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フリースクールの社会的役割とは何か
〜「デンマーク牧場こどもの家」での生活を通して〜
内村美紀
(宗)デンマーク牧場こどもの家(静岡県袋井市)
「不登校」「引きこもり」などさまざまな重荷をもつ子どもや青年たちが、牧畜・農業や生活全般体験の中で「生きる力」を身につけ、自立していくことを目指す共同生活寮です。
家畜・乳牛の世話を中心に、野菜作りなどを寮生と共に行います。また寮生たちの学習指導を手伝ったり、良き相談相手としての役割も期待されています。
1. はじめに
価値観や生き方が多様化し、また日本経済が長い不況から抜け出せないでいる状況の中で、社会全体に漠然とした不安が広まっている。その影響は教育分野にも大きな不安をもたらしている。能力主義、学歴信仰に多くの子どもや大人が将来の不安と疑問を抱く一方で、受験の低年齢化は進んでいる。これまでの画一化した学校教育の歪みが、様々な形で顕在化し、フリーター、引きこもり、不登校児も年々その数を増している。
教育分野では、このような現代社会の現状を踏まえながら、教育を捉えなおす様々な議論と試行錯誤が繰り返されている。「生きる力」を育成することを目標とした「総合的な学習の時間」が導入され、「ゆとり」を求めて中高一貫校が設立され、土日は完全休暇になった。学校に競争原理を導入しようと学区の廃止そして学校の自由選択性や、学校の株式化の検討などもなされている。どれも、まだ手探りの状態である。
私は1年間ボランティア計画のもと、フリースクール「デンマーク牧場こどもの家(以下『こどもの家』)」で生活する機会をいただいた。「こどもの家」は、様々な問題を抱えた青少年たちが、自立をめざし共同生活を送る生活の場所である。不登校や引きこもりの子どもが増加傾向にある中、こどもの家」でも不登校、引きこもりの問題で入寮する子どもたちが増えている。私は、そういった子どもたちと共に暮らし、向き合ってみることで、学校教育はどうあったらいいのか考えたい、そして行き詰まりをみせる学校がフリースクールに活路を見出せるのではないか、という思いがあった。
しかし、「こどもの家」での生活を通して見えてきたのは、学校教育のあり方以前の問題であった。すなわち、子どもたちが生まれ育ってきた環境や家族、大人、社会のあり方の問題であった。そう思った背景には、寮生の中に親の虐待を受けてきた子が少なからずいること、そして、行き場のない子どもたちに出会った事が大きい。こどもの家」での生活を通して、私のフリースクール観は大きく変化した。私のこれまでのフリースクール観とは、つまり精神的、経済的自立を目指して、あれもこれもと精力的に何かに取り組もうとする場所であることを理想とするものであった。しかし、フリースクールとは、単純に、学校教育の代替ではない。「こどもの家」は、親や学校、社会から否定され、それらから周辺化、不可視化された子どもたちにとって、まずなによりも安心して生活できる安全な場所であった。それは家庭に代わるもの、そのものであった。
この論文は、私の「こどもの家」での生活を通して、その活動と様子を紹介しながら、その社会的役割を考察するものである。
2. 「デンマーク牧場こどもの家」概要
(1)施設概要
「こどもの家」は、フリースクールであるが同時に、青少年自立援助ホームであり、不登校、引きこもり、被虐待、精神科・神経科の疾患(例えばてんかんや、注意欠陥多動障害)などの問題を抱える青少年の自立を支援する施設である。現在(平成15年1月末現在)、14歳から27歳までの16名の青少年が共に暮らしている。入寮の理由は、多様で複合的だが、不登校、引きこもり、精神疾患、家庭内暴力、被虐待などが主なものである。前述したが、問い合わせも含め、不登校、引きこもり、被虐待児が増加傾向にある。
「こどもの家」はキリスト道友会の事業として運営されており、キリスト教の思想に基いて、「労働、祈り、感謝」がキーワードとなっている。ただし、日常生活において宗教色は強くない。子どもたちの学びの場は、農場実習場のデンマーク牧場と、生活空間である「こどもの家」にある。
(2)「こどもの家」での生活、活動
「こどもの家」で暮らす寮生は、1日に朝夕2回、動物たちの飼育作業を行う。それは、寮生の学習活動の中心を占めているといってもよい。また小規模ながら、米や野菜を育てている。昼食前の1時間には、基礎学力の維持、向上を目指し、希望者は公文式による学習を行っている。この学習を希望しない寮生は、飼育以外の様々な作業を行う。生活面では、食事は当番制、掃除は分担して一緒に行う。一緒に生活するものとして基本的なマナーやルールを守ることが求められる。寮生は共同生活の過程で、相手を思いやる気持ち、譲り合う気持ち、一緒に何かをすること、人間関係の作り方を学んでいく。
また、年間を通して様々な行事が執り行なわれ、寮生の学びとしてだけでなく、非日常的な体験ができる場として寮生の楽しみや生活の張りとなっている。いくつかの行事では寮生が実行委員となり、その企画・実行を行う。人と意見を交換し、話し合うことをあまり経験していない寮生にとっては、重要なコミュニケーションの練習でもある。普段は見ることの出来ない寮生の表情や実力を見ることができるのもこの時である。
(3)「こどもの家」での寮生の様子と変化
4月入寮の子どもたちが多く、そろそろ1年が経つ現在、寮生も寮生活になれ、寮内の雰囲気は穏やかで、生活は安定していると言える。入寮当初は、寮生にとって、早朝からの作業、細かく時間が規定された日課、1日3食の食事等、規則正しい生活が窮屈であったかもしれないが、現在は決められた日課を時間どおりに参加できるようになった寮生は多い。
盗難や、弱い者いじめ、喫煙、飲酒などの問題はあるが、個々人の生活が脅かされるほどのものではないと思われる。これまで友達とうまく付き合えない、友達ができないという問題を抱えた寮生が多い中、一緒に時間をすごすことができる仲間ができ、それに安心感を得て、また嬉しさを感じている様子も伺える。食事や自由時間のにぎやかさは半端ではない。ただ、そういった感情を上手に表現できずに、やたらと大声で話したり、大袈裟な行動をとってみたりと、精神的な未熟さを感じることは多い。また、子どもの騒がしさの奥には、それによって仲間の連帯感を強めたり、自分の存在を確認しようとしている姿が見えるような気もして、子どもたちが抱えているであろう不安感やもろさを感じることも常である。
精神的な未熟さは、いたるところで感じられる。ちょっとした注意、失敗で落ち込み、ふさぎこんだり、周りの雰囲気を壊す、怒りが押さえられずとっさに他人に襲いかかる、いくら言っても好きな事しかやらない、自己中心的な言動、依存的な態度などにである。しかし、親の愛情が十分に注がれず育った子、大人にふりまわされ心身ともに傷つけられてきた子、学校に行けなくなり、人との関わり方を学ぶ機会を失ってしまった子など、様々な生育歴を持つ寮生にとっては仕方のないことかもしれない。
自虐的な発言をする子も相変わらず多い。しかし少しずつだが変化を見せる子もいる。とはいえ、やはり「自立」までの距離は長く、課題は多い。支援にも限界があり、自力で自立しようとするには、その道のりがあまりに険しく感じられ、将来がなかなか見えない子もたくさんいる。
3. フリースクールの社会的役割
それでは、「こどもの家」での寮生との生活を通して考えるフリースクールの社会的役割とは何が考えられるか。私は、次の4つの役割をあげたい。
第1に、家庭が持つ役割と同じ役割である。すなわち、子どもたちに安心できる居場所を確保し、その子どもの存在をかけがえのないものとして認めてあげる場所でいることだ。その上で、家庭で行われるべき躾や基本的な生活習慣やマナーの修得を、共同生活の中で教えていくのである。
第2に、学校教育に替わって、基礎学力の習得、維持の支援をする役割である。寮生の多くが、実際に学校へいかないまま、義務教育を形式的に卒業している。その後も学習する機会があまりない。そのため中学校を卒業していても、小学生レベルの読み・書き・計算ができない寮生は多い。基礎的な学習能力は、子どもたちがこれから社会にでて経済的な自立をするためにも不可欠であるが、学習の継続によって、自分の気持ちを言葉で表現することができるようになること、考える力をつけることは、精神的な自立にもつながる。そのような意味で、基礎学力の学習支援は、フリースクールにとって重要な役割である。
第3に、人間関係の築き方を実践的に学ぶ場としての役割である。親、学校、社会などから否定されてきた子どもたちは、人とのコミュニケーションが下手である。人間関係に煩わしさを感じ、積極的な関わりを求めない寮生もいる。しかし、人は一人では生きていけないし、人とのコミュニケーション能力がなくて自立することなどできない。自分の中に引きこもっていた子どもたちが、フリースクールに飛び込み、そこでの生活の中で、様々な人と出会う。そんな子どもたちが人間関係を学び直す第1歩の場所としての役割をフリースクールは持っている。
第4に、親の成長と子育てのための支援的役割である。自分の子どもを愛さない親は基本的にいない。本来、子どもは家庭の中で生活し、そこから学校や社会に出ていきながら、さまざまな事を学習し、心身ともに成長していく。そのため、子どもたちが何らかの問題を抱え、家庭で生活できなくなったことを喜ぶ親はいないはずである。しかし、子どもから物理的な距離をとることで見えてくることもある。子どもの問題に向き合うことで、親も様々なことを学ぶのである。
核家族化、人間関係の希薄化によって、悩みを抱えながら孤独感の中で育児をしている親が多いと聞く。フリースクールは、そのような社会の中で、日々の実践経験から多くの提言をしたり、様々な問いかけを発信することができるはずである。子どもとは何か、親とは何か、大人とは何か、子育てとは何か、教育とは何か、学校とは何か。そういった意味で、家庭で、地域で、そして社会で、このような問いを共に考える場を提供する役割を持っているのである。
不登校、引きこもり、虐待の問題の深刻化が日々伝えられている。そのため、フリースクールの需要は年々高まっている。それは、社会が決して好ましい状態ではないことの象徴のように思える。しかし、一方で、フリースクールの増加は、私たちがこれまで当り前としてきたことに疑問を投げかけ、これからの社会はどうあったらいいのかを私たちが考えるきっかけと、新しい価値観を与えてくれる場面が増えるということを意味するかもしれない。フリースクールは大きな社会的役割と様々な可能性を持っている。
<参考文献>
奥地圭子『学校は必要か 子どもの育つ場を求めて』NHKブックス、1994
富田富士也『新・引きこもりからの旅立ち』ハート出版、2001
長谷川眞人・神戸賢次・小川英彦編著『子どもの援助と子育て支援』ミネルヴァ書房、2001
村井美紀・小林英義編著『虐待を受けた子どもへの自立支援』中央法規、2002
渡辺位『自然に学ぶ子育て』教育史料出版会、1992
[31歳/埼玉県出身/大学生(卒業)]
「家族型共同生活」寮の特性についての考察
森谷秀彦
Peaceful House はぐれ雲 (富山県上新川郡大沢野町)
中学生から成人に至るまでの男女が、生活環境を変えることで新しい人間関係を発見し、自然との触れ合いなどを通した目的ある生活をすることで、自立に向けての契機を見出そうとする共同生活寮です。
農業を中心とした作業、勉強会、スポーツなどの日課を寮生と共に行います。また祭りやスポーツ大会などの地域活動にも関わります。アシスタントにとどまらず、自主的な取り組みも期待されています。
1. はじめに
4月より「1年間ボランティア」として、ここ「Peaceful House はぐれ雲(以下はぐれ雲)」に赴き活動してきた。この1年間、自分自身にとって未知の環境で、まったく経験のない農作業に取り組み、何より不登校・引きこもりの子どもたちと関わってきた。「初めて」尽くしの1年間を振り返り、私自身がもっとも強く感じ、また、多くの人に伝えたいことは、はぐれ雲がとっている「家族型・共同生活」という形式が寮生たちにとってどのようなプラスの面を持っているのかということである。
私にとって、はぐれ雲での日々は文字通り「日常生活」と言えるものであった。もっとも多くの時間を過ごしたはぐれ雲で、どのような生活を送ってきたのかを振り返るとともに、そうした日常が寮生たちに与える影響について考えてみたいと思う。これを読んでくれる人にもはぐれ雲の様子をイメージしてもらえれば幸いである。
2. はぐれ雲の歴史
本題に入る前に、はぐれ雲がどのような経緯で設立され現在に至るのか。その歴史について簡単に触れたいと思う。
「Peaceful House はぐれ雲」は、主宰者である川又 直(なおし)氏が静岡での共同生活の経験を踏まえ、独立。家族で富山に移り住み、1987年に設立したものである。翌年の1988年に現在地に移転し、その後1995年には希望者の増加により増築し現在に至っている。
また、1996年には青少年支援のために有限会社「ファームファーム」を設立。はぐれ雲から実社会に出る間のワンクッションとして就労支援にあたっている。1997年には地元の兼業農家6件と持ち寄り農業を進めるための組織「万願寺農業を楽しむ会(万のうらく)」が立ち上げられた。地元の「おじさんたち」は、はぐれ雲にとって最大の理解者であり、ここにはぐれ雲と地域社会の密接な関係をみてとることができる。
はぐれ雲設立から、16年が経とうとし、その間にはぐれ雲を生活の場としてきた若者は240人にのぼる。はぐれ雲の歴史は個性的な子どもたち、そして、彼らを包み込むような川又夫妻の大きな愛情によってつくられたのである。
3. 日常生活の流れ
はぐれ雲の一日は早い。朝6:30までに玄関を出て散歩に出る。その後、朝食と掃除を済ませ、8:00から勉強会(高校卒業資格をもたない者)。9:30より作業、12:00に昼食、13:30には午後の作業に出て、18:00に夕食。夕食を食べた後は自由時間となり、各々が好きなように過ごすことができる。食事と掃除は当番制で、公平にジャンケンで決められる。作業内容は基本的に農業だが、体育館で汗を流すこともあるし、みんなで映画を観ることもある。要するに体と心をフルに使い、不登校・引きこもりの若者たちに多く見られる昼夜逆転の生活リズムを矯正し、規則正しい生活を送ることを第一義としている。そして、一定レベル以上の生活を送ることができると判断されれば、学校に通うこともできるし、バイトに出ることもできるのである。
私が感じるはぐれ雲の最大の特徴は「自由であること」である。上述した一日の流れに従えば、他人に迷惑をかけない限り最大限の自由が約束される。小遣いで買い物もできるし、夜何時まで起きていてもいい、自分の責任の範囲で自分の行動を決め、生活していくのである。
私自身も含めて「川又家」の居候として生活している若者たちは、「川又家」の一員としてこのような日々を送っている。それでは、大家族「川又家」での生活がそこに暮らす者にとってどのような影響を与え得るかを考えてみたいと思う。
4. 家族型共同生活の効果・影響
前述したとおり、はぐれ雲の寮生たちは「川又家」の居候として、24時間寝食をともにしている。このような一つの家族の中に入り込み、大人数で生活することにどのような意義があるのか。私が1年間はぐれ雲で活動し、思ったところを述べていきたい。
まず、「家族型」という要素にどのようなメリットがあるのか。そもそも『家族』という集団がどのような意味をもっているのかを考えてみると、これは明らかに一つの「社会」であると言える。人間は生まれてから死ぬまで、いろいろな社会を経験する。学校、会社、地域・・・、それぞれ一つ一つをとってもいくつもの「社会」が存在する。例えば学校であれば、クラス、学年、クラブ活動などが挙げられるであろう。あらゆる場面で自分の役割や地位は異なり、所属する「社会」の数だけ「自分」を有していると言っても過言ではないであろう。そして、人間が生まれてから一番最初に経験する「社会」が、他ならぬ「家族」なのである。近年、その形態は急激に変化しているが、「家族」に期待されるもっとも大きな役割は『しつけ』とされる部分にあると考えている。次の「社会」にでるまでに必要とされる最低限の礼儀であるとか、人との接し方、そうしたものを「家族」と送る生活の中で取得して、より大きな社会へと飛び出して行くのである。はぐれ雲での生活は、規則正しい生活のリズムを取り戻し、他人に迷惑をかけないことを前提とした自由が保障されているという点から、仕事や学校といった実社会(娑婆)に出るための基本的な姿勢を養うことを目的にしていると言えるであろう。
次に、「共同生活」という面に焦点を当ててみたい。一般の「家族」であっても「共同」で生活している点では変わらないのだが、はぐれ雲はいささか事情が異なる。はぐれ雲ではまったく「赤の他人」が一つ屋根の下で毎日を送っているのである。これは前述した「家族型」と相反する形式ではあるが、はぐれ雲をより実社会に近づけていける一要因と言える。まったく見知らぬ人々と顔をつき合わせていくことは、「家族」から離れて「社会」で生きることに相違ないのである。
このように「家族」的な温かさの中で次のステップヘ準備を整えることができ、それでいながら「共同生活」の場であり、ひとつの社会の中で自分自身を磨くことができる。はぐれ雲は一見矛盾する2つの社会をリンクさせることにより、若者の自立を目指そうとしているのである。
5. おわりに
ボランティアとしてのこの一年間は本当に有意義で充実したものだった。日々の生活は単調であるように見えながら、嫌でも様々なことが起こり飽きさせてくれなかった。「はぐれ雲はひとつの社会だ」という言葉は、こちらに来てから観たはぐれ雲の紹介ビデオに出てきたフレーズだが、私は心底共感してしまった。不登校・引きこもりの若者たちは本来『失敗』を経験すべき学校や会社という「社会」を逃れてここへ来た。そうである以上、はぐれ雲はひとつの「社会」として、彼らに『失敗』を経験させ得る「社会」であるべきだと思う。また、はぐれ雲以外にもこうした「社会」のニーズは高まっているように思う。川又氏が2期前のボランテイアに言ったという「ここで失敗しないでどこでするんだ」という言葉にもそのような意義を感じている。
未熟な身でありながら、ボランティアとして活動を全うできたのは、たくさんの人々の励ましがあればこそである。末筆ながらお世話になった方々に感謝の意を表してこのレポートを締めくくりたい。
[22歳/埼玉県出身/大学生(卒業)]
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