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<第4分科会>
「障害者の安心・安定をどう確保するか」
―兄弟姉妹の立場で―
 
発表者 光雲会 副会長 安部美佐子
 
 私の妹は、平成10年4月、26才の時統合失調症「精神分裂病」と診断されました。二度の入退院があり現在は、グループホームで生活しながら作業所に通い障害者年金と作業所での賃金で、何とか経済的にも自立し生活しています。今の妹があるのは、主治医の先生、ソーシャルワーカー、作業所・援護寮の職員の皆様のおかげと感謝しています。妹の発病を知った時のおどろき、不安、私自身どうしたらいいのか混乱しました。両親共高齢で、発病当時は父も腎不全で入院、母はただおろおろするばかりでした。父も亡くなり、母と妹が緒に暮らしてくれたらと思いましたが、末子で一番母にやさしかった妹が嫌悪感を表わしたのです。最初の入院は母への暴力からでした。私はこれから全面的に、援助していかなければという思いで気が重くなるばかりでした。主治医の先生より家族会に出席してみないかと、電話をもらった時は、私は自身何かにすがりたいという気持ちでした。家族会の中で話を聞いてもらい、また皆さんの話を聞いていると私だけが苦しんでいたのではなかったとわかり気持ちが楽になりました。
 安定したからと本人の希望でアパートで一人暮らしをする事になりました。私もアパートに行ってやらなければと思いながら忙しく電話ですませていました。電話では「大丈夫、薬も飲んでいる」との事でした。しかし職場に受診に来ていないとの連絡でした。2月の寒い時でした。何日も食事もしておらず、歩くのがやっとの状態でした。すぐ受診し点滴です。枕元にすぐ食べれる物を買って置いておきましたが、服薬もせずひどくなるばかりです。一度目の入院もでしたが、二度目も嫌だと拒否し私が悪者になりました。
 私は兄弟姉妹で、親のように抱えこんで面倒を見る事は無理です。別々に生活しながら、援助していかなければならないのです。私にも家庭、仕事があります。幸いにも主人、義母共、妹の病気を理解してくれ何も言わず、協力してくれます。しかし私自身「もう疲れた、逃げたい」と思う気持ちがあり、今度退院したら、施設でも入所と本気で考えました。でも本人はもちろん「嫌だ」、主治医の先生、ソーシャルワーカーの方達の「施設入所ではなく、他の道を考えては」の言葉でした。
 平成13年2月に援護寮に作業所を見学に行く事になりました。ショートステイを利用し、本人の気持ちを聞きましたがアパートで一人暮らしの希望は消えていません。しかし今一人で暮らすのは無理だからと私が強引に行かせました。慣れるまではいろいろと言っていましたが、今は援護寮を出てグループホームでの生活です。金銭管理はまだ職員の方にお世話になっていますが、作業所でも仲間が出来、いろいろ話をしてくれるようになりました。今時給があがる事が一番うれしいようです。この間病院で入院時お世話になった婦長さんと廊下で「妹も何とかやっています」と話したら「あなたの笑顔を見たら妹さんも大丈夫とわかりますよ」と言って下さいました。私自身これから笑顔で話が出来る事が妹自身も幸せと思ってもらえる事だと思います。妹の発病で精神障害者の方達を自分の問題として考えいろいろ勉強もし理解してきました。まだ差別、偏見とありますが当事者、家族が大きな声で病気の事、地域で生活するには何が必要かなど、行政、地域の方達に訴えて行く事が必要と思います。みなさんのささえがあれば障害があっても地域の中で安心して暮らせる日がくるのではないでしょうか。
 
<第4分科会>
「障害者の安心・安定をどう確保するか」
 
発表者 鳥取県 サンライズ作業所 佐藤正樹
 
 私が家族会とつながりを持つようになったのは、4年程前からです。岸本町福祉保健課、米子保健所の呼びかけに、妻他一名の参加で始めた“家族の集い”、私は四回目からの参加です。ソーシャルワーカーの「回復を支えるための制度」の話が大変参考になった。すぐ様病気を再発し、入院中の息子を説得し、障害年金、手帳の交付申請を行なった上、親亡き後のためにと、扶養共済年金にも加入した。この年金は、掛金、税法上の特典があり、四分の一の掛金で済み驚きました。以後、積極的に家族会活動に関わってきています。私は、今では岸本町、米子市の家族会に在籍しており、米子のひまわり会が運営しているサンライズ作業所にスタッフの一員として働いています。作業所経験は3年ですが、この間の体験を中心にテーマにそった内容に副うよう発表して見たいと思います。サンライズ作業所は平成11年7月に、米子市富益町にある(株)米子シンコーの工場の一部を借りスタート、平成13年3月に県の支援を受け工場の隣りに新しく作業所を建設、現在に至っています。工場から電気部品の清掃等の仕事を受注、作業を行っております。スタッフは常勤2名、非常勤1名、メンバーは6名います。作業量は安定しており、今の所自主製品は作っていません。皆、工場の一員、歯車の一つとして作業に励んでいます。工賃は月1万5千円位、比較的高いといえるが、自立するには程遠い額、そのため作業のスピードアップをと検討したりしていますが、疲れがたまり、病気再発では意味をなさない。ある時、予定時間外に休む人を見て、厳しく注意してくれと真顔で迫るAさん、そんな時スタッフは、疲れたら何時でも休んでいいよ、作業所は休息する所でもあるよとなだめている。メンバーのほとんどは、勤務経験者ばかり、リーダー格のAさんは、多数の部下を持った経験者、つい口に出てしまうのでしょう。しかし、作業中心ではどうしてもストレスがたまる。そこで、今では午前中のミーティングタイムを長くしている。ミーティングでは、作業の伝達は短かくし、気持が落ちつくような内容の、例えば相田みつをの詩を交代で朗み、感想を述べ合う等している。その他最も大切な、自分達を支援してくれる制度の話、他の復帰施設、相談所の話を混えどんどん出向いて、自分で行き場所を増やす様に仕掛けている。また、月一回はボーリングなどし楽しんだり、日帰り旅行を実施、チームワークづくりに取り組んでいる。シンコーの社員の皆様にも参加を呼びかけ交流を図っている。その結果か、現在メンバーは年令は当然の事ですが、手帳も全員取得している。扶養共済の加入者も増えているようです。手帳の取得には、難色を示していたBさんも、近くの温泉に無料で入れる、傷害加算が貰えて良かったと報告してくれ、スタッフ共々、喜び合った。他のメンバーもよく入浴しているようです。生活支援センターに通っているCさんはパソコンの腕があがったよと、Dさんは友達が増えたよと、援護寮に体験入所したEさんは、自分に合っていると語ってくれる。皆自立へ向けて支援先、居場所増やしに足を運んでいます。休みがちであったFさんも気の合う仲間が出来たようで毎日のように来てくれている。Dさんの事ではこんな事もあった。家庭訪問し、ご両親から息子が悪徳商法に合い安価な物にしか見えないパソコンを百万円を超える額で分割払い契約をした。すでに5ヵ月経過しているとのこと、早速知り合いの電気店で見立てて貰い、消費生活センターを通じ業者に対応、短期間で解約出来た時は、何でも具体的に動けば具体的に答が出てくるという相田さんの一節が想い浮かびました。ひまわり会では、今授産所設立に向け取り組んでいます。3年以内に実現出来ればと・・・岸本町では今年10月に町の中心に温泉棟もある福祉センターが出来る。その中に作業所も出来ます。私共家族会は、準備に追われていますが、皆笑顔を交わしながら取り組んでいます。一人では弱い私達、皆で力を合わせれば夢は実現するものなんですね。







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