1994/11/04 毎日新聞朝刊
[社説]憲法 いま改正の状況にあるのか
憲法が公布されてまる四十八年たった。冷戦の激化の中で、改正を求める動きもないではなかった。が、平和理念を掲げた憲法は、今では国民の中にどっしり根を張って定着したと言えよう。
読売新聞は三日付の紙面で、同社内で検討してきた憲法改正試案を発表した。理由は「現憲法では十分に対応できない新たな状況が生まれて」いるからと言う。
私たちは憲法を不磨の大典とは思っていない。時代に応じて適切に論議するのは必要とも考えている。しかし今、しかも逐条的な改正試案まで作って世に問うときだろうか。疑問を持つのは、まずこの点である。
同紙は「解釈改憲を認めるか、観念的護憲論にしがみつくかの道しかない状況に置かれてきた」と認識し「こうした混乱を放置していいのか」と問題を投げかける。
果たしてそうだろうか。むしろ社会党の政策転換で、国論の亀裂は埋まりつつあるのではないか。私たちは節度なき拡張解釈にくみするものではないが、少なくとも政治上は妥協の余地が、かつてよりは広がってきたと考える。
それよりも何よりも国民はいま、憲法改正を緊急かつ切実なものと位置づけているだろうか。私たちの世論調査によると、憲法改正を「今の日本にとって緊急課題だと思う」としたものは二五%に過ぎない。「思わない」が三六%、「どちらともいえない」は三七%で、四分の三が緊急性を認めていない。
加えて憲法改正が現実の政治課題となっているとも思えない。自主憲法制定を党是とする自民党でさえ、その声はトーンダウンしている。
現在の憲法には成立したときの理念と四十八年間に付加した信念の、さまざまな背景がある。過去への反省だけでなく、将来へのあかしでもある。私たち一人ひとりが平和を築いていこうとする思い入れもある。
そして憲法はまた、謝罪も含めたアジアへのメッセージであり、平和に徹するとの誓いでもあった。アジア諸国がこの憲法を注視してきたのは紛れもない事実である。それを今、変えたいと言う。
これを聞くアジア諸国の不安、警戒は、いかばかりか。日本は、まだ確固たる信頼感を彼らから得ていない。アジア諸国との信頼回復に全力を挙げるほうが、先決ではないか。
改正試案の内容に、いちいち立ち入るつもりはない。が、ただ一つ指摘したいことがある。それは「前文」である。なるほど現在の憲法は美文ではない。しかし前文には理念がある。あるべき国家像がある。夢がある。これに比べれば改正試案は、かなりドライである。現憲法の精神が骨抜きになった印象を受ける。
同紙は憲法改正の理由に、冷戦構造の崩壊をしきりに力説する。確かに崩壊した。民族、宗教、地域の反目が噴き出て、目下、混乱しているのも事実である。しかしその先はどうなるのか。
憲法改正をうたう以上、次に来る日本国家が、国際社会が、人類と地球がどうなるのか、見通しがなければなるまい。見通しが難しいなら、あるべき姿が描けねばなるまい。それがあっての憲法改正であり、前文だと思うのだが、残念ながら読み取ることはできなかった。
私たちは憲法論議に反対するものではない。しかし今改正の状況とは判断しないし、改正を論議する時期とも考えない。だからなぜ急ぐのか、理解に苦しむのである。
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