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「私がやっていること、やろうと思っていること」
 現在健康増進の一役を担う仕事に携わっています。付合いも深くなってきますと、多様な相談を受けることがしばしばあります。こんなとき専門的な視野にたって、的確なアドバイスができたらとの思いで受講しました。人間誰人も、生涯に夢と希望をもって、努力はするが思うようには行かないことが、取り返しのつかないことにもなってしまい、もはや自分で解決できなく悩みは大きくなるばかりです。様々な問題で悩んでいる方へのカウンセラーとしてクライエントの思いを十分聴き、それを共感できることにたくさんのことを学ぶ努力をしなければなりません。
 ありのままの自分の立場を、状況を見つめ、安定した状態を常に保てるようにしなければと考える。不安定であれば、健全な思考も働かずクライエントの問題を、的確に捉えることはできないと考える。多くの経験をつむことにより、解決出来ると思う。
 自分は人に対して親切と思いやりは人一倍と自負しています。反面自分の考えや感じ、多少の経験など同感したり、涙もろくて同情に流されやすいところがあります。
 カウンセラーとしてクライエントがどのような心でものごとを見ているのか、又訴えに対して、素直にクライエントと共に一緒に考え、クライエントに変化と問題解決のチャンスを与えられるよう多くの経験をつむこと、先輩からのアドバイスも重要と考える。状況判断をよくよく見抜いて、問題解決の糸口を深め、解決の方向へ進展するようにならなければと思う。同時に進退の健康維持へのアドバイスと実行(体操、マッサージ等)も良いのではと考える。
 実際カウンセリングが始まって、自分が常に心のゆとりと整理、目標は何であったのか、どれだけ共存しながら目標に近づいたか、達成されたか再確認するゆとりが大事と思います。その時、思うような進展がなかった時には状況を見定めながら、確認しあってカウンセリングの方向と、もう一度明確にする。最終的にクライエントが生活しやすく、いつも心地よい環境と状況が得られ、両者が問題解決に満足し合意の上で終わることができると最高と考える。
 資料 「カウンセリングがわかる本」
 
「夏休みのレポート」
 カウンセリング講座に参加して、人間の人生に深くかかわることなので「それなりの知識や経験や感受性」が必要ということばにこのままの自分ではいけないんだ。自分で学ぶことが大切で自分なりではなく知識や経験を高めた上での自分なりでなくてはいけないと思うようになりました。「いま出来ること」それは母親であるという経験を生かすことだと思う。
 
人間は・・・
 生まれて最初に関わりをもつのは母親であり、スキンシップの第一歩にオッパイをもらう、抱かれる、おんぶされるなどがあり、それは時間がきたから乳を与えるとか子どもが眠ったから遊びに行くなど、機械的態度であってはいけないと思う。
 基本的な心を築く上の触れ合いによって生まれる母子関係であり、それが人間関係の第一歩である。
 だからといって、全て母親の責任ということではない。白紙の状態で生まれてきて、それにいろいろな刺激が加わって色づけされていき、その色づけのされ方がその人の特徴になっていくのだからお互いに刺激をあたえながら成長していくものだと思う。母親に成長できるのも子どもや周りの人の力が必要なのです。
 
私には2人の女の子がいます。
 子供が社会人となった今、いろいろな事や考えが話し合えます。長女が「お母さんは私が大学に受かったときにあまり嬉しそうではなかった。」と言った時に「う〜ん!」と言葉につまってしまいました。2人ともオッパイだけで育った為か?人見知りが激しく同居しているおじいちゃんやおばあちゃんにもあまり懐かず、上の子の変化で妊娠に気付くほどでした。
 小学校のころ「食欲のない子供は何事に対しても消極的でだめですね」と言われ一つの方向でしか見ることができない先生に「だめな子」と言うレッテルをはられてしまった。3年になり初めて男の先生が担任となりそれから自分を出すことができるようになってきた。小学校6年の夏休みに私立の中学にいきたいと言い出した理由はクラスメイトが毎日一緒に行動しないとお姉ちゃんが来て脅すようになり、その子から離れたいからだという。問題から逃げることではないか?とずいぶん考えたが・・・
 親友と言える友達が出来、学校が楽しかったので受験してよかったのだろう。高校2年になり突然「過呼吸」で倒れ、病院で「何か学校でいやなことある?」
 検査の結果、どこも悪い所はないので精神的なことでしょうと言われる。進路の事や部活のことで悩んでいるようだが病状が出るとは思っていなかった。6年間バスケットをやれたこと(過呼吸になってからはマネージャーとなる)進路が決まったことで自信がついてきたのだと思う。ケロッと良くなった。中学入学の頃はこのまま付属に行ってくれればいいと思っていたはずが周りと比ベランクをつけて子供の為ではなく自分の満足のため、親のエゴが出てしまったと反省している。ある意味でこうやって話し合うことが出来て親としてもホッとしている。
 学習をするということは勉強が出来る出来ないということではなく、人間関係であったり、社会性であったりで色々でいいのだし、それが悪い学習、効果のない学習であれば、改めてやり直せば良い。講習を機会に自分を知ることから始めたいと思います。
 「いま出来ること」は私の持っているエネルギーを少しわけてあげること!!
 
(2001訪問カウンセリング課題)
「生きがいと訪問カウンセリング」
◎はじめに
(1)カウンセリングに興味をもってから6年余になります。カウンセリングの基礎から始めて、「家族カウンセリング」や「電話相談」を経て、現在の「訪問カウンセリング」にたどり着きました。
(2)もう直ぐに定年です。この6年余のカウンセリングの研修にて、今後の取組み目標が明確になりつつあります。主体は家族の相談相手、特に「ひきこもり」家族に対するボランティア活動です。
 
1. なぜ、「ひきこもり」への対応を主とするのか
(1)現代の家族は伝統的な多世代同居の減少、血縁・地縁による相互扶助・支援の弱体化等によって多くの問題を抱え、核家族は孤立化している。家族を襲う混乱・孤立・暴力などの危機に対してカウンセラーの援助は簡単ではないが、勇気を持って立ち向かうべきことであると認識している。
(2)独立したカウンセラーの活動分野としては、薬物療法や特別な収容施設とかが必要ないこと等が望ましい。この観点から、「ひきこもり」は対応するに都合のよい対象かと思われる。
 
2. 「ひきこもり」についての現状認識
(1)現在、「ひきこもり」を抱える家族は全国で20万とも、60万とも言われている。
(2)ある調査では、最初に問題が起こる年齢は平均15.5歳 ・初診時の平均年齢は19.6歳 ・調査時の平均年齢は21.8歳 ・圧倒的に男性に多い ・最初のきっかけは「不登校」が68.8%と最も多い ・友人関係に乏しく、特に異性との交際経験が全くない者が78%、対人恐怖症状は67%に見られた ・昼夜逆転傾向の者は81%、不眠のために睡眠薬を使用した者68% ・アルバイト以外の就労経験は殆どない ・家庭は中流以上で、離婚や単身赴任などの特殊な事情はむしろ少ない ・家庭内暴力は一過性のものを含め51%の症例で認められた ・幼児虐待を受けた事例は殆どない
[調査は、ひきこもり状態が6ヵ月以上持続し、精神障害が第1原因とは考えにくいものを対象*1]
[参考]小中学生の昨年度の不登校は13.4万人。(米国では在宅学習者が200万人規模)
・H4年度不登校だった中学3年生・・・5年後に、就労62%、就学28%、就労就学共にせず23%。
・昨年度の小中高校生の校内暴力は34,500件。いじめ発生件数30,918件。高校中退109,146人。
(3)「ひきこもり」は心因性の障害であり、そのきっかけは挫折体験(成績不振、受験の失敗、友人との不和、失恋など)とか、いじめられ体験などの「外傷体験」である。[*1]
 
3. 「ひきこもり」にどのようにアプローチするか
(1)「ひきこもり」を抱えた家族のIP・両親等・社会との「対人関係の悪循環」を解消するため、カウンセリングによる援助活動を実施する。
(2)活動の主眼は、先ずは「信頼関係」を作り、「コミュニケーション」を回復することである。
(3)ひきこもっていた若者の社会復帰までの「たまり場」を作りたい。
 
4. これからの課題
(1)「ひきこもり」は20〜50回訪問しても社会復帰実現は低率であろう。継続する意思力が問われる。
(2)予防は治療にまさる。では「ひきこもり」予防の対策とは何であり、どう取り組むか。
 
◎おわりに
 「上農は草を見ずして草を取り、中農は草を見て草を取り、下農は草を見て草を取らず」は私の座右の銘の1つである。今後もこの考えを忘れずにボランティア活動を実行でき、これが自分らしさを生かした活動であることを願っている。[参考資料:*1:「社会的ひきこもり」斎藤環著 PHP新書]
 
子ども・親・教師を支えるカウンセラー
 不登校になって一番つらいのは本人であろう。しかし親の苦しみや教師の不安も大きい。親や教師の心が不安でいっぱいということでは、子どもは救われないような気がする。子どもはもちろんのこと、親、教師をフォローする立場としてもカウンセラーの存在が必要だと思う。以前小学校で子どもたちと関わっていたとき、強く感じたことである。
 
 私のクラスのA子ちゃんは、小学2年生の10月学校に来られなくなってしまった。突然だったので、母親も私もわけがわからなくて途方にくれてしまった。しかし最後の日に書いてきた日記がヒントになり、A子ちゃんの気持ちが少しずつわかってきた。その日記には
「せんせいごめんなさい。わたしはとってもふあんなのです」
と書いてあった。A子ちゃんは学校を休むと親や担任が困るだろうと思っていたようだ。まだ2年生なのに、まるで大人の気のつかいようである。母親との話し合いを重ねていくうちに、A子ちゃんはいつもいろいろなところに気をつかっていい子にしていなければ愛されないと思っているのではないかというところにたどりついた。そこで母親は妹よりもA子ちゃんとスキンシップをとるように心がけて、愛情を伝えるようにした。私も電話や手紙で話した。また、なんでもできて当然という目でA子ちゃんをみてきたことを反省した。
 3ヶ月がたち、A子ちゃんは少しずつ元気を取り戻して学校にかえってきた。母親と私の対応がよかったのかどうかはわからない。しかし、このことで母親と私のA子ちゃんへの関わり方が変わったことは確かだ。A子ちゃんも変わった。以前よりも肩に力を入れずに生活できるようになった。
 私の学校で不登校になったのは、A子ちゃんのようにいわゆる「いい子」が多かった。「いい子」にしていることに疲れてなんらかのきっかけで緊張の糸が切れてしまったのかもしれない。「いい子」のつらさが伝わってきて悲しくなった。
 A子ちゃんが欠席していた3ヶ月は、母親や私にとってもとても長い3ヶ月だった。母親はこの先どうなってしまうのだろうと心配し、A子ちゃんの気持ちに寄り添えるようになるまでだいぶ時間がかかった。私も「どうしたらいいですか・・・」と母親に泣かれてしまうと不安でたまらなかった。私は初めての経験だったのでどうしていいかわからず、他のクラスの先生はもちろんのこと、学校の外に出てカウンセラーの勉強をしている方に相談した。周りの方々のお力をお借りしてやっと方向性を見出すことができた。もっと深いものを抱えている子どもだったら、母親と教師だけではどうにもならないと思った。親や教師は子どもとの距離が近すぎるので平常心を失い感情的になってしまうからである。専門知識のある第三者に入ってもらい、違った視点からみてもらう必要を感じた。
 親が理想を押しつけることなく、そのままの自分を愛してくれたら幸せである。教師やクラスの仲間が本当の自分の良さを認めてくれている。そんなクラスにいる子どもも幸せである。どちらにも恵まれている子どもは不登校の苦しさを味わわなくてすむかもしれない。しかし、不登校に陥ってしまったときは、親、教師の子どもへの関わり方を見直さなければならないだろう。それにはカウンセラーの力が不可欠ではないだろうか。母親・教師・カウンセラーそれぞれに大切な役割があり、三者がうまく関わりあうことが大切だと思った。自らの教師生活を振り返ってみると、子どもと毎日関わる立場でありながら心の問題について勉強が足りなかったと反省している。教師はカウンセラーに匹敵する知識を持ち合わせていなければ心の問題を抱えている子どもと向き合うのは難しいと思った。
 不登校はいけないことであろうか。私はそうは思わない。本当に恐ろしいのは、子どもが本当の自分を見失うことだと思う。学校がもしそのような場になってしまっているのなら、不登校になっているほうがいいと思う。不登校が子どもにとってむしろ自分を知るきっかけになればよいのではないか。子どもが悩み、学校に行けなくなっても、周りの大人は世間体やプライドなどの些細なことにとらわれず子どもの本当の幸せを考えて行動しなければならないと思う。学校に戻れたとしても、問題すべてが解決したとは限らないことを忘れてはならない。
 
 小中学生の不登校は昨年度13万4千人に達したという。(2001.9.8朝日新聞)学校だけで問題を抱え込むのではなく、カウンセラーやフリースクールなどの民間施設の力を借りて取り組むべきだと思う。今後スクールカウンセラーも学校に配置される。少しずつそうした動きがひろまっているのはうれしいことである。親の「特別なところに相談する」という意識も薄らいでいくであろう。カウンセラーやフリースクールがもっと身近に感じられるような世の中になって欲しい。
 親・教師・カウンセラーの距離を縮めて子どもに寄り添うことが、子どもの心をひらく近道だと信じている。







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