2. 国際結婚・離婚に関する問題へのカウンセリング
2002年度も、前年度に引き続き日本財団(日本船舶振興会)からの補助金を受けて、国際結婚、離婚に伴う相談援助を行った。国際社会という言葉が珍しくなくなった現代社会において、当事業団に寄せられる国際結婚・離婚に関する相談も増加、多様化が予想される。国際結婚・離婚に関する相談がISSJに寄せられる方法としては、他の国の社会福祉機関よりISS支部を通して日本でのインターベンションが求められるケース、又、増加傾向にあるのが、クライエント本人からのEメールを使っての相談である。Eメールの発信元も日本国内からとは限らずに世界各国から寄せられる。
各国の社会福祉機関から寄せられる相談の内容の例をあげてみると、その国出身の配偶者と日本人配偶者の間での離婚手続に関する援助がある。このケースは、北米の国で結婚し、暮らしていた北米人夫と日本人妻の夫婦で、夫婦間での離婚の同意がなく、夫に無断で妻が二人の間の子どもを連れて日本に帰国した。夫は妻が里帰りをしたと考えたが、妻は夫の元に戻る意思がないことが夫に知らされた。夫は彼の国の法律に基づいて、彼の国の裁判所に彼の子どもの親権取得手続きを行い子どもの親権を取得したので、子どもだけでも連れ戻そうと考えたが、日本に帰国している妻には彼の国における裁判所の決定は強制できない。彼の国の法律だけによる問題解決が不可能だったため、裁判所以外の仲介がもとめられ、夫の住む国の社会福祉機関より、その国のISS支部を通して、日本に帰国している妻との面接等による話し合いの必要性から、当事業団の介入が求められた。
また、既に、国際離婚が成立している、アジア人の夫妻の間で、二人の間の子どもの親権についての決定に関して、ISSJの介入が求められたケースもあった。このケースは母親が住む国で親権に関する裁判が起こされ、その国の社会福祉機関を通じてその国のISS支部に依頼があり、日本に住む父親が申立てをした裁判に関する彼の意思の確認を依頼された。この夫婦の間には正式に離婚が成立しており、彼らの間には離婚後直接連絡がなく、母親も直接の連絡や話し合いを望まず、日本におけるソーシャルワーカーの介入を求められた。
その他、国際結婚をしている日本人配偶者の方から、援助が求められたケースもある。このケースは欧米人の夫が子どもを連れて、妻に無断で帰国してしまった。妻のほうから夫の実家に連絡等しても、夫と話しができず、今後どうするか等の話し合いをすることは出来ずにいる状態であった。妻は、ISSJと該当ISS支部を間に夫との今後の予定等話し合いを希望した。
クライエントから直接Eメールを通じて相談があったケースでは、日本在住又は出身国に戻った欧米人夫が日本人妻との間に日本の裁判所において離婚の手続を行う際に、父親としての権利が守られていない、裁判所の調停員とのやり取りに不満がある等の相談が寄せられた。又、日本において結婚手続を行った欧米人夫妻が、日本において離婚の手続を取りたいがどのようにしたら良いかというものもあった。
これらの相談は二カ国以上の国の法律がかかわり、また国際結婚・離婚に伴う子どもの親権、面接権、養育費に関する問題にも対応して行かなければならない。クライエント自身どこから始めて良いかわからないことが多い。そのような状況において、ISSJのソーシャルワーカーは、クライエントのおかれている状況を的確に把握し、情報を提供しながら、手続をサポートし、クライエントが自ら問題解決を促すことが必要である。
国際結婚の援助はISSJの主要な活動です
フィリピン・タイの国際結婚離婚のカウンセリング
2002年度(平成14年度)に取り扱った国際結婚・離婚のカウンセリングケースは100ケース以上あった。関係した国はフィリピン、タイ、米国、カナダ、中国、イラン、韓国等20カ国であった。特に最近急増しているフィリピンとタイのケースは半数以上になり、子どもを巻き込むケースも多い。そこでフィリピン政府社会福祉開発省(DSWD)、外務省在外フィリピン人委員会(CFO)、タイ政府公共福祉局(DSDW)等を訪問し、責任者と面接し、今後の協力体制についての意見交換をした。
フィリピンのDSWDでは国際結婚・離婚の問題を抱えた特に子どものいる夫婦へのカウンセリングに力を入れている。日本にいるフィリピン国籍の人、特に女性と子どもの保護をするために、DSWDと当事業団は業務協定を結んでおり、日本においてのカウンセリングをしているケースについて報告すると共に、別居してフィリピンに帰国した女性と子どもの現状調査を依頼した。DSWDには日本担当のソーシャルワーカーが常駐し、必要に応じてカウンセリングをしている。
フィリピンDSWDと業務提携を再度結ぶ
CFOでは外国人と結婚して夫の国に出国する女性に対し、パスポートを発給する前に2度カウンセリングを行っている。フィリピン・マニラのCFO事務所にはアメリカ、オーストラリア、日本、台湾そしてその他の国の、5つのカウンセリングルームが用意されており、日本人と結婚するフィリピン人の多さを物語っている。CFOで行うカウンセリングは個別のカウンセリングではなく、国際結婚の心得のようなものであるため、夫婦間で問題が生じたときの解決にあまり役立つとは思えない。そこで現在当事業団が行っているマリッジカウンセリングについてCFOに説明をしたところ、CFOでカウンセリングをするときに、日本で困ったときには日本国際社会事業団に連絡するようにとのメッセージと当事業団のパンフレットを渡すのはどうかという意見が出され、その準備を行うことを約束した。
タイではDPDW事務所を訪ね、日本のケースを担当しているソーシャルワーカーと、個別のケースについて話し合った。タイ人と日本人の結婚の場合、フィリピンと違って英語が通じないことが多く、夫婦の共通言語がないために、意思の疎通がうまく出来なくて夫婦間に不信感や苛立ちがたまっていることが多い。そのため双方に個別にカウンセリングをすることでそれらの誤解を解消し、夫婦が協力して問題解決に努力することから新たに信頼関係を築いていくようにしていることを伝えた。DPDWでは日本における国際結婚の情報が不足しているので、当事業団からの報告は大変貴重である。今後も個別にそれぞれのケースが持つ問題の解決に協力することを確認しあった。
マリッジカウンセリングによって、離婚を思いとどまる夫婦や、日本人家族の中で一人言葉や文化、慣習等の違いから孤独になり、精神的に不安定になる状況に日本人配偶者が気付くことで外国人配偶者が安定する場合もある。国際結婚が増えつづけている現在、マリッジカウンセリングの必要性は大きいと考えられる。フィリピンとタイの政府が国際結婚をした自国民の結婚生活がうまくいくよう大変協力的であった。
フィリピンで国際結婚に関する問題の意見交換を行う
事例5:国際結婚で夫の暴力から離婚のケース
ISSフランス支部では、フランス人の夫Gが日本に一時帰国をしている日本人の妻と娘についての調査をしてほしいとの依頼を受け、ISSJに調査依頼が寄せられた。フランス人の夫Gは15年前、日本人の妻と同じ職場で出会い5年後結婚した。その後娘が産まれ平穏に暮らしていたが、ある日妻が日本の家族に娘を見せると言って日本に帰った。2週間の予定を過ぎても帰国せず、1ヵ月が過ぎてしまった。電話で連絡が付かなくなり父親は自らの家族問題、夫婦問題を相談するためISSフランス支部と連絡を取った。ISSフランス支部では、夫Gと面接しカウンセリングを実施し、夫婦関係の調整をISSJに依頼してきた。
早速ISSJは妻と娘に連絡を取るために妻の実家に手紙を出し、その結果妻と娘に連絡をとることができた。担当ワーカーは妻と娘と面接の上、個別にカウンセリングを実施したところ次のことがわかった。当初妻は仕事がおもしろく子どもはつくらないと提案して結婚に至った。ところが結婚後夫の暴力が始まって妻は異国にいて誰にも相談することもできずじっと耐えてきた。やがて夫は子どもがほしいと言ったので子どもができたら夫の暴力が治まるのではないかと思い、不安ながらも娘を出産した。しかしながら夫の暴力は治まらず、娘の前ではいい父親母親を演じてきたがだんだん娘も気づき始めた。娘が5才になった頃、夫婦喧嘩を娘の目の前ですると健気に父親と母親の仲裁に入ってくれるようになった。妻はそんな娘の将来をとても心配になった。何とか夫から離れる方法を考えて実家に里帰りという理由で日本に帰ってきた。実家には夫から常に連絡が入り妻と娘はその電話に怯えるようになってきた。そこで実家から遠く離れた所に家を借り日本での生活を始めようとしていた。面接中ワーカーが娘に質問をすると娘は母親の顔色を見ながら返答を考えていて情緒不安定な様子がうかがえた。また妻も感情をコントロールすることができずワーカーが対応に苦労した。そして妻と娘はもう夫Gのもとへ帰るつもりがないという意志を確認し、ISSフランス支部へ報告書を送った。2ヵ月後ISSフランス支部から、夫が離婚と娘の親権についての新たな依頼を受けた。それにより担当ワーカーは妻と面接の上、離婚の意志を確認し法的手続きを進めるため弁護士を紹介した。ISSJはISSフランス支部と連絡を密にし、娘の親権については今後の課題として、日本に帰国中の妻と娘のサポートを続けていく。
事例6:フィリピン人へのカウンセリングのケース
フィリピン人女性Hは父親が小さいときに亡くなり、家庭が貧しかったために母方の叔母のもとに引き取られた。Hは子どもの頃より学校から帰って家事をしていたが、唯一の気晴らしはテレビを見ることで、彼女のお気に入りの女優が演じるすてきな人生を夢見ることだった。18歳の時、彼女は日本でエンターテイナーをしていた元のクラスメートに出会い、同じ仕事に誘われた。彼女はトレーニングとオーディションを容易にパスし、すぐに他のフィリピン人女性と共に来日、群馬県に行った。Hと他のフィリピン女性たちは互いに励まし会い、寂しさとホ−ムシックを紛らわしていたが、クラブのオ−ナ−が売春をするよう求めてきたので怖くなり、機会をうかがって東京に逃げ、知り合いが紹介してくれた錦糸町のクラブに勤めた。Hは錦糸町で超過滞在のフィリピン人男性Iと会い一緒に住むようになった。彼女は娘Jを出産した後もホステスとして働き続けたが、嫉妬と金銭問題でIとの言い争いはひどくなるばかりであった。彼は度々暴力を振るい、彼女は痣や打撲傷を負って仕事に行くこともあったが黙って耐えていた。ある日IとのけんかのフラストレーションからHはひどく酔っ払い、気がつくとクラブの常連客である日本人男性Kの部屋で寝ていた。帰宅するとIにひどく殴られ娘Jはベビ−シッタ−に預けられ、二度と子どもに会わせないと言われた。彼女は家から逃げ出し日本人男性Kに助けを求め、娘Jを捜した結果、児童相談所に預けられていることがわかった。彼女は娘Jの保護監督権を得るためにISSJの助けを求めてきた。HとIはISSJのソーシャルワーカーと一緒にフィリピン大使館に行き、Jの出生証明書とCによるJの認知手続きの申請をした。
HとIは双方共に娘の養育を希望し、数回にわたり個別にカウンセリングを受けたが、フィリピン法の下では彼らは結婚していないので、Hが子どもの監護権を得た。その後彼女はIと別れ、Kから結婚の申し込みを受けた。よく考えた結果Kが真剣で、娘をとても可愛がっていることが分かり彼と結婚することにした。
Hは現在もISSJのカウンセリングを受けているが、Iからの連絡はなくなった。ISSJのソーシャルワーカーは結婚の契約を結ぶための法的資格申請のため大使館へ行った。KはISSJに国際結婚の助言を求めたので、彼らの結婚生活が上手くいくようにフィリピンと日本の伝統と文化についてカウンセリングを行った。Kは良い夫、良き父親で、子どもは彼のことが好きでお父さんと呼び大変仲が良い。ISSJではHとJの滞在許可を申請するよう指導し、長期間待った結果許可が下りた。KはフィリピンのHの親戚に会って受け入れられたこともあり、Jの養子縁組を希望しISSJのオリエンテーションミーティングに参加した。養子縁組への道のりは長いが、全ての当事者にとって満足がいくものになると考えられる。
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