3. 難民および難民申請者への相談援助
ISSJは難民高等弁務官事務所(UNHCR)から、日本国内の難民申請者、認定者への生活適応援助業務を委託されている。今年度支援した難民申請者・認定者の数は26名、国籍はアフガン、イラン、エチオピア、カメルーン、ガンビア、スーダン、トルコ、ミャンマー、ウガンダ、ベトナム等10ヵ国に及ぶ。具体的な援助内容は、住居や仕事探し、医療機関への同行、地域で開催されている日本語教室への紹介、入局管理局への同行、同行先での通訳など、多岐にわたる。日本政府から難民認定の結果が出されるまでには、何年もかかることもあり、その間、難民申請者は限られた社会資源をつないで生活を送らざるを得ない。こうした難民申請者の声に耳を傾け、ニーズを把握し、社会資源の活用を模索し、橋渡しをすることが、ISSJの重要な業務となっている。さらに本年度、UNHCRとの新たな契約業務として、東京入局管理局と東日本入国管理センターに収監されている難民申請者への面会が加えられた。収監者と定期的に面会し、彼らの状態や意向をUNHCRや担当弁護士に報告し、必要に応じて金銭・物品の差し入れを行っている。物品や金銭を差し入れに要する費用は、UNHCRからISSJへの事業委託費で賄っている。
ISSJは日本国内の難民申請者、認定者の支援体制の確立、強化及び支援技術の向上を目指すためパリナック・ジャパン・フォーラムに加盟している。さらにそのなかで、日本国内の難民申請者及び定住者の支援を行うISSJを含む7団体が分科会「国内難民支援部会」(Refugee Assistance in Japan=RAJA)を構成している。RAJAはUNHCRをパートナーとして、月に一度定例会を開催し、国内難民を支援するNGOの協働・連携体制の強化、情報の共有化に努めている。また、国内難民存在を広く社会に知らしめ、難民問題に対する理解が得られるよう、パンフレットの作成、イベントへの参加も積極的に進めている。
昨年度、アジア福祉教育財団難民事業本部の委託を受けて難民支援協会が「難民認定申請者等の生活実態調査」を実施したところ、住居の確保が生活上の大きな困難になっていることが判明した。また、2002年5月に発生した脱北者の在瀋陽総領事館事件駆け込み事件を受けて、日本国内でも難民政策見直しに向けた機運が高まり、難民申請者の生活支援等についても、国会・世論の関心を集めることになった。こうした状況を受けて、難民事業本部は「英国、フランス、ベルギー、ドイツにおける難民申請者のための受入施設等に関する海外調査」を主催し、ISSJはこの調査に職員を派遣した。調査団は2003年1月26日から2月7日の日程で、欧州4カ国の政府機関や難民支援NGOとの意見交換、難民申請者の受入施設の視察を行った。
事例7:難民への精神的サポートのケース
ISSJは難民のLの医療費、生活費と仕事探しの問題でUNHCRよりLへの相談援助を依頼された。ワーカーは早速Lと彼が入院していた病院のメディカル・ソーシャルワーカーに電話連絡をして面接で約束した。
Lは両方の腎臓に結石があり、手術が必要で、面接当時、片方の結石は摘出を終え退院していたが、体力回復と他方の手術のためにも、長期療養生活をしなければならず、仕事は解雇され、収入の道はなくなっていた。その上、高額な医療費を支払うことが出来ず、(退院後、その半額は支払うことが出来た)彼は医療費の残金の支払い、他方の腎臓の手術費、生活費や自国に残してきている妻や子ども達への送金などを工面する方法が見つからず、更に健康を回復した後の就職のことを考え、精神的に落ち込み、十分な睡眠も取れず元気がなかった。
Lは、日本政府より難民として認定されなかったが、自国に帰国することは命に危険があると判断され、特別在留許可を取得して、一年の定住者ビザを持っていた。そこで、ISSJワーカーは彼に生活保護費の支給を申請できることを伝え、福祉事務所に申請することとなった。福祉事務所の担当者は、その市で外国人からの申請は、Lが始めてであったために戸惑いを感じたようだったが、ワーカーの同行と説明で、担当者は納得し、手続きを進めてくれ、Lは生活保護費を受給することが出来るようになった。その結果Lは生活費と医療費は保障され、他方の手術も無事も終え、十分な医療を受けることができた。健康を取り戻したLはハローワークを通して求職活動をはじめたが、なかなか見つからなかった。
ワーカーは、落ち込んでいるLを励ましながら、彼がもっている技術を生かせる仕事場を探すことを進めると同時に、以前彼が勤務していた会社に再度依頼することも勧めた。その結果、彼は以前の会社に再就職が出来、保護費の受給も中止した。再出発が出来るようになった。
その後、彼は元気に仕事を続け、生活も安定してきた。そこで自国に残している妻や子ども達を日本に呼び寄せ、家族一緒に生活をしたいと願っており、困ったときは、ISSJに相談したいと思っている。また、ワーカーは、ISSJとして出来る支援をしたいと思っている。
4. 国際児(混血児)やインドシナ難民への社会適応援助促進活動
本事業は呉事務所が主として活動を行ってきた。第二次大戦後の呉市周辺では占領軍兵士と日本人女性との間に出生した国際児(混血児)とその家族に対して社会援助が求められ、1959年に呉市・厚生省の要望により呉事務所を設置し、相談業務活動を行っている。
現在、国際児も大半は40代〜50代前半の年齢に達しているが、結婚・離婚問題、再就職問題、子どもの問題、親の介護、医療相談など様々な悩みを抱えている者もいる。呉事務所はそうした国際児の身近な生活相談の場として、大きな役割を果たしている。
その中でも特にグループ活動の中でケースワークを行うことが、国際児やインドシナ難民定住者の日本への社会適応促進化のために、大きな効果をあげてきている。
また1996年に、ISSJ呉クラブ(ISSJ国際児の会)は、広島メコンの会と「ISSJ呉国際交流の会」(会長:福田昭二)を結成し、バザーなどの行事で呉近郊在住の外国人と交流の輪を拡げている。
平成14年度は次のような活動を行った。
◆第7回ISSJ呉バザー(4月29日)
「呉みなと祭り」の国際村に出店し、ラオス・ベトナム・カンボジア・フィリピン料理の手作り販売をした。その他日用品や新品・中古の衣料品の販売をした。広島メコンの会、フィリピン人と日本人のボランティア、東京本部のスタッフの協力を得て、前年を上回る148,320円の純益をあげることができた。
◆ISSJ50周年記念式典に参加(9月26日)
呉市・東京近辺在住の国際児とその家族8名・ボランティア2名・呉事務所スタッフ1名が出席した。国際児にとり、役員の方や東京のスタッフとの初めての交流もあり、思い出深い有意義な会となった。
◆秋の集い・バスツアー(11月17日)
春のバザーの収益金と岸槌好子基金を利用し、バスを利用して閑谷学校と湯郷温泉・ 武蔵の里巡りをした。国際児、インドシナ難民、フィリピン人ら39名が参加し、相互の親睦と交流を深めた。
ISSJ呉バザーは毎年盛況I
プテアニョニョムの2階で遊ぶ子ども達
クメール語も読めるように
衛生教育に力を入れている
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