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7 分科会報告
1 基礎講座
2 第1分科会
3 第2分科会
4 第3分科会
ハートメッセージ
勇気を出して話すから聞いてね
8 ハートメッセージ
北海道
精神障害回復者クラブ活動について
須田晃一
私は、疾病歴35年の札幌市在住の54歳の男性です。
40歳過ぎ、初めて、地域共同作業所に通い始めた。その作業所では、箱折りの作業をしていた。皆が、随分手早く仕事をしていると思い感心した。精神の障害を持っている人達と一緒に知的障害者が箱折り作業をしていた。
知的障害者が、精神障害者に箱折り作業の仕方を教えているのでびっくりした。
作業所に入所した時、精神障害者と一口に言っても、様々な症状を持っている人がいることがわかりました。
箱折り作業のやり方も覚えると共に、コーヒー販売活動にも参画しました。
作業所に通所するようになってから、色々な講演などを聴くチャンスも増えました。
回復者クラブを作ってみないかと作業所の所長から勧められ、不安ながら、仲間と相談して回復者クラブを作るに至りました。
当時、活動すれば、単会のクラブに、札幌市の場合は、補助金が助成されることを知りました。クラブとして初めて会報を作ったりもしました。
活動が認められて、次の年度から補助金を受けることが出来、皆で研修旅行に使わせてもらいました。
一方、通所生の中には、回復者クラブ活動に疑問を抱くメンバーもいた。障害者は、作業所では、作業をして訓練に励んでいればいいということだった。生き方として、ある反面、そういう考え方の回復者も立派だと思った。実際、彼は、作業所を巣立って企業社会で就労するようになりました。
精神障害回復者は、精神科医療を継続して生きていかなければならない。また、精神障害のため、日常生活・社会生活を送る上で、相当な制限を受け、社会から取り残されてしまうこともたくさんあります。実社会にあっても、弱者として生きる権利があるのです。そして、精神障害回復者の社会的不利益を解消するため、主張することは、きちんと発言していく必要があると思っています。他方、権利が社会的に保障されると同時に、回復者自身にも社会的責任が課せられていることも自覚しなければならないであろう。
私達回復者のクラブ活動の意義は、精神障害者の保健福祉の充実を社会に訴える草の根運動であり、そういったメッセージを発進する機能と役割を持っているところにあると考えます。
地域共同作業所は、メッセージを発進するキーステーションを担っているとも言えます。
北海道の各地に回復者クラブを作る事に、地域の皆さんが努力する事により、道回連の研修会議で年々発言が多く成った事は、それだけ育てている人達が、地域に出来てきた道程がある事です。地域での共同作業所が近くにできる大切さは、行き場所が遠くていけない精神障害者にとって、生きて行くのに喜びと成る事です。それと共に地域生活支援センターが増えて行く事が必要に成ります。精神の障害者も高齢になってきている人もいます。ホームヘルプサービスの利用も大事な事業であります。私達精神障害者として、病気の場合によっては、高齢に関係なくホームヘルプサービスを利用する権利があります。精神病として当事者が行き場所を悩むばかりでなく、苦しんでいる家族の孤立を避けなければ成りません。社会の中で、本来としての人間性を取り戻していく事です。
その理念は、精神の当事者はどの地域でも平等に必要なサービスを受けられる事の権利の願いは私達の願いであります。
青森県
強く! 気高く! 美しく!
青森県精神障害者家族会連合会副会長 沼尾 仁
私たち、精神障害者を抱える家族は、これまでいろいろ悩み、不安を抱えながら過ごしてまいりました。
平成7年に「精神保健福祉法」が施行され、精神障害者の自立と社会参加が盛り込まれました。
しかし、現実は、社会の偏見が強いばかりか、理解も浅く、福祉制度の整備も十分とはいえず、社会復帰施策の充実を願わずにはいられません。
障害も「個性の一つ」です。どの障害者もかけがえのない人の子どもです。中には大切な青春を病気のため、人を恋することも知らずに病気のために無にした人や、青春真っただ中を恋しながらも別れなければならないという悲しい過去に終わった人など数多くいると思います。
一般的に精神病は、怖いもの、恐ろしいもの、危険なものと思われがちです。これは誤解です。障害者の多くは素直で正直です。障害者は、自信と勇気を持たなくてはならないと思います。自分の病気をあきらめてはいけないと思います。もう一度自分を生きてみようと希望と夢を持つことだと思います。人を愛することに何のためらいがありましょう。障害者という名のもとに、どうして余分の垣根が立ちはだかるのでしょう?もっと障害者の人格を尊重しなければならないと思います。頭から、精神障害者ゆえに結婚ができないとか、精神障害者ゆえに就職ができないとか、精神障害者ゆえに給料が低くてもよいとか、精神障害者ゆえに隔離すればよその人は安心だとかというのは間違いであり、大きな偏見と差別でもあると思います。
これでは、本当の意味でのノーマライゼーションにはなかなか近づけないと思います。
障害者は、もっと自然を愛し、人を愛することができるようにならなければならないと思います。
結婚も就職も障害者であればなおさら大事であり、それに向けて高い理想を持つべきです。
くりかえしますが、「障害も個性の一つ」として認め合う社会になるようみんなで努力していく必要があると思います。
岩手県
今、心の病になって大切な事は
男澤章浩
私が、心の病になったのは、18才の時でした。今、自分なりに原因を考えて見ると小学校時代につけられたあだ名が、人の輪の中に入れなかったのも一つの原因だと思います。たかが、あだ名ぐらいと思うかもしれませんが、自分の気に入ったあだ名ならまだしも私は、小学校時代少し肥満だったので、豚丸とつけられました。クラスの男子の生徒には、皆にあだ名でよばれました。何故かと言えば、クラスのリーダー格にあたる男子生徒に、自分の自己紹介の時でした。私が、言葉をつまらせた時、「あだ名を言って見ろ」と言ったので、私は、言う事に困っていたので、あだ名を言いました。私が、今、考えてみると私が、気にしないと思って、クラス全員の人が、あだ名で、呼びました。それは、あだ名が、中学校の時は、別のあだ名で、呼ばれ続けられ、それが、人の中に入れず真の友人を作れなかった事だと思います。やはり、私が、考えるには、自分が、やられていやな事は、他人にもやらないということだと思います。
友達が、作れなかったのが、あとあとまで、ひびきました。それは、高校卒業の時の進路にも影響しました。自分のなりたい職業を真剣に相談する友達もいなかったのも一つの原因だと思います。家で、薬店を経営しているので、ただ漠然的に、医療関係の専門学校に進もうと考えていました。自分の学力も考えないで、東京の薬学専門学校に進学しました。専門学校の講義は難しすぎました。高校時代の授業すら解らなかったのに、当然興味のない事は、長続きしませんでした。東京の学校の友達も、すごく大人に感じられ、自分は、何にもできないだめな人間だと思いこみました。東京にいるだけで、他人より何にもできない人間だと思い始め劣等感が強くなるだけでした。その内学校にもいかなくなり、自分の心が抑制できず、精神病院に入院しました。
最初は、何が、なんだかわかりませんでした。起きて見たら塀の中でした。自分は、びっくりして、暴れました。入院しても最初のころは、ごはん一食たべて、安定剤を飲んで、眠るだけの生活でした。当然、体も太ってきました。入院している時、少し具合悪い時でした。夜の薬を飲まなかった時、夜に回診がくるまで、体を横にして寝ても落ちついていられなく心臓が、苦しくなりました。薬の副作用が、あるから飲まなかったのですが、この事が、あるようになってから飲み始めました。春に入院して、笑顔がもどったのは、秋でした。病気も時が、たてば、解決してくれる事とはこう言う事かと思いました。19才の時、はれて退院する事が、できました。入院生活で、大切だった事は、入院している人達の心の悩みを聞いたりして、自分だけが、悩んでいるのではなくみんなそれぞれ悩みが、あって入院しているんだと思いました。
退院して、盛岡の叔父さんのビルサービス会社に入社しましたが、人間関係でうまくいきませんでした。会社の人で、若い人がいて、その人の事が信じられなくなって来て、ある時、コーラをだされた時でした。コーラに何か入れたのではないかと思いこんでしまい、2回目の入院になりました。3回目の入院する前も、建設機械製作会社に、病気の事を隠して働いていたので、上司の人に、「もっと早く仕事しなさい」と言われたので、一生懸命働きました。それも薬を一回しか飲まないで、体の調子が良くて、かるがるしくなり、仕事も朝8時から遅い時で夜の10時まで、働きましたが、無理が、たたって入院しました。このことがあってからは、薬は必ず飲むようになりました。いろんな試練と教訓があって、今の自分が、あると思います。現在は、週5日一関のゴルフ練習場の縁のもとで、汗をかきながら働いています。一関まで、片道一時間かかって通勤しています。私は、車の運転は、好きな方なので、あまり苦になりません。練習場で、働いた中で、仕事が、終って、社長に「お先します」と私が言って社長に「お疲れ様」と言われると、自分の心がうれしく、仕事に対するやりがいが感じます。やっぱり、何事も挨拶がかんじんだと思いました。
今は、自分自身地域の行事にも積極的に参加しています。私は、スポーツが好きなので、野球大会や卓球大会等楽しんで、参加しています。野球が、好きなので、南光病院の退職した方々と野球を練習しています。ゴルフも特に好きなので、練習場に行ったり、コースに行ったりしています。私は、好きな事や興味のあることは、だれにも負けないくらいとことんやった方がいいと思います。そこから良い結果が、出なくてもあきらめないで、自分の興味のある事を続ければ、良い結果が、自然に出てくると思います。良い結果が、でなくてもその過程が大事だと思います。
人生においても山あり谷ありだと思うのです。良いことも長く続かないし、悪い事も長く続かないと思います。何事も努力が大切だと思うのです。やっぱり病にかかって見て、薬の大切さと、あんまり体のストレスをためない事だと思います。自分が、少しでも気にかかったら主治医の先生と相談して、それに合った薬をだしてもらった方が、いいと思います。
最後に、病院で、お世話になった先生や看護師さん、保健師さん、作業所の指導員の方々など、お世話になり有りがとうと言いたいです。今後もよろしくご指導お願いします。そして、父や母もこれからも不平や不満を言うかもしれませんが、あたたかい目で見守ってください。今後も、いろんな試練があると思いますが、頑張って生活していくつもりです。どうもありがとうございました。
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