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3.母親会員として 通所メンバーの思い
母のつぶやき
小出正子
我が家には、ごく普通の暮らしというものはありません。知的障害、殊に、情緒障害に重いハンディを持つ娘二人を抱える毎日は、皆さんの思い及ばない程壮絶です。「天使」でいてくれることは、ごく僅か、言葉がなく、こだわりを持つ、やんちゃ盛りの「悪魔」達。でも、可愛い笑顔で、大好きな歌を口づさみ、真直ぐな瞳で私を見つめる時は、かけがえのない「天使」達。その一瞬があるから、なんとか暮らしていける。そんな毎日です。
もちろん、行き詰まる事はあります。早めに手放して、施設に入れた方が〜と。その一方、何とか、少しでも長く一緒に暮らす方法はないだろうかとも思っていました。そんな時、青りんごの会(当初は、養護学校親の会)を創ろうという話がありました。主人も私も豊栄の出身でなく、親戚もおりません。その上、障害児を持っていれば、当然、人間関係は、限られたものでしたので、子供の為、また、私の為にも、幅広く社会参加し、市民の理解を得ることは大切と、賛同しました。
創設間もなく、会計を担当することになりました。まずは、喫茶店のオープンという大きな目標を掲げ、皆様からの賛助会費等、大切なお金をお預かりし、開店準備や、資金造成の為の、お菓子作りに役立たせていただきました。材料の仕入で、地元の商店さんとのおつきあいが増え、お菓子の販売では、懐かしい先生とお会いしたり、新しい出会いもありました。また、図書館の職員の方、喫茶店に来られるお客さま、様々な方に、会活動を通して「私の子は、障害を持っています。」と言えたのは、私の中では、革命でした。子供を連れて歩いていても、自然で、暖かい目が、多くなった気がするのは、嬉しいことです。
開設二周年、作業所も本格始動。喫茶店も新体制で出発しました。今後とも、皆様のご協力をいただき、私の子が成人する頃には、理想は大きく、入所施設を含んだ、福祉ゾーンの完成を目差していきたいと思います。
スープではなく、娘達の大好きな「おでん」の冷めない距離に、親が住めるのを夢見ています。
自分が“青りんご”に来て思ったこと
山田忍
自分は、“青りんご”と名の付いている作業所に居る でも、それはそれは結果的に“作業所”であって、新発田ハローワークでの“9月17日に有った”障害者就職促進会の結果だった。
まあ、文章の頭っから「結果的・結末」では、作品(文章)としての観えは良くないかもしれないが最終的に思い当る節(ふし)が他に無いからだ。
前の会社は、神奈川県横浜市都筑区川和町のクリーニング業だった 会社の仕事は、シャツなんかの衿の型直しだったが今、考えてみても然程問題は無いようだが・・・有った。
冬の気候は、良いが、問題は夏の気候と会社のボイラーだった なぜなら、夏場の会社内の工場の室温なんか約54℃頃で片手に汗ふきのタオルが無いと、職務遂行不可だった
そんな会社でも、年に1回本社総合ビル内で開会される「管弦楽団」の音楽鑑賞会と、ビル40階頃から見えた、巨人VS横浜の試合だ 順序としては、野球→管弦楽です
以後(鑑賞会終了)自分の気持ちは、一二分に、感無量寿経の世界?・・
(感無量は、良いとしても“寿経”は、造り過ぎ?
そんな、会社も2年程で父の事(病症)も先が無いようにも思えるので、新潟に帰りました。3年間の落ち武者生活、後に青りんごの中村様(豊栄市作業所)に拾われた。自分の思いでは、行く所まで来てしまった感じが、有ったのでしかた無く青りんごに行くようになったが、二重障害者(身体+知的)の田中さんに障害者こしても、人間の営み(考え方)を知った、だから、今、自分は、青りんごに居(い)る。
笹原三智子
朝10時に行きます。あいさつをしてコーヒーを飲みます。セサミツイストを作りました。私はねじる仕事ができないので天板の上にならべる仕事をします。お昼はみんなで弁当にみそ汁を食べました。午後から玉川さんと小やなざさんと小川さんと私でかやま保育園にドーナツとセサミツイストとクッキーとケーキを売りに行きました。
コーヒーをごちそうになって来ました。みんなで3時に紅茶を飲むのが楽しみです。
(漢字はそのまま使いました。)
※笹原さんはお母さんと一緒に週2日やってきます。所長が新潟日報の窓欄に投書したのを読んで、翌日二人で作業所にやってこられました。お母さんと一緒では困ります、と申し上げたのですが、はじめはお母さんにもお手伝いをいただいて作業所も助かったような状態でした。
今、お母さんは図書館などで3時まで三智子さんを待っています。
青りんごとの出会い
渡辺孝子
私は、長年家の中の事をやりながら、ハローワークが開催する促進会に参加していました。今回も会場へ行って係の方から「今日は、青りんごの会の人も来ているからどうですか受けてみてわ」と進めて下さいました。そこで、私も「話だけでも聞いてみたい」と思い面接を受けました。
促進会のあった夜に両親に「青りんごの会に面接して来た」と話しました。そしたら、今までとちがう反応だったのでびっくりしてしまいましたが私は、心の中で安心して、数日後に私とお母さんの二人で作業所と喫茶を拝見させていただきながら、所長さんと事務局長さんから、仕事内容の説明を聞かせていただきました。
私にとっては、今までとは全ったくちがうお菓子製造から販売のほか喫茶の仕事も一部やりながらと言った事は、初めてのけいけんです。「さまざまな障害を持った人が動ける場所として行く」と聞き私は通所を決めました。
通所してから人数も多くなり、ぐうぜんにも友達とまた出会えました。今通所している皆さんの障害はそれぞれちがいますが体も心もあったくしてくれる一つの場所です。そしておいしいお菓子作りもやれて、とてもためになっています。今はいろんな事を覚えながら、そして、青りんごの皆さんともずっと良い仲間でいたいと思います。
人を思いやる心を大切にしたいです。私は、青りんごに通所出来て本当に良かったです。
「青りんごの会のようなあたたかい人のぬくもりのつたわる」場所が多く出来る事を願いつつ毎日笑顔でたのしいお菓子作りと販売にがんばっています。そして、喫茶の仕事もやっています。
ちいきの皆さん会の皆さん喫茶の皆さん、所長、事務局長 しどう員さんあたたかい心と手とそして、長いめで私達を見守って下さいますようにお願いいたします。
所長、事務局長、しどう員さん、これからもよろしくお願いいたします。
青りんご作業所に通所してみて
田中孝幸
作業所巡りをしていて、自分に適した作業がなかなか見つからなかた
とよさか市役所の、ふくしかでどんばすさぎようしょをきいたがわからなかた
どんばす作業に行くつもりが青りんごの所長さん、中村さんの所でとつぜん所長さんにおはなしをした
いつのまにか青りんごにはいってしまいました。自分の目ひょうがかなえることできる一ばんの所であり(さいごはわかりません)
さいごの、ばしよであり
かこの、ことを言ったってみじめになるだけ
こんごは、げんざいみらいをたいせつにして、さぎょう所をみなさんと仲よくしようじゃありませんか。
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