日本財団 図書館


第5章 まとめ
 各曲の細かな考察は、これまで述べてきたので、ここではこれら三曲について手短にまとめるとともに、今後の研究の方向について展望したい。
 
 本研究は、地歌の旋律の上がり下がりと歌詞に用いられた言葉の抑揚との間に何らかの相関があるのではないか、という仮説に立って始められた。
 その結果、《さらし》に挿入された流行り歌などを除いて、全体として言葉の抑揚が歌や三味線の旋律に直接反映されることはない、という結論となった。勿論、旋律と言葉の抑揚とが一致する箇所がないわけではないが、それは偶然の域を出ない。
 しかし、一方で高低アクセントのある言葉が同じ音高で歌われる部分が多く、歌詞から見て「平板化」された旋律が目立っことも判った。言葉の抑揚にあまり逆らわず、また、大きなフレーズでとらえた場合、文としての言葉の大まかな高低に対応する部分も比較的多いので、全体としては歌は言葉の運びからみて不自然にはなっていない。
 この平板化は、今回扱った地歌が、うたものといいながら先行する語りもののイディオムを色濃く含んでいることと無関係ではないだろう。特に《さらし》《貴船》など比較的古い曲の緩やかな部分では、旋律は4度音程の枠(小泉理論でいうテトラコルド)の音に沿ってあまり激しく動くことなく流れることが多いようである。
 こうした中で旋律を形作るものは、言葉よりもむしろ予め作曲者が持つ旋律の定型の組み合わせである。これを今回は「定型旋律」と呼び、私達は曲のどの部分にそれが出現し、組み立てられていくのかを探すことになった。率直に言って、この作業はまだ研究の端緒にかかったと言ってよい状態にある。楽譜上で大きく音程が変わったり符点リズムになる音型は目立つため見出すことが容易だが、変化の少ない大きなフレーズの定型や変容の大きな定型は、果たしてどこまでが定型と見なしうるのか必ずしも判然とせず、今回の研究では担当者によってとらえ方に微妙な差があるのは否めない。
 しかし、その中でも歌の定型旋律と三味線の定型旋律については、時代の異なる3曲を通じて、歌ではミーシー、シーラファ、三味線ではミレシ、ラシーラファなど共通する定型があることがわかった。一方、定型の積み重ねのきわめて多い《さらし》と、定型とともに旋律の豊かな動きが加わった19世紀の《嵯峨の春》との作曲法の違いも浮彫となった。また、各曲固有の定型も見出され、私達は時代や個人様式による違いの研究に踏み出すきっかけのひとつを得ることができたと思っている。
 ここで、研究代表者津田道子の研究方法について言及したい。津田は、研究会の本格的スタートに先立って、対象となる3曲の三味線パートの総ての音を伝承譜から数字に置き換えてパソコンに入力し、同じ旋律進行をする音列の数を検索するシステムを準備していたが、私達は今回、これを積極的に活用するには至らなかった。
 これを生かすには、更に次のような検討が必要となるだろう。
 一つは、タブラチュアである伝承譜と実際の演奏との音のずれである。たとえばフレーズの末尾などによく現れるミドシ(上から)と記される短い定型旋律は、実際には殆どの場合、ミレシと奏される。この変換は必ずしも奏者に意識されないようで、これが、演奏上の技術的な慣行なのか、音階として本質的なものなのかは現時点では判断できない。こうした例から分かるように、実際の演奏を詳細に観察しなければ違った分析結果を生むことになる。
 二つ目は、江戸初期から徐々に興ったとされる陰旋化(都節化)の問題である。この点を考慮すると、この冊子の巻末に掲げた楽譜の《さらし》の本調子部分は、作曲当時はファとドが本来半音高かった(#)筈である。今日まで旋律の大枠が変わらずに伝えられたとすると、《さらし》の5・6部分(16ページ参照)の流行り歌と思われる部分は、不即不離のリズムを更にシラビックにすれば、例えば右の譜のように復原しうる。但し、譜例はファとドの#を避けるため、全曲の譜例より1音下げて記した。また、前半、後半の終止音は、一応言葉の当たっているe音で止めているが、一音低く(d音)終止することも想定しうる。このように陽旋化することで、印象やフレーズのとらえ方はかなり変わる可能性がある。
 また、この曲や、《さらし》中の定型「シラシファ」などに見るように、小泉文夫の都節テトラコルド理論に反するように、「シファ」という増四度の跳躍がしばしば現れる。他の曲にも「シーラファ」とか「ファラシファ」のような定型旋律があり、シとファの増四度には、かつて完全四度であった枠組みが顕著である。その場合、元の音階は必ずしも律音階でなく、次の上向きののように、所謂民謡のテトラコルドの要素も強く表れる。したがって、音名をパソコンに入力する場合には、陽施化したデータも考えないと、シラファの増四度枠とミレシの完全4度枠が違ったものとして検索されることになろう。
 三つ目は、定型旋律の変容の問題である。定型は常に原型で現れるわけではなく、縮小・拡大・部分的な拡大・開放弦の音の挿入・部分的な省略など、様々に変化する。これらの複雑なフレーズのどこまでを同一の定型に基づくものと判断するかは、必ずしも容易ではない。この変容のパターンもある程度考察しておかないと、わずかな省略や挿入で同系の定型が全く別のものとして検索されることになろう。
 以上の三点を踏まえて入力・検索した場合、私達の直観では気付かない定型が見出され、歌や三味線の節付の解明につながることになるのではないか。こうした研究は、既に長唄などの分野でも進められつつあるが、私達の次の課題もここにあると考えている。
(小林幸男)
 
歌本に関する資料
津田道子所蔵の歌本
『古今集成琴曲新歌袋』 寛政元年(1789)
『新板詞並糸のしらべ』 寛政7年(1795)
『増補新成つるのこえ』 寛政8年(1796)
『新大成糸のしらべ』 享和元年(1801)
『歌曲時習考』 文化2年(1805)
『(書名不詳)』 文化6年(1809)
『歌曲時習考』 文政元年(1818)
『琴曲新増三津のしらべ』 天保8年(1837)
『琴曲千代の壽』 天保13年(1842)
『歌曲時習考』 嘉永元年(1848)
『新大成糸のしらべ』 嘉永3年(1850)
『琴曲糸のしらべ』 嘉永3年(1850)
 
出版された文献
《貴船》
『若緑』 宝永3年(1706)
(1960 高野辰之編『日本歌謡集成 巻七 近世編』東京堂 pp.88−89)
『琴線和歌の糸』 寛延3年(1750)
(1960 高野辰之編『日本歌謡集成 巻七 近世編』東京堂 p.287)
 
《さらし》
『大幣』 元禄12年(1699)
(1928 高野辰之編『日本歌謡集成 巻六 近世編』東京堂 pp.281−282)
『松の葉』 元禄16年(1703)
(1959 新間進一・春田延義・浅野健二校注『近世中世歌謡集』岩波書店 p.423)
『姫小松』 宝永3年頃(1706頃)
(1956笹野堅校註『近世歌謡集』朝日新聞社 pp.251−252)
 
 本誌掲載の楽譜は、津田道子伝承の三味線譜を基に、以下の点を考慮しながら作成したものである。
 
全体について
・拍子は概ね津田譜を基に記したが、言葉の拍節感を考慮して区切った部分もある。
・音高は、開始部分の調子一本誌掲載の曲は総て本調子一の音をb-e'-b'として記した
・《さらし》《嵯峨の春》の小節番号は、省略した合の手、手事を含むものである。
 
歌について
・フレーズの終わりで延ばす音の長さは厳密に記されていないことも多く、実際の演奏でも変化する場合があるため、比較的長めに記している。
・歌詞は一般的な仮名遣いで記した。
 
三味線について
・全音符の長さまでは原則として休符を用いずに記した。これは、実際には音が減衰していても、次の音までは旋律が続いているという意識であるという津田の指摘による。ただし、フレーズの終わりの音は次の歌の始まりと重ならないよう、やや短く記している場合もある。
・三味線譜の奏法に関する諸記号は、三味線譜の記し方を応用しながら、次のような記号に置き換えた。
 
ウチ
音符の符頭を◆や◇で示す。
ケシ
音符の符頭を×で示す。
スクイ
音符を小さくして示す。
スリ
スリ下げ・スリ上げ共に、音価が長い場合は実音で記しスラーで括る。音価が短い場合は、音符の下にCを付けて記す。
ハジキ
音符の符頭を▲や△で示す。
 
ハジキは音符の下に∨、ウラハジキの場合は∧を付けて示す。
 
備考
 地歌はゆっくり始まり、徐々に速度を増し、終曲で再びゆっくりとなる。また、長い合の手・挿入歌・手事の前後ではやや速度が緩やかになる。津田の三味線譜には「ユルム」「ノル」等の指示が書かれているが、個人や機会によりテンポが異なるため、本楽譜にはメトロノームによるテンポ表示をしていない。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION