日本財団 図書館


第2章 貴船
 《貴船》は、長歌物で、調子替えによって気分を変え、曲を展開する。
 曲の構成は、調子、合の手の位置、歌詞の内容などから、次の歌詞に示したように4つの部分に分けて考えられる。3の部分は、当時の流行り歌が取り入れられたといわれ、特に「ひよひよと 鳴くはひよどり お池に住むは 鴛鴦」は、『山家鳥虫歌』1 や『田植草紙』2などにも記録され、また、各地の田植え歌や籾摺り歌、麦搗き歌、盆踊り歌などにも歌われてきた歌詞である3
1.歌い始めの本調子部分「くものいに・・・加茂川の」
2.二上りの前半部分「やつれ果てたよ・・・みぞろの池波」
3.二上りの後半部分「ひよひよ・・・さっさと」と三下りの部分「みなぎり落つる 鞍馬川」
4.最後の本調子部分「恋の淵瀬と・・・着き給う」
 
 津田道子伝承の楽譜の歌詞(以下、津田歌詞)は仮名で書かれているが、ここでは、わかりやすいように漢字交じりで記した。また、歌詞に付けた下線部分は、次項で比較する歌本との異同のみられた主な箇所である。
 
1.くものいにa荒れたる駒は 繋ぐとも 二(ふた)道かくるその人b
いかc頼まん 仇(あだ)し野の 仇しこのみd ままにはならぬe
月日程経(え)て 昔のわけを 思うも濡るる 我が袖の
港にf かえるg あだ波の よるよるごとに 立ち出でて
ふりさけh見れば 大原や
御室(おむろ)に近き 小塩(おしお)山 糺(ただす)の森の 木(こ)の間(ま)分け
通い車の 黄昏(たそがれ)見れば 車の車の 黄昏見れば
包むつらさi 袂(たもと)にあまりj わけをゆうぜん 左の腕(かいな)
もののkすけ様(さま) 命と彫りし その睦ごとも いつしかに
かわる淵瀬と 嘆いた 海人(あま)の捨船(すてぶね) 我一人(われひとり)
焦れ焦れて 行く水の 影さえ清き 加茂川のl
[このあと二上り]
2.やつれ果てたよ 我が顔かたち かくは見棄てそ よしやよしm
三尺袖のn  年が寄りたらo  なりふりもp  しょんがいなq
振れや振れ ふる妻いとし われふる妻をr
あとに みぞろs 池波t
3.ひよひよひよひよと 鳴くはひよどり お池にu 住むは 鴛鴦(おしどり)
はんま千鳥v  ちりりんなw ちりりんな ちりりやちりりや
りりりっとしてx さえなy  えりくりえんじょうのz  岩間岩間を つとてaa
b 千鳥足 西は田の畦(あぜ) 危ない危ない 危ない危ない 危ない危ない
危のうてcc ならぬえ 細道畦道をdd  こぐれこぐれこぐって
こぐれこぐれこぐってec  松の嵐に さっさとff
[このあと三下り]
 みなぎりgg 落つる 鞍馬川
[このあと本調子]
4.恋の淵瀬と 身はたどれどもhh  猶も思いは 丑の時
撞き出す鐘と 諸共に 貴船の社(やしろ)に 着き給うii
 
第2節 歌本にみる歌詞の伝承
 初めに、《貴船》の伝承されている歌詞が、多少、歌本と異なることから、歌詞の意味を確定するために、津田歌詞を次の12冊の歌本と比較して検討した。
 
(1)『若緑』
宝永3年(1706)
(2)『琴線和歌の糸』
寛延3年(1750)
(3)『古今集成琴曲新歌袋』
寛政元年(1789)
(4)『糸のしらべ』
寛政7年(1795)
(5)『新大成糸のしらべ』
享和元年(1801)
(6)『歌曲時習考』
文化2年(1805)
(7)『?(書名不詳)』
文化6年(1809)
(8)『歌曲時習考』
文政元年(1818)
(9)『三津のしらべ』
天保8年(1837)
(10)『琴曲千代の壽』
天保13年(1842)
(11)『新大成糸のしらべ』
嘉永3年(1850)
(12)『琴曲糸のしらべ』
嘉永3年(1850)
 
 歌詞の伝承で特徴的なことは、津田歌詞にのみ歌われる歌詞があること(表1)と、『琴線和歌の糸』と同じ歌詞が歌われる部分が多いこと(表2)である。
 
表1.
津田譜にのみ歌われる歌詞( )は原則として(1)〜(12)。例外は別に示す。
b そのひと j あまりあまる
k もののももに l 加茂川)、ただし(1)(
m よしやよしよしなやな n )、ただし(2)(
v ちどり aa つとてつたふ
ee ぐれこぐってくぐりくぐって
 
表2.
(2)『琴線和歌の糸』と同じ歌詞が歌われている部分( )は(1)と(3)〜(12)。
c いか f 港に(へ)、ただし(1)(涙に
h ふりさけあげ)ただし
(8)(11)(さけ)(6)(さげ
w ちりりんなちつちんな)ただし
(6)(8)(10)(ちちりんな
gg みなぎりたぎりて hh みはたどれどもたどれども)ただし(7)(9)(みはたどれども
ii 着き給う着きにけり)ただし(1)(着き給ふ
 
 表1にみられるように、津田譜に独自の歌詞は、助詞の変化や意味の変わらない変化が主である。しかし、k「ものの」やm「よしやよし」のように、「ももに」や「よしなやな」が変化したと思われるが、意味がはっきりしなくなっているものもある。また、ee「こぐれこぐって」は、演奏者によって「こぐりこぐって」と歌う場合もあるが、「くぐる」が京言葉の「こぐる」に変化したと思われる。京都のわらべうた《よいさっさ》でも、「八丁目のこーぐりは こーぐりにーくいこーぐりで・・・」と歌われている。
 表2では、津田歌詞と歌本(2)で歌われている同じ歌詞をまとめたが、この中で、h「ふりさけ」やgg「みなぎり」ii「着き給う」など、他の歌本とは多少意味の異なる歌詞や、W「ちりりんな」のような、一般に変唱の多い擬声語が同じであるということ、また、「着き給う」と「ちりりんな」は、さらに古い歌本(1)とも同じということで、古い歌詞の伝承がみられる。
 以上、津田歌詞の《貴船》は、随所に津田譜にのみみられる独自の歌詞が歌われているが、一方で、寛延3年(1750)出版の歌本『琴線和歌の糸』とのみ同じ歌詞も歌われており、また、さらに古い宝永3年(1706)出版の歌本『若緑』とも、いくつかの歌詞が同じであるところから、古い歌詞の姿を残していると考えられる。
 なお、曲の始めの歌詞「くものいに」は、歌本により意味が「蜘蛛の網に」と「雲のゐに」に分かれているが、津田歌詞も仮名書きのため、どちらか判然としない。しかしこの部分は謡曲《鉄輪》と同様、古歌「くもの糸に荒れたる駒はつなぐともふた道かくる人は頼まじ」から取られたといわれており、今回比較した12冊の歌本でも、最も古い『若緑』と『琴線和歌の糸』に、「蜘蛛の網に」の意味の漢字で書かれているところから、この解釈が望ましいと考える。
(梁島章子)
 
第3節 歌詞の抑揚と歌の旋律
 歌の旋律を言葉の句切り毎にその関係を見ると、同音の連続や、全音・半音の広がり等を含む平板な旋律と、完全・増4度や完全5度の跳躍進行を含む旋律が頻繁にみられる。また、三味線音楽によくみられる「短い決まった旋律の型」(以後、定型旋律という)も多く、これに焦点を当てて、言葉の抑揚との関係を考察した。
 まず、曲全体をI平板な旋律 II完全・増4度あるいは完全5度の跳躍進行を含む旋律、III定型旋律を含む旋律に分類した。更にそれらを、(1)歌詞の抑揚が平板なものと、(2)歌詞の抑揚があるものに二分し、各々、歌詞の抑揚と歌の旋律とが、(a)一致するものと、(b)一致しないものに分けて考察した。結果は次のようになった。それぞれの項目の楽譜は、その一例である。また、歌詞の上下に引いた線は、言葉の本来の抑揚を示しており、*のついた言葉は現在の伝承者の抑揚に即したものである。数字は、小節番号を示す。
 
I 平板な旋律
(1)歌詞の抑揚が平板なもの
a)歌詞と旋律とが一致する
 
3〜5
いに
134〜136
くるまの
138〜140
たそがれ
142〜146
つつむつらさを
192〜195
ゆくみづの
331〜333
おしどり
 
b)歌詞と旋律とが一致しない
 
22〜25
かくる
97〜102
おおはらや
118〜120
ただすの*
122〜125
このまわけ
 
 
 
 
 
(2)歌詞の抑揚があるもの
a)歌詞と旋律とが一致する
 
126〜130
かよいぐるまの
362〜363
ちりりやちりりや*
 
b)歌詞と旋律とが一致しない
 
1〜3
くもの
43〜45
ままには
45〜47
ならぬ
47〜49
つきひ
53〜55
わけを
105〜107
ちかき
148〜150
あまり
150〜152
わけを
156〜158
かいな
158〜162
もののすけさま*
162〜166
いのちとほりし
181〜183
あまの
232〜241
わがかお
267〜269
しょんがいな*
371〜373
つとて*
382〜395
あぶないあぶない*
399〜410
こぐれこぐれこぐって
439〜441
こいの
443〜447
みはたどれども
463〜465
きぶね*
 
 
 
 平板な旋律に抑揚も平板な歌詞がついている場合は、歌詞と旋律とが一致しているものがやや多い。これは、ときに歌詞に即して、ときに歌詞を無視していると考えられる。また、歌詞に抑揚がある場合はほとんとが一致しない。これは歌の旋律が歌詞の抑揚を無視していると考えられる。
 
II 完全・増4度あるいは完全5度の跳躍進行を含む旋律
(1)歌詞の抑揚が平板なもの
a)歌詞と旋律とが一致する
 130〜132たそがれ
 
b)歌詞と旋律とが一致しない
 
25〜31
そのひとの
33〜35
たのまん
39〜43
あだしこのみは
59〜66
わがそでの
66〜70
みなとに
181〜185
あまのすてぶね
218〜222
やつれ
314〜318
いけなみ
451〜456
うしのとき
460〜463
もろともに
 
 
 
 
 
(2)歌詞の抑揚があるもの。
a)歌詞と旋律とが一致する
 
5〜9
あれたる
132〜134
みれば
140〜141
みれば
378〜381
にしはたのあぜ*
 
b)歌詞と旋律とが一致しない
 
18〜22
ふたみち
31〜33
いかで
55〜57
おもうも
86〜91
たちいでて
166〜170
そのむつごとも*
177〜180
なげいた
195〜199
かげさえ
218〜230
やつれはてたよ
248〜252
かくはみすてそ
252〜255
よしやよし
259〜263
としがよりたら
287〜291
ふれやふれ
291〜298
ふるづまいとし
307〜314
あとに
319〜323
ひよひよひよと*
323〜327
なくはひよどり*
327〜329
おいけに
354〜357
はんまちどりの*
358〜361
ちりりんなちりりんな*
 
364〜366
りりっとしてさえ*
374〜377
ちどりあし*
390〜392
あぶのうて*
392〜394
ならぬえ
412〜413
あらしに
414〜417
さっさと
465〜467
やしろに
 
 旋律が跳躍している場合は歌詞の抑揚を無視していると考えられる。
 
III−1 定型旋律のみ
(1)歌詞の抑揚が平板なもの
a)歌詞と旋律とが一致する
 この例をあげることはむずかしい。
b)歌詞と旋律とが一致しない
 
57〜59
ぬる*
70〜73
かえる
103〜105
おむろに
146〜148
たもとに
154〜156
ひだりの
410〜412
まつの
441〜443
ふちせと
467〜469
つきたもう
 
 
 
(2)歌詞の抑揚があるもの
a)歌詞と旋律とが一致する
 
329〜330
すむは
422〜425
くらまがわ*
 
b)歌詞と旋律とが一致しない
 
18〜22
ふたみち
298〜305
われふるづまを
 
III−2 定型旋律を含むもの
(1)歌詞の抑揚が平板なもの
a)歌詞と旋律とが一致する
 
9〜12
こまは
136〜138
くるまの
 
b)歌詞と旋律とが一致しない
 
35〜38
あだしのの*
73〜78
あだなみの
107〜112
おしおやま*
118〜122
ただすのもりの*
173〜177
かわるふちせと
202〜208
かもがわの*
242〜248
かたち
369〜373
いわまいわまを
418〜422
みなぎりおつる
456〜460
つきだすかねと
 
 
 
 
 
(2)歌詞の抑揚があるもの
a)歌詞と旋律とが一致する
 
49〜51
ほどへて(ほどえて)
170〜173
いつしかに
 
b)歌詞と旋律とが一致しない
 
12〜17 つなぐとも 51〜53 むかしの 79〜86 よるよるごとに
91〜97 ふりさけみれば 107〜l12 おしおやま* 146〜150 たもとにあまり
50〜154 わけをいうぜん 154〜158 ひだりのかいな 173〜177 かわるふちせと
185〜188 われひとり 188〜192 こがれこがれて 199〜202 きよき
255〜259 さんじゃくそでの 263〜266 なりふりも 366〜369 えりくりえんじょうの*
369〜373 いわまいわまを 395〜398 ほそみちあぜみちを 447〜451 なほもおもいは
 
 定型旋律を含む場合は、歌の旋律は歌詞の抑揚を無視していると考えられる。
 
 《貴船》の歌の旋律は、歌詞の抑揚が平板か、抑揚があるかを無視している場合が多く、必ずしも京言葉の抑揚と一致していない。むしろ言葉が平板化しているところをメロディックに歌っているところが多い。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION