新憲法施行の日五月三日は雨と風に明けた、大内山の松の梢をかすめるような低い雲が東北から西南へ、相当な速度で流れ去る、憲法普及会主催の記念式典場宮城前広場では横なぐりの雨が式台、天幕、群衆に容赦なくたたきつける、代議士も宮様も学生も大臣もぬれる、ぬれる━━
かつて明治憲法が施行されたその日、帝都は大雪だった、潔めの雪だ、幸先がよいと祝ったと伝えられるが、しからばこの雨は何を意味するか、この日尾崎翁は『この雨こそは新しい日本にとって天の戒めである』とかっ破したが式場にあがった群衆の歓声は苦難の雲を突き破って晴れの日本を約束するかのようであった九時半既に式台正面には学生、各種団体、一般国民等約一万が参集、さながらかさの波、式台東側の天幕には各方面の参列者が続々とつめかける、時の人片山社会党首、尾崎翁、昨年の憲法発布式典には一人も参列しなかった共産党から野坂参三氏が一人モーニング姿で現われる、高松宮がぬれたプログラムを持って席に着かれる、定刻少し前、拡声器が『陛下は雨の時は御臨場お取止めの予定でしたが、後刻式場においでになります』と告げ、かさの波がワーッとどよめく、式は陛下の御出席の遅れたまま始められた、紫の幕がかかったアーチを中央に右側に片山(社)大野(自)岡田(協)野坂(共)の各党代表諸氏、左側に高松宮、賀陽若宮、吉田首相以下閣僚、尾崎翁、安井都知事等が居並ぶ、台の下には各方面の代表参列者、その間にカメラの脚立が林立する『かさをつぼめて下さい』と群衆から声あり、台の上も下も立ちぬれの姿になる、午前十時半、芦田憲法普及会長の開会の辞につぎ尾崎翁は雨から説き起し、国内相こく、政権争奪の愚をしかり例によって草稿なしの痛言を祝辞する、翁は毛皮えり附きのねずみ色の冬オーバーにこうもりをつえに後からさしかけられたかさの下で『この雨は天がわれわれを戒めるためのものだ、こんどのは余り悪い憲法ではないようだが、新憲法がきまったからといってただ喜ぶには当らない、現状を直視し、新憲法の精神に沿うよう政党も内閣も国民もなお一層努力すべきだ』これに猛烈な拍手がこたえる、吉田首相、安井都知事の演説もぬれた、かくて東京音楽学校女性徒による「われらの日本」の女声合唱が冷えきった人々の胸に熱いものをかき立てて大内山にこだまして終ると金森憲法普及会副会長『これで閉会します』と簡単にあいさつを述べて同十時五十五分歴史的な式典はここに終った
この時君が代の奏楽に迎えられて二台の自動車が二重橋から式場に近づいて来た、陛下には左手にこうもりをさされて群衆の面前に立たれた、瞬間、だれが音頭をとったでもないバンザイが沸き上った、陛下は少し面食われたようだったがソフトをおとりになって答えられた、するとまたもやバンザイが湧き上った、陛下はほほえまれながら帽子を振られた、こうして吉田首相が音頭をとって正式に「天皇陛下バンザイ」と和したのは三回目であった、お帰りの自動車は例によって人々にもまれ、バンザイの波は二重橋の奥の橋に車が見えなくなるまで何回も何回も繰り返された、それは象徴天皇の文字にふさわしい光景だった
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