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第2日目 9月5日(木)
 
講演
「21世紀の精神障害者福祉の展望〜今家族(家族会)は何をすべきか〜」
 全国精神障害者家族会連合会参与 滝沢武久 氏
 
対談
「家族の対応で期待するもの 〜こんなふうにしてもらえたら〜」
 柊の会代表 古川奈都子 氏
 PHP総合研究所社会活動本部電話相談カウンセラー 中越 優 氏
 
分科会
 
<第1分科会>
体験発表「障害者とどう向き合うか」
 
―障害者を勇気づけるためにどう付き合えばよいか― 
<第2分科会>
「改めて家族会のあり方を問う」
 
―家族会は作業所にどう向き合えばよいか― 
<第3分科会>
「市町村と家族会」
 
―今年度からホームヘルプの制度化、窓口の市町村移行をふまえて― 
<第4分科会>
「障害者の安心・安定をどう確保するか」
 
―働き場の開拓、経済的な安心が先決・・親亡き後― 
<第5分科会>
「小規模授産施設の実現にむけて」
 
講師ご紹介
 
滝沢 武久(たきざわたけひさ) 氏(昭和17年生まれ)
昭和40年日本社会事業大学社会福祉学部卒業。
保健所・精神保健センター勤務を経て、全家連参与。
国会議員政策担当秘書、埼玉県立大学講師。
 
「21世紀の精神障害者福祉の展望」
〜今、家族(家族会)は何をなすべきか〜
全国精神障害者家族会連合会参与
(衆議院議員、政策担当、私設秘書)
滝沢武久
 
1、我が国の障害者福祉の歴史と問題点を考える(家族の知っておくべき知識)
一、世界の「障害者福祉の歴史」は傷遺軍人対策から
二、その国の近代化と併行する国民福祉
三、「欠陥固定」概念と障害者福祉の歴史
 
2、精神障害者の医療の歴史と問題点
一、近代西欧精神医学の移入とは言いつつも治療技術は少なかった
二、政策医療と言う位置付けが日本の精神障害者の悲劇(治安対策的施策)
三、医療の公的責任性と企業的医療の差
 
3、精神の病気と障害について
一、「眼に見えない」病気・疾患の悲劇(精神医学とは言うけれど基準は社会的ルールからの逸脱が物差し)
二、障害の定義の変化
三、患者の症状と家族の戸惑い
 
4、全国精神障害者家族会福祉法運動の歩み
一、心身障害者対策基本法に触発されて「精神障害者福祉」
二、専門家の反対と「世界保健機構」WHOの定義
三、宇都宮精神病院事件の皮肉(精神衛生法改正の契機)
 
5、国際障害者年「障害者の社会参加と平等」の成果
一、国連決議の意味
二、障害者基本法の改正の意義
三、社会復帰と社会参加
 
6、精神障害者の地域福祉の充実化
一、地域医療こそ地域福祉の原点(高齢者の畳の上で死にたいと言う声)
二、Drクラークの勧告とイギリスの社会保障制度
三、精神障害者には病院以外は箱物がない(住居と仕事が必要)
 
7、社会福祉界からの教訓をどう活かすか
一、身体障害者や知的障害者福祉の歴史に学ぶ
二、おとなしすぎる精神障害者家族の活動
三、作業所やグループホームの運営はやがて専門家に任すべき
 
8、21世紀には精神障害者の人権と平等福祉確保施策実現
一、眼に見えない病気や障害を持つ人の人権と福祉は文化国家の指標
二、高齢者と精神障害者等の権利擁護システム構築の必要性
三、市民的権利・義務の確認こそ地域福祉の原点
 
講師ご紹介
 
古川 奈都子(ふるかわ なつこ) 氏
1971年鳥取県会見町に生まれる。
21歳で結婚、25歳で出産、一児の母となる。
横浜で家族会に参加しサイコドラマ、ロールトレーニングを学ぶ。
27歳の時会見町に帰り、1999年ひいらぎの家というミーティングルームを開設。いろいろなかたがたの援助をもらいながら、柊の会(自助グループ)を始める。今年から、まいんど(自助グループ)も新たに始める。
著書に「心を病むってどういうこと」ぶどう社刊。
 
講師ご紹介
 
中越 優(なかごし すぐる) 氏
新阿武山病院でソーシャルワーカーとして28年間勤。
その間、初期の家族会、断酒会の育成に力を注ぐ。
現在は、PHP総合研究所社会活動本部で電話相談カウンセラー。
自助グループのサポーターでもある。
 
2002.9.5倉吉
家族の対応で期待するもの―こんなふうにしてもらえたら―
 
はじめに
 今まで、私たちは精神病者の声に耳を傾けることよりも、病者の問題点の改善にエネルギーを取られて、病者の本来持っている生きる力を阻害してきているのではないかと言う反省があります。確かに、病者の自己主張が発病と言う形をとったり、深くて強い感情で表現されるのでうまく伝えられないと言う面もありました。古川奈都子さんの本はまだ日本ではめずらしく、貴重な精神分裂病者としての体験が分かりやすく書かれています。その納得性の高さは彼女のよく考えられた言葉と、そしてコミュニケーションの豊かさからくるものと思われます。その意味で対話と言う形が一番伝わるものがあると期待しています。一緒に古川さんに耳を傾けたいと思います。
 
1. まず知って欲しいこと―元々持っている性質
イ. 発病に至る過程および発病の原因
○無理して母親に合わせ、自分のない自分に悩み、人に合わせることを価値と思い、限界が来て発病。自分自身を押さえていたものが爆発する。
○昔に比べて悪い人間になった。人に合わせられなくなった。
○いい子でなくなった自分の姿にただただ莫大な怒りと、それでもまだいい子でありつづけようとする葛藤と悲しみ。
○病気と言う方法を使って、発病し、子供がえりをして、子供の時にできなかった埋め合わせを、病気によってしているのです。
○元々持っている性質は病気そのものの性質です。
ロ. 能力の障害について(否定的感情)
○体、脳、感情コントロール
○なぜ出来ないの、能力主義。(家族等の否定的感情への恐れ)
○「がんばってね」の激励のつらさ、がんばりたいのにがんばれないでいる。
○自分の障害に対して、不自由に思う必要のないのに、不自由に感じている。
 
2. 助かったこと(肯定的感情)
イ. 母親の働き
○苦しいかと手を握ってくれた、助かったと。
○実際にマッサージをしてあげたほうが。苦しみを和らげる方法が。
○睡眠をとることが回復への道だと。眠ることへの罪悪感解消。
ロ. 夫の働き(否定を肯定に転換、全存在の承認)
○「君の障害によって出来ない部分は、僕が助ける」と言われた時。
○惨めな私の姿を見て「いとおしい」とよく口にします。
○死にたいと言ったら、「僕と一緒に生きよう」
○昔はいい子だったと嘆いたら「これから先の奈都子は、昔以上のすばらしい子になる」
ハ. 一方的な受容 多くの人が私と言うおろかな人格でも受け入れてくれたことが回復へ。
 
3. 聞くことと話すこと、受容する無制限の愛の大切さ(待つこと)
○なぜ自分のことばかり話すのか。
○本人が内面をさらけ出したときは、病気を治療するチャンス。
○湧き上がる本音を抑圧から解放されるように書いた。第1の飛躍。
○その感情を汲み取る訓練を。気持ちを聞いて欲しくてわらをもつかむ思いで訴えている。自分の思い通りに共感を得ると涙を流して・・・
○何時間話しても納得してくれないのは、受け入れられていると言う安心感がないから。
○人が怖く、人間関係が下手なのはあまりにも話を聞いてくれる人がいなかったから。
 
4. どうにかしてあげようとしないこと
○させられ体験―指図しないで
○忠告の無意味―分っていないと思い込む人、黙って見守る。
○出来ない自分にいつも傷ついている。他人の助言に参っている。
○欲しいのはアドバイスではない。余りにも自分の話を聞いてくれる人がいなかった。抱きしめたり、一緒に泣いたり、同じ空間を共有する。
○「本人が自分のことをどう思うか。どうしたいと思うのか」この中心点をはずしては、何事もしてはならないと思う。考え始めるのを待つ。
 
5. 家族が一番のカギ
○病者と家族の不幸な関係。本人をこれ以上不幸にしない責任をもってください。
○「うちの子は病気は治らない」とあきらめた家族に出会うと悲しい。
○私が回復したのは、私の家族が助けてくれた、友人が助けてくれた。医療者が精神的に助けてくれたとは言いがたい。
○程よい関係(支配しない、程よい距離)。
○そんなに医者に頼らなければよい。相談者が医者しかないことが残念
○現状に満足しない親。私はこのままの私でいいと思うことが治ること。
○病気でも、本人は不幸ではない。家族自身もちっとも不幸ではない。ただ不幸なのは、自分を不幸だと卑下する心。「お前は病気だ」と中傷する言葉。そして病気を投げ出す態度。
 
6. 自分の責任は自分で取る
○親の育て方を責めてきた。でもそれは間違いだった。
○親の責任と私の責任。本人に任せることの必要。
○病気と戦っている病者の姿に励まされてもよい。でもなぜ甘えていると。
○病者の負うべき責任。病気と共存して歩む。(代理行為が多い。)
○ああ、私の存在にも意味や価値があったのだ。
 
7. 病気になってよかった
○病気になる前の状態に戻るのは真っ平。(リハビリの拒否)
○寛解したとは自分が大きく成長し、飛躍したこと。
○能力とは「人間の命であり、生きる力だ」と思う。(競争能力はダウン)。
○「自分を持つ」と言うこと。異常だ、泥沼だと言われても。







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