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自閉症児に教えられて 新潟日報 平成12年7月6日
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「青りんご」に一層のご支援を 新潟日報 平成13年10月12日
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4.作業所/喫茶の四苦八苦
=作業所のめざすもの=
作業所長 中村宮子
はじめに 就労の場としての喫茶店
地域で親子が一緒に暮らしたい。そのために就労の場を作りたい。という願いから実現した市立図書館内にある喫茶「青りんご」を素人である会員たちが本当に運営することができるのか、当事者である会員全員が抱えていた不安をどう取り除くかが最初の課題だった。何しろ行政からの支援をいただいたのではなく、市が行なった一般公募に“捨身”で応募し「勝ち取った」就労の場であり、会員誰一人として経験したことのない事業であったから。
自分たちの作る物に消費者がお金を使うだろうか? 店を継続するだけの運営はできるだろうか? 障害者の居る店に地域の人たちが来てくれるのか? 不安の材料は山程あり、尚かつ当時のボランティアとして関わっていた人々からさえ「うまくやれると本当に思っているの」などと終始言われ続けた。
資金をどうするのか、という問題から解決することにした。
多くの市民に私達の理念を訴え、理解を求めその証としてカンパをお願いすること。喫茶室での労働はもしもの時(つぶれる)を想定し、会員内部の人で済ませることにした。常勤者、非常勤者を決め、調理とお菓子製造の練習を始め少しでも自信を付けるためと宣伝をかねて、焼き菓子の製造販売に取り組んできた。といっても、製造場所も許可もない時なので、関わりのある養護学校や近くの保育園に試験的に売らせていただく程度であり、作る場所も会員の台所とリビングを作業所として使った。もちろん、接客や喫茶店での細々とした練習は実際に新潟市古町の喫茶店にお世話になった。
こうしてあちこちから同じ障害児(知的障害に限られていない)を持つ親達から期待が寄せられるようになった頃、いよいよ開店となる。前日の一足早い会員による開店セレモニーにはほとんどの家族が一緒に参加してくれた。この子もここでいつかは働けるかもしれない、ここなら家族で来て少し子供が騒いでも叱られない、等などの思いを抱きながら集まったという。スタッフ会員問わず全会員にとってもっとも晴れがましい一日となった。
図書館開館式典の日(平成12年11月1日)、華々しく行事が繰り広げられた後図書館の建築設計者である安藤忠雄氏が入館する。入り口左側にある喫茶/市民交流の場には目もくれずに市長共々通り過きて行った。当日、安藤氏が休憩用のホールで飲んだコーヒーは当店の煎れたものだったのは気が付かれたものであったろうか。すでに私達は安藤事務所の担当者と打ち合せを行なっていた時点で、安藤氏がこの喫茶コーナーを快く思っていなかったこと、「市民要望」に押し切られた形となっていたことを聞かされていた。私達は安藤氏が好きだというバッハの曲までかけてお待ちしていたのだが、茶番をしただけとなった。
養護学校生の実習
スタッフ会員が他人の障害児を受け入れにくい?
私達が、喫茶室の運営を実際に取り掛かるとすぐに、目的とした就労の場としての取り組みが試されることになった。すでに一月くらい前から会員の家を借りてケーキ作りなどの作業を一緒にしながら実習生を受け入れていたのだが、いよいよ店で実習となると喫茶室でどのように「仕事」をさせるか、どの程度ならこなせるのか、当然市民=お客さまの反応はどうか、などあれやこれやを考えることになった。
受け入れた高等部の子供たちは2・3年の女子2名、男子1名の計3人であった。これから約1月、作業所長として私が彼らと過ごすことになった。ここで初めて、同じ知的障害を持つ親達が他人の子供に対して「敵意」さえ感じているのではないかと思うようになった。親達が実習生に対して隠しようもないそのような行動をするようになるのだ。
私のような夫が障害者で子供は健常者という組合せの者には不可解な感情と受け流し障害者施設での経験のあった若者を有償ボランティアにお願いし、午前の2時間を30分は遊び、1時間半は作業指導として実施してきた。
店で働いている親達が自分の子供達の未来の姿でもある実習生に対し、遠くから観ているだけで時折声を掛けるだけなのだ。そんな中、別な有償ボラのNさんがジュースを出してくれるなどのサービスをしてくれたのがささやかな喜びであった。やがて新年を迎えた頃、会員外の養護学校卒業予定者のM子さんの体験学習の依頼がくる。その子の親はどうしても子供と一緒に暮らしたい、そのために歩いて通える市内の就労場所をつよく希望していた。しかし、それまでは他の団体に加入していた親であり只でさえその会からは「青りんごは自分たちを分解させるグループだ」等といわれている中で、実習もそこにお願いするべさではないかとお話ししてみた。その作業所は満パイで通所はできないと断わられた、という。私としては断る理由は無くなった。が、M子さんと同時にすぐに卒業予定の実習生2人のことも気に掛かる。できれば、3人一緒に受け入れる事が実現することがいちばん望ましい形でもあったが、「相性」の問題もある。
それにしてもM子さんに対する親達の反応は「拒否」に近いものだった。「同じ知的(障害)でもダウン(症)はダメ」というのが最初の反応であり理由であった。顔が、特性が、理由付けは様々あったが理解出来るものではなかった。かといって、そのまま放っておける問題でも無かった。すぐに説得を始めたが、納得してくれたとは思えなかった。
子供たちの喫茶への就労については、いよいよ判断が求められる時期になった。先の2人については4月からの就労を望むのであれば、冬休み、土日、春休み「練習」に来るよう通知したが返事のないまま新年を迎えることになる。M子さんだけをテストを兼ねて「体験学習」として受け入れることとした。M子さんと一緒の時間を過ごしながら、そこに働く親達を説得することが出来ればよい、というのが私のねらいでもあった。
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