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私の中の日本
バーヌ・スリゴラシャンカ(スリランカ)
 
 私は、結婚後、すぐに来日し、日本での滞在は約2年半になります。日本での滞在は、私にとって大変、すばらしい経験です。私の夫は現在、神戸大学で経済の博士過程に在籍しています。私達は、1999年4月に結婚をしました。その後、夫はすぐに、スリランカを発ちましたが、私はスリランカに一人で残りました。結婚後、一人でスリランカに残ることは大変つらいことでしたが、幸い、夫が、すぐに、日本で共に過ごせるように手はずを整えてくれたので、夫が日本へ経ってから4ヶ月後の、1999年8月に来日しました。日本は、世界有数の経済大国であり、人々は、礼儀正しく、フレンドリーです。また、世界で最も美しい国の一つです。広島や長崎、奈良、京都や名古屋などは、来日時から私の心の中にありました。このような国にくる事ができて、大変、うれしく思いました。
 スリランカで、日本の有名なテレビドラマ、“おしん”を見たとき、私は、日本の人々は着物を着ているのだと思っていました。しかし、日本に到着をしたとき、着物を着ている人を見かけなかったので、残念に思いました。来日してから、夫が日本の文化や歴史など、様々なことを説明してくれました。そして、私達は、歴史的に重要な場所を訪れ、伝統的な日本家屋やお寺、日本の伝統的な服装をした人々に会うこともできました。私は、関西の中にある、重要な歴史的な場所を今でも鮮明に覚えています。奈良の東大寺、スリランカにある仏陀の黄金のお寺“ダラダ・マリガワ”を思い出させた京都の金閣寺、大阪城や姫路城などを訪れ、近代化を遂げた町並みと伝統あるものとの組み合わせを楽しみました。私の旅行はこれだけに留まりません。時間があるときはいつも、私達は少しでも多くの場所を訪れようとしています。中でも“青春18切符”を使って、様々な所へ旅行したことは忘れられません。私は、夫と小さな息子と一緒に、岡山、広島、宮島、福岡、長崎、東京、黒磯、長野、名古屋、伊勢神宮や琵琶湖へ行きました。旅行中、駅のお店で“うどん”を食べたり、色々なところで電車を乗り換えたことは大変、思い出深いです。こういった経験は、日本や、日本の歴史などについて理解を深める、とても良い機会になりました。先日、私は沖縄にいき、海で泳いだりしました。沖縄は、インド洋に囲まれた小さな島国、スリランカのようでした。私は、首里城、ひめゆり公園、王村にある水晶の洞窟などを訪れ、沖縄の魔法のような美しさに酔いしれました。私は、これからも、いろいろな所へ旅行をする計画を立てて、日本中を探検するつもりです。
 私は、大変幸いなことに“ココロネット”を紹介されました。“ココロネット”は、神戸の留学生やその家族を支えてくれるボランティアグループです。私は神戸で息子を出産しましたが、“ココロネット”のメンバーの方々には、ここでは言い表すことができない程、感謝をしています。“ココロネット”のメンバーのおかげで、外国人の入院や出産に関る法的な手続きなどを理解することができました。私は“ココロネット”のメンバーの塩屋でのパーティーや、芦屋でのお花見をまだ、覚えています。私が日本語を学ぶことができるのも“ココロネット”のメンバーがベビーシッターを手配してくれ、日本語の授業の間、私の息子、アビの世話をしてくれる故です。私が察するところ、アビの世話は、大変だと思います。これに関しても、心より感謝を表したいと思います。2月に“ココロネット”によって開催された着物試着会へ参加したときに、私の夢は叶いました。“おしん”のテレビドラマを見て以来、私は、日本の伝統的な衣装である着物を着てみたいと思っておりました。これも、“ココロネット”のお陰で、大変、満足しました。私の日本での生活は、いつも“ココロネット”と一緒です。そして今、“ココロネット”は私の日本での生活の一部でもあります。母国から離れた場所で暮らすには、言葉はもちろん、地域のことをより深く知ることが大切です。このような“ココロネット”の活動と様々な地域への訪問は、異なった文化、言語や伝統の国で生活をするために、大きな自信を与えてくれました。日本の人々は大変、フレンドリーで、人を助ける心を持ち、礼儀正しく、勤勉で、規律正しいです。これらが、世界における日本の成功を導いた一つの大きな理由だと思います。
(原文日本語)
 
神の名において
ハジャル・ババイ(イラン)
 
 3年半前日本に来たとき、私が日本について知っていたり、想像していたのは、“おしん”や“さむらい”映画で見たことだけでした。でも実際は、私の想像とは違っていました。
 最初の6ヶ月、私は日本語が話せないし、1歳の娘がいて日本語クラスにもほとんど行けなかったので、家で娘と時間を過ごす方がよいと思っていました。実際日本人とはコミュニケーションがありませんでした。そのころは日本語を勉強する必要性も感じていませんでした。
 半年後、ココロネットのメンバーが神戸大学インターナショナル・レジデンスの茶話会が終わった後、私の部屋に来てくれました。私たちは英語とほんの少しの日本語で、意思を通じさせることができました。それが日本語を真剣に勉強し、日本人と関係を持つ、よいきっかけになりました。それから私はココロカフェにできるだけ出席して、日本の人々、日本文化、着物、食べ物・・・などについてもっと楽しんで学ぼうとしました。
 今、ココロネットの方たちが、何と親切できちんと訓練された人たちであるか、わかります。そして何年か後、再び日本を訪れる機会があればと願っています。
(原文英語)
 
私と心ネット
宋 知賢(韓国)
 
 私の日本生活の中で、ココロネットは欠かせない存在となってしまった。約2年前、夫の留学のことで来日して始まった、生まれて初めての外国生活! 私のできる日本語なんて、“こんにちは”くらいだった。夫は自分の研究よりも、私の日本生活の定着にもっと気を使わなければならなかった。そのとき、ココロネットとの偶然の出会いは私の生活をさびしいものから楽しいものに転換してくれた大きい出来事であった。週2回の日本語教室は、私のような外国人の主婦ばかり! お互いに言葉の壁はあったものの、同じ状況におかれている同一感一つで我々はすぐ打ち解けることができた。
 言葉だけでなく、日本の文化、生活の知恵などを一生懸命教えてくださった先生たちのやさしい心配りは忘れられない。英語混じりの丁寧なご説明は私たちの理解を助けてくれるのに十分なものだった。授業中、自分達の国のことを日本語で紹介する機会を一人一人に与えてくださったことは日本語の上達はもちろん、自分の国のことを真剣に考える機会ともなった。本場のカレーで自分の料理文化を紹介してくれたマレーシアの友たちの手料理は今にも忘れられないとても印象的な味だった。
 一年間のコースが終了した今も、年何回も行われる遠足などに誘われ、夫とともに参加させていただいている。お魚の大きさに驚いた大阪の海遊館! 来日初めての大阪へのお出かけだった。JR六甲道で集まって、電車やバスといった大衆交通での遠足は本当の遠足の気分を楽しむことができた。日本の伝統文化を肌で感じた京都! 本や写真でしか見ることができなかった清水寺や日本庭園などは、海遊館の時とはまた違った日本を発見できた。世界文化遺産の姫路城! 秋の紅葉の姫路城は本当にきれいだった。汗をかきながら、のぼった姫路城は少し大変だったが、昔の人々の知恵を教わる貴重な機会だった。世界一長い明石大橋! あいにくの雨の中、通りすぎた大橋は、少し怖かったが本当に長かった。淡路島で鑑賞できた日本伝統人形劇(人形浄瑠璃)は今も友たちに自慢している。3人で息を合わせて一つの人形を操ることで、様様な動きや面白い表情などを作る技は感動した。
 ざっと振りかえってみてもこれだけ多くて楽しい思いでいっぱいの遠足! これらの遠足は私たち夫婦の一年の楽しみでもあるし、日本の文化遺産や伝統などを直接目にして体験できる貴重な機会である。
 一般的に厳しいといわれる外国での生活において、ココロネットは私の生活の一部であって、大きな力になってくれる。この場を借りてココロネットの皆さんに心からの感謝の気持ちを伝えたいと思う。(原文日本語)
 
不思議の国、日本
ブリチュ・ビアンカ(ルーマニア)
 
 現在の各国について考えてみたら、一番話題にされるのはやっぱり日本です。それなのにいくら話題にされても西洋人にとってはこの文化はだいぶ異なって、不思議さが印象に残ってしまっているといわれています。
 来日する前、日本は4年間夢の国であって天国のイメージがしていました。いろいろな日本について書かれた本を読んだりして段々興味深くなりました。その中で一番関心を持ったのは日本人は社会の善のために自我を犠牲にして生活するということです。さらに日本人は自然と共存するということもとても面白いと思いました。
 今は一年たって日本に暮らしながらいろいろ経験しました、がまだはっきり日本の定義ができません。でも幸いなことに読んだ本から構成されたイメージとおおまかに違うということは言えません。
 友達はいろいろな本を読んだりして日本人は人間じゃないと思い始めています。日本に来て驚いたのは日本人は人間というよりも超人間的だと思いを変えました。前の話に戻って、多分日本で住み終わるまでびっくりし続けるかもしれません。初めての週は、食べ物の種類はぜんぜんわからなかったしとても高いと思いましたので毎日おうどんと野菜しかたべなかったのです。それで道をふらふら散歩しておじぞうを見て、日本人は石に祈って変だなあと思いました。そとに出たら海の臭いがして、お店に入ったら魚の臭いだらけで大変だと思いました。でも日本人の顔を見たら安心しました。どこに行っても親切にしてくれたり、道を歩くと好奇心の強い目で見られていい感じがしました。それにしても「いらっしゃいませ」といわれた時、怖くて逃げようと思っていましたが、今はだいぶ慣れてきました。けれどもまだちょっと恥ずかしいです。そして好奇心のおかげですぐ友達ができました。すぐできた友達をなくしてしまって、今は二人か三人の日本人の友達しかいません。けれどもそれでも非常にうれしいです。また日本人のことに驚いたのはボランティアということです。わが国ではお金を払わなくては友達以外に何もしてもらえないという考え方があります。日本で茶道とか生け花とか着物を着る体験などをプレゼントのようにしてもらって、そのことについて両親とかルーマニアの友達にいったらみんな信じられない、こちらでほんとに天国のようだといっています。
 うちの夫も日本に来たあとは日本で留学生の地位であればいろいろいやな経験から保護されているということに気づきました。
 もうひとつ話したいのは日本で行った場所です。銀閣寺や竜安寺や東大寺とか彦根城や姫路城にある庭を見たら、あの美しさに心が感動して泣きそうになるぐらいです。でも町を歩いたらどこでも進歩の特徴の醜い建物や道路に気がついてちょっと悲しくならずにはいられないです。決まった歴史的な場所は非常に美しくて面白いですけどちょっと近所へ出て散歩しようと思ったらあまり散歩の気分になれないです。それは近所にお寺とか神社がない場合だけです。お寺とか神社さえあればすぐ面白くなります。はじめてお祭りに参加した時、近所のお寺でした。おみこしを運んだグループのそれぞれがくるしくてつかれて汗をかいたままの顔を見ながら二つのことがわかりました。ひとつは自分の力はほかの人々と結合したらすごい力になることがわかりました。また、どんな宗教でも犠牲が必要ですが、日本のお祭りの時のように自分がなくなる場合だけ他のグループとひとつになれることもわかるようになりました。
 つぎは仕事をする時日本人がとても真面目だと思います。ですからこそ日本では何でも便利で完璧に働きます。外から見るとこの便利さはとてもいいことだと思います。けど毎日同じことを言ったりやったり、仕事をしている人々の側から見れば非常に大変だと思いはじめています。日本の社会は完璧に働きますけどそれぞれの日本人の心はどうでしょうかと考えずにはいられないです。いくら自己犠牲に関心を持った私でも日本人のように暮らすのは無理なようです。自己主張と自己犠牲はどっちのほうがいいかと疑問に思います。(原文日本語)







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