2002/05/13 毎日新聞朝刊
[社説]考えよう憲法/38 有事法制 想定しなかった「空白」埋める
◇人権制約めぐり、評価二分
日本への武力攻撃の際に発動する有事法制について、強い違憲論がある。現行憲法には、有事対処法制を設ける明確な根拠がないという主張だ。
明治憲法は規定を備えていた。第1章で、天皇は統治権を総覧し、緊急勅令、戒厳令を発する権限を持っていた。第2章「臣民の権利義務」は、所有権など近代国家が保障する私権を憲法上明記しながら、法律で制限しうる根拠を残していた。この制度の中で治安維持法や国家総動員法も立法された。特に第31条は「本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ」と定め、有事には天皇大権の下、どんな体制も敷けた。
戦後、新憲法は平和主義を大きな理念に掲げた。制定当時、政府は、9条によって戦争を放棄し、自衛権の行使も禁じたとの見解だった。憲法改正案を審議した1946年6月28日の衆院本会議で、共産党の野坂参三と首相の吉田茂は次のような質疑を交わした。
野坂:「戦争には二つある。一つは不正、侵略戦争。侵略された国が自国を守る戦争は正しい戦争と言って差し支えない。戦争一般放棄でなしに、侵略戦争放棄がもっと的確ではないか」
吉田:「近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われた。故に正当防衛権を認むることが戦争を誘発するゆえんである。正当防衛権を認むるごときは有害無益の議論と考える」
政府と野党の主張が、攻守入れ違っていたと錯覚するようなやり取りだ。こんな雰囲気で、有事を想定した議論は起きようもなかった。有事に関する議論が行われるのは、冷戦の激化、朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)で警察予備隊(後に自衛隊)が創設され、憲法解釈が変わり始めてからである。
内閣の憲法調査会(57年設置)は、非常事態における政治機構と国民の権利・自由について「特別の規定を設ける必要があるかどうか」を検討した。
◇「最大の欠陥」と指摘も
調査会が64年に出した報告書によると、非常事態とは、戦争のほか、内乱▽大規模な暴動▽大恐慌など経済的混乱▽自然災害▽伝染病のまん延――を想定していた。具体的な措置として、内閣による緊急命令や緊急の財政処分、政府が緊急宣言を発すれば、国会は政府の希望する期間内に必要法案の審議を終える「立法緊急宣言」制度などを取り上げた。
なんらかの措置が必要という点は一致したが、憲法に規定を設けるか否かは委員の間で意見が分かれた。委員の多くは明文規定が必要だとし、「国家の存立と安全、国民生活維持のための措置に関して規定を設けていないのは、憲法最大の欠陥の一つ」と述べた。
逆に、規定を不必要とする委員は、政府が例外的に非常措置をとりうるのは「不文の原理」か、憲法13、22、29条の「公共の福祉」の解釈で可能だと主張した。これに対しては、憲法外の国家緊急権の行使を認めることが「憲法の破壊だ」という批判もあがった。いずれにしても、憲法上の「空白」という認識では共通した。
憲法が変わらないまま、緊急事態法制は整備が進んだ。災害対策基本法、災害救助法、大規模地震対策特別措置法である。今回の自衛隊法改正案では、防衛出動の際、食糧や燃料など保管を命じられた物資を横流しすると、6月以下の懲役を受ける。災害対策法制にある規定が下敷きになった。
大規模地震対策法では、警戒宣言が発せられた場合、交通規制や住民の避難、物資の保管と収用、他人の土地や家屋の使用などに関して、知事や市町村長が強い権限を持つ。武力攻撃事態法案では、首相が強い権限を握ることになっており、権限の集中という点では同様の発想だ。
◇ドイツは憲法に規定
他国はどうか。ドイツは西独時代の56年と68年、憲法に当たる基本法を改正し、体制を整えた。政府は、武力攻撃されたり攻撃が差し迫った場合、「防衛上の緊急事態の確定」を連邦議会に申し立てる。投票者の3分の2、議員の過半数の賛成で決まる。確定には各州代表で組織する連邦参院の同意も必要とするなど、中央が独走できない仕組みをとる。ナチス独裁を許した反省を踏まえている。
日本も有事宣言にあたる「対処方針」の国会承認を経る点で同じだが、ドイツは憲法に明記し、日本は法律による対応である。
国家が平常時にはない体制をとる法制だけに、国会の関与を通じた国民の意思の反映は不可欠だ。ただ、政府に強い権限を与える時には国会承認手続きがあるが、終了の判断は首相に任されており、国民主権の原理上、現在の武力事態法案は問題がある。
今回の法制について、憲法にはっきりと根拠がない以上、人権の制約を伴う規定が違憲だという指摘は可能だろう。これに従えば、法制化の前に、憲法で根拠を整えることが先決となる。ただ、有事の条項の是非を含め、今すぐ憲法改正に進む政治的状況にない。
一方、米国での大規模テロを目にして、非常時に、基本的人権や財産権が勝手に侵されないようにするには、少なくとも法律で事前にルール化しておくべきだという意見にも、説得力がある。
この立法を国民生活から考えた場合、「人権を侵す法制」とみるか、「むやみに制限させないための法制」とみるかで、評価は180度異なる。いずれの見方でも、「おそれ、予測、必要最小限、合理的に必要と判断」など、法制の用語があいまいなままでは、国民の理解と支持を得られない。
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