1996/01/07 毎日新聞朝刊
[社説]世論調査 憲法への不満を抱く前に
世論調査の読み方は難しい。五日の本紙掲載の「憲法に関する調査」を読んで、戸惑った人も少なくなかったろう。
同調査はまず、憲法が国民に定着したかどうかを問うている。「はい」が六一%、「いいえ」が三四%。ところが憲法を改正すべきかどうかの問いに「はい」が三七%、「いいえ」が二二%。憲法を定着したと評価しながら、改憲を主張する。この心理的矛盾を、どう分析すべきか。
その回答は、別の設問から読み取れなくもない。調査は改憲を主張した人にその理由を尋ねている。第一位「重要な政策課題は国民投票できるようにする」が、突出している。続いて「国際的な責任を果たせるようにする」「首相公選制に変える」で、二位と三位の差はわずか。「自主防衛を」「天皇を元首に」は下位に位置している。
「国民投票」も「首相公選制」も言わんとするのは政治への直接参加である。裏を返せば、現在の政治に対する不信の表れである。
四日の本紙は「いまの政治に九割近い人が不満で、八割が政治を遠くに感じ、七割が今後も政治は変わらない」と答えていると報じていた。政治への強い不満が、改憲も辞せずの回答となった――。この調査結果を、そう読むことも無理ではない。
そうだとしても、改憲派が護憲派を上回っている事実は、やはり気になる。ここ四回の調査がいずれも同じ傾向を示しているからだ。加えて「わからない」と答える人が多いのも不安だ。今回は改憲派と同数で、前回は四割を超えトップだった。
本紙の調査ではないが、ある団体が憲法に関連して第九条(戦争の放棄)の知識度を調べたことがある。「今まで読んだことがないし、全然知らない」と答えたのが、なんと四割以上にのぼった。第九条をもってこの数字なのだから、憲法全体は推して知るべし。憲法を改正すべきかどうかを問われて「わからない」と答える人が多かったとしても、やむを得ない。
主権者たる国民がこれでいいのかと、悲憤慷慨(こうがい)するつもりはない。問題は「なぜそうなのか」であり、もしそれが不都合ならば、「では、どうすればよいのか」である。
国民が憲法をひもとこうとしない理由は、幾つか考えられる。日本人はもともと法律用語が苦手、というより苦手になるように慣らされてきた。難解な法律こそ、官僚支配の有効な手段だった。
現憲法は口語体でやさしく書かれている。その理念は格調高く、世界に誇るべきものがある。にもかかわらず憲法が親しまれなかったのは政治がその魅力をそいできたからである。憲法こそ国民生活を守る手段であるのに、まるで支配の道具であるかのような錯覚を与えてきた。
憲法を身近に感じなくても、平和と繁栄が保たれるならば、それでよいではないかとの意見もあろう。しかし憲法の意味も歴史も等閑視する一方で、現状への不満を憲法改正に求めようとするのは、あまりに短絡的ではないだろうか。
国際貢献は現憲法下でできる。政治改革は憲法以前の問題である。ことをすり替えてはいけない。ごまかしてはいけない。努力を棚に上げて器が変われば中身も変わると考えるのは、幻想であり、危険である。
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