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 「それは猫のことだよ。あたしゃあきまりが悪くて表へ出られませんよ。・・・羽織を出しておくれ。間違えられるといけないからちょいと行って来るから。店をこいつにまかせておいちゃあいけませんよ。お前、店番をしていておくれ。お客さまが来たらなんでもいいからおばさんにそういうんだよ」
 「うん」
 「うんという返事がありますか。はいというんだよ」
 「うん」
 「あきれかえってものがいえないねえ。じゃあ行って来ますよ」
 「いってらっしゃい。ははは・・・とうとういっちまった。のべつ小言ばかりいわれているんだからかなわねえや。爪をとっとけっていうから猫の爪をとったら、あれはいけないというし、なんでもきれいにしておけというから石灯籠をみがいてたら、あれはみがいちゃあいけねえんだってやがら。・・・どうしていいかわかりゃあしない。あっ。なんだい」
 「ごめんやす。旦那はん、おうちでやすか」
 「ええっ、炭団屋さんだって」
 「いえ、旦那はん、お留守でやすか。ほならおいえはんは?あんた、ぼんちか?丁稚はんだったか。わてはなァ中橋の加賀谷佐吉方から参じましたン。へえ。(しだいに早口になって)先ン度、仲買の弥市が取りつぎました道具七品のうち、祐乘光乗宗乘三作の三所物、備前長船の住則光、四分一ごしらえ横谷宗みん小柄付きの脇差柄前はナ、旦那はんがたがやさんやというてでござりましたが、やっぱりありゃ埋れ木じゃそうで、木がちごうておりますさかい、念のためちゃっとおことわり申します。つぎは織部の香合、のんこの茶碗、黄檗山金明竹、ずんどうの花活けには遠州宗甫の銘がござります。古池蛙とびこむ水の音、これは風羅坊正筆の掛け物。沢庵木庵隠元禅師はりまぜの小屏風。あの屏風はナ、もし、わての旦那の檀那寺が兵庫におましてナ、へえ、この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって、表具にやって、兵庫の坊主の屏風にいたしますと、こないにおことずけ願います」
 「こりゃあおもしろいなァ。よくしゃべる乞食だ、お銭をやるからもう一ぺんやってごらん」
 「わては物貰いとちがいますがな。なァ。よう聞いとくれやす。わては、中橋の、加賀屋佐吉方から、参じました。(はじねはゆっくり話しはじめるが、またしだいに早口になってゆく)先ン度、仲買の弥市が取りつぎました道具七品のうち、祐乗光乘宗乗三作の三所物、備前長船の住則光、四分一ごしらえ横谷宗みん小柄付きの脇差、柄前はナ、旦那はんがたがやさんやというてでござりましたが、やっぱりありゃ埋もれ木じゃそうで木がちごうておりますさかい、念のためねちゃっとおことわり申します。つぎは織部の香合、のんこの茶碗、黄檗山金明竹、ずんどうの花活けには遠州宗甫の銘がござります。古池や蛙とびこむ水の音。これは風羅坊正筆の掛け物、沢庵木庵隱元禅善師はりまぜの小屏風、あの屏風はナ、もし、わての旦那の檀那寺が兵庫におましてナ、この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって、表具にやって兵庫の坊主の屏風にいたしますとこないにおことずけ願います」
 「こりゃアおもしろいや。幾度きいてもわからねえ。ひょうごのひょうごのってがらァ。・・・おばさん来てごらんよ。よくしゃべる乞食が来たよ」
 「失礼なことをいうんじゃあありません。・・・いらっしゃいまし。親戚からあずかりましたちと愚かしいものでございます。店番をさせておきますあいだに失礼を申しました。どちらからおいでで」
 「こりゃあ、店番をさせておきますあいだに失礼を申しました。どちらからおいでで」
 「こりゃあ、おいえはんだったか」
 「なんでございますか」
 「いいえ、あんたはおいえはんだな」
 「お湯屋さんですか、それでしたらもう少し先へまいりますとございますが」
 「いえいえ、あの旦那はんはお留守でやすか。それではナ、ちゃっとおことずけ願います。わては中橋の加賀屋佐吉方から参じました。先ん度仲買の弥市の取りつぎました道具七品のうち祐乘光乗宗乘の三所物、備前長船の住則光、四分一ごしらえ横谷宗みん小柄付きの脇差、あの柄前は旦那はんがたがやさんやというてでござりましたが、埋れ木じゃそうで木がちごうておりますさかい念のためちゃっとおことわり申します。つぎは織部の香合、のんこの茶碗、黄檗便山金明竹、ずんどうの花活けには遠州宗甫の銘がござります。古池や蛙とびこむ水の音、これは風羅坊正葦の掛け物。沢庵木庵隠元禅師はりまぜの小屏風、あの屏風はナ、もし、わての旦那の檀那寺が兵庫におましてナ、この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって表具にやって兵庫の坊主の屏風にいたしますと、こないにおことずけ願います」
 「・・・なにをしているんだよ。はやくお茶をもっていらっしゃい。お茶をもっていらしゃいというのに」
 「いえもう、かまわんとおくてやす。茶はもう結構だす。おことずけのほうはわかりましたやろか」
 「それがその、これに小言をいっておりまして、ちょいと聞きとれないところがございましたが、相すみませんがもう一度、おっしゃっていただきたいので」
 「さよか。わて、丁稚はんに二度、あんたはんに一度、もう口が酸うなってまんね。よう聞いてくんなはれや、わては中橋の加賀屋佐吉、知ってましゃろ。加賀屋佐吉方から参じました。先ン度仲買の弥市が取りつぎました道具七品のうち、祐乗光乘宗乗三作の三所物、備前長船の住則光、四分一ごしらえ、横谷宗みん小柄付きの脇差、柄前はナ、旦那はんがたがやさんやというてでござりましたが、ありゃ埋も木じゃそうで、木がちごうて・・・よく聞いといておくんなはれ、木がちごうておりますさかい、念のためちゃっとおことわり申します。つぎは織部の香合、のんこの茶碗、黄檗山金明竹ずんどうの花活けには遠州宗甫の銘がござります。古池や蛙とびこむ水の音、これは風羅坊正筆の掛け物。沢庵木庵隠元禅師はりまぜの小屏風、あの屏風はナ、もし、わての旦那寺が兵庫におましてナ、この兵庫の坊主の好みまする屏風じゃによって表具にやって兵庫の坊主にいたしますと、かようにおことずけ願います。ほなら、ごめん」
 「あっ、もし、あなた・・・ほら、ごらん。なにをいわれたのかちぃともわからないじゃあないか。お茶をもって来てくれれば、もういっぺんぐらい聞かれたのに、旦那がお帰りになったらこまるじゃあないか。・・・おや、お帰りなさいまし」
 「はい、ただいま。また小言かい」
 「あの、いまお客さまが見えました」
 「ああ、そうかい」
 「お茶をもっておいでと申しますの、お客さまのうしろにつっ立って、大きな声でげらげら笑っておりました」
 「こういうやつだからしかたがない。で、どちらのかたがおいでになったのだ」
 「いまお帰りになったばかりです。お会いになりませんでしたか」
 「会わなかったよ。どちらのかただ」
 「あちらの・・・」
 「いえ、どういうかたかだよ」
 「あの、羽織を着て、帯びをしめて、こう・・・」
 「おまえさんも与太がうつったのじゃあないかい。しっかりしておくれよ。どこの、なんというかたが、なんの用で来たんだい」
 「いま、お帰りになりました」
 「帰ったからあえなかったんじゃあないか。どこの、なんという名前のかたなんだよ」
 「あの、それが、上方のおかたのようで、言葉も早口でよくわからないところがありましたので」
 「へえ、上方のかた・・・?」
 「なんでも、中橋の加賀屋さんとか」
 「おう、あいたかった。佐吉さんかい」
 「いえ、そこのお使いで、仲買の弥市さん」
 「ああ、弥市ならいつか家へきたことがある。その弥市がきたのか」
 「いえ、その人が気(木)がちがったんです」
 「えっ、気がちがった・・・」
 「ええ、気がちがいましたからおことわりにまいりましたというので」
 「おかしいな。それから、どうした」
 「なんでも・・・遊女を・・・」
 「なんだって、遊女・・・」
 「遊女は客に惚れた・・・とか」
 「どこかで聞いたようだなァ」
 「いえ、遊女を買ったんです。それが孝女なので」
 「へえっ」
 「掃除が好きで・・・千艘や万艘って遊んでいて」しまいにずん胴切りにしちゃたんで」
 「気ちがいだから、なにをするかわからない。それからどうした」
 「それから隠元豆に沢庵でお茶漬けをたべて」
 「わかれないなァ、どうも」
 「なにをいっても、のんこのしゃあ」
 「なんだい、そりゃあ」
 「それで備前の国へ親船で行こうと思ったら兵庫へ行っちゃったので・・・。兵庫にお寺があって、そこに坊さんがいるんです。うしろに屏風が立ってて、屏風のうしろに坊さんがいて・・・。兵庫にお寺があって、そこに坊さんがいるんです。うしろに屏風が立ってて、屏風のうしろに坊さんがいて・・・。これ、なんでしょう」
 「なにをいってるんだよ。子どものなぞだよ、まるで。話てえものは十ゥのところを五つわかればあとは察しることもできるが、どこかひとことぐらいはっきりおぼえていないものかなァ」
 「思い出しました。古池へとびこみました」
 「えっ。そういうことははやくいいなさい。古池へねえ。あの弥市には道具七品というものがあずけてあるんだが、買ったかなァ」
「いいえ、買わず(蛙)でございます」







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