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北前船(きたまえぶね)・冬支度(ふゆじたく)とさまざまな仕掛け
●北前船の冬支度
 北前船(日本海の弁才船の1種)は、毎年春から秋にかけ、大阪と北海道の間をおよそ2往復していた。冬が訪れると日本海は大荒れになるため、北前船の運航は中止され、船は陸に揚げられたり大きな河川の河口の岸辺で繋留(けいりゅう)されていた。この時節になると、船は帆柱が倒され、カヤなどで苫囲い(とまがこい)した。
 
●弁才船の形とさまざまな仕掛け
 江戸時代に発達した弁才船は、ロクロを使って陸に引き揚げたり、潮が引くと着底するような浅瀬に繋留することが多かった。このため船底が平らであり、帆柱を倒したり、舵を引き揚げ船内に収納することができる。船尾が大きくそり上がっているのは、陸への揚げ降ろしで船体を破損させないためであり、航行時の前方確認の必要から生まれた姿といえる。
 これらの作業は船内に2台あるロクロを使って行う。人力で回転させ綱と滑車をうまく使えば、テンマ船(小船)や荷物の積み降ろし、碇(いかり)の引き揚げまで何でもこなせた。弁才船は便利な仕掛けをたくさん持っていた。
 
春・北前航路の再開(柱立てと舵降ろし)
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ケンペル「日本誌」の弁才船・船尾の図(日本海事広報協会「江戸海運と弁才船」より)
船体と垣立の間から2本の櫓(ろ)を出して漕いでいる。港内で船の向きを変えている光景であろう
 
*大阪・安治川橋
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(新典社版 名所図会叢刊3・摂津名所図会より)
*
安治川橋の川港、上の図の中央の船は帆を降ろしながら、竿を使って所定の場所に入ろうとしている。右下から2艘目の菱垣廻船は、帆柱を倒している。
 
佐渡・小木港の帆印
 弁才船の帆を見るとさまざまな黒い印がついている。これは帆印といい、沖から入港してきた船の帆印を見ただけで、どこの誰の船か判別するための印である。
 
宿根木村・幸栄丸
 
宿根木村・住吉丸
 
小木湊・亥日丸
 
宿根木村・天神丸
 
宿根木村・長龍丸
 
宿根木村(船名不明)
 
宿根木村・権現丸
 
宿根木村・明神丸
 
小木湊(舛屋弥右衛門船)
 
小木湊・天神丸
 
Preparation for The Winter
When winter came and Japan Sea grew violent, kitamae-bune (a Japanese-style wooden ship that sailed Japan Sea) service was cancelled. During that time, the mast was brought down and the rudder was drawn up and housed inboard. A Japanese-style ship developed in the Edo Era had some useful devices so that it was easily pulled onto the land for housing and repair, In addition to the demountable mast and rudder, it had a flat bottom and also an upward curved stern, which prevented it from getting damaged when drawn up to the land.







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