◇内なる理念と国際的役割
憲法がすべての国内法に優先する「基本中の基本」であることは常識だ。では、憲法と条約ではどうか。
憲法98条1項は「憲法は国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部はその効力を有しない」と明示している。99条も、天皇やすべての公務員が「憲法を尊重し、擁護する義務」を負うと定めた。
ところが、その間にある98条2項は「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守(じゅんしゅ)する」よう定めている。このことから、「いったい、条約と憲法ではどちらが優先されるのか」という議論が憲法制定以来、憲法学者や国際法学者の間で大きな論争を呼んできた。
実際の政治現場では、国内法の立案や外国と条約を結ぶ際には事前に内閣法制局などで憲法に抵触しないかを徹底的に詰める。だから、憲法に触れるような条約に加わる恐れはほとんどない。
日本政府が78年、国際人権規約に署名した際も、公務員スト権、高校・大学の無償化、死刑の存廃など、国内法と矛盾する条項には拘束されない留保を付けた。また「アジテーションの禁止」や「扇動の罪」など、憲法の「表現の自由」に抵触する内容を持ったジェノサイド(大量虐殺)条約を日本がいまだに批准していないのも、同じような理由からだ。
それでも、論争が国民生活に密着した現実政治や司法の場に持ち出された例がないではない。
◇司法は憲法優位へ
在日米軍の存在が憲法違反かどうかを問われた「砂川事件」がその典型だ。1審(東京地裁)伊達判決は、米軍を憲法9条で禁じられた「戦力」にあたり、「違憲である」と判断。日米安保条約などに基づく刑事特別法違反(米軍施設区域を侵す罪)で逮捕された基地反対派に無罪を言い渡した。
だが検察側は、違憲立法審査権を定めた憲法81条に「条約」が明記されておらず、裁判所には審査権がない――と主張、最高裁に跳躍上告した。59年12月、最高裁は「安保条約は高度の政治判断の結果。きわめて明白に違憲と認められない限り、違憲審査になじまない」と、1審判決を破棄した。
二つの判決は内容では対立していたが、憲法に違背するような条約は認め難いという原則では共通していた。条約がすべて憲法に優先する「条約優位説」に立てば、条約の違憲審査自体が不要になってしまうからだ。
憲法制定直後、憲法学者らの間で一時的に「条約優位説」が高揚した理由は、戦前の日本が数多くの国際法規や条約を踏みにじってきた反省に立ったものだ。侵略戦争の過ちを繰り返さない「保険」の意味もこめて、憲法だけでなく平和秩序をめざす国際的取り決めを厳守する考え方に立つ。
ところが、条約優位説には危険な落とし穴があった。例えば日本の再軍備を義務づけるような条約に加入した場合、憲法改正の手順を経なくとも事実上の改憲と同じ結果になってしまう、と「憲法優位」論者は主張する。52年の主権回復後、政治の場で「押し付け憲法」に反対する改憲論が勢いを得るようになる中で、護憲論の立場から憲法優位説が主流になっていった経過がそこにある。
憲法と条約の優劣論議は一見、学者の「ためにする議論」のように見えても、政治・外交と密接にからむ側面が無視できない。
オランダでは公示後の条約に司法の違憲審査権を認めていない。フランスは、欧州連合(EU)発足に必要な条約を批准するために、あえて憲法を改正したほどだ。
日本の今日的文脈で考えれば、国連平和維持活動(PKO)参加問題や、国連安全保障理事会の常任理事国入りを「悲願」とする外務省や政界の論議とつながる。日本は国連加盟にあたり、武力制裁を含めた国連憲章を無条件で受け入れた。憲章は「確立された国際法規」でもあり、国際法の中でも最も重視される規範の一つだ。
◇今日的文脈で考える
政府見解では「最高法規である憲法に従って憲章上の義務を果たす。集団的安全保障に関する措置のうち、憲法9条が禁じる武力行使や威嚇が許されないのは当然」(94年)との立場だ。だが、憲法をタテに武力を含む制裁活動に一切不参加を貫く行き方と、常任理事国入りの両立は難しいとの見方が海外では少なくない。
「軍事活動参加は、常任理事国の要件の一部」(マレーシア)、「すべての責任を果たせるなら、常任理事国として認める」(米上院決議)など、諸外国が日本の悲願に向ける視線は、具体的で厳しいものがあるからだ。
そうしたジレンマを解く一つの方法として、自由党の小沢一郎党首らは「日本も軍事面を含む国連集団安全保障に積極的に参加すべきだ」と主張してきた。(1)国連憲章は平和主義、国際協調主義を掲げた憲法の理念の具体化(2)国連軍や多国籍軍への参加は憲法9条の制約にあたらぬ(3)留保なしで受け入れた以上、憲章の規定は憲法に優位すべきだ――などが理由だ。一方で、国民の意識はそこに至っていないという現実もある。
「金満ニッポン」の時代には、財政的貢献を「切り札」に常任理事国入りを狙ったり、世界に日本の立場をアピールすることもできた。そうした条件が乏しい現在、「国際社会で名誉ある地位」を得るには何ができるのか。憲法と条約の相互関係を考えていく中で、日本の国際的役割を不断に見直していく必要がある。
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