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VII. ADR及びODRに関する考察
1. ADRやODRが推奨されている理由:
 電子商取引の発展を促進する一助として、“ODRサービス”を広く発展させる必要性が叫ばれています。これには、従来から有るADRを推奨する議論に加えて、「B2C取引」への配慮が特に強く働いています。
 インターネット上で行われるクロスボーダー取引に対する消費者の信頼を確立する為には、しかるべきODRサービスが必須だという考えからです。
 
 しかし、紛争解決手段としてのODRに関する議論の実態を見ていると、単に、紛争当時者間の話し合いの仲介・斡旋を務める程度のものから、仲裁により争うケースまで、さまざまなADRの形態が区別されずに議論されていることが有ります。
 以下に述べる様に、ADRの種類が異なれば、考慮すべき事項が異なりますので、「如何なるADR手段を利用するものに就いての議論か」を明確にしておかないと、議論の焦点がぼやける危険性が有ります。
 
 本稿では、ADRの1つである仲裁(3.2以下で後述)を中心に述べます。
 
1.1 ODRが強く推奨されている理由:
 
 ODRの必要性を強く主張する理由としては、次の様なものが挙げられています。
 
 従来の司法手続では、
 
(1)遅すぎる。(2)高すぎる。(3)クロスボーダー紛争を有効に処理出来ない。
 
 それに比し、ODRであれば、
 
(1)迅速に判断して貰える。
(2)安価である。
(3)クロスボーダー紛争に対応出来る。
(4)専門的な事項に関し、不慣れな裁判官ではなく、その道の専門家に判断して貰える。
(5)秘密が守れる。
 
 従って、「オンライン紛争解決システムを!」という訳です。
(これらの五つの項目については、後述2.2で検証します。)
 
1.2 ODRの二つの要素:
 
 有効なODRの確立の為には、次の二つの要素を分けて考える必要が有ります。
 
(1)如何なるADRを利用するのか?
(2)選択した当該ADRを、オンラインで実施する為には如何なる課題が有るか?
 
 (2)については、コンピューター技術上の問題と、当該ADR手続のオンラインによる実施に関わる法的な問題の二つの要素が有りますが、つまるところ、有効な紛争解決手段となる為には、(1)の問題が最も重要ですので、本稿では、(1)の問題、すなわち、「如何なるADRの方法が有り、各方法に如何なる課題が有るのか」に限定して述べたいと思います。
 
2. ADRのメリットとデメリットの分析:
 ADRのメリットを高く評価する声が有る一方で、上記した様なメリット(1.1の(1)−(5))が、本当に有るのか、仮に有るとしても、それはデメリットと裏腹ではないのかとの疑問の声が有るのも、また事実です。例えば、仲裁に関する議論の過程で消費者団体から疑問の声が挙げられた例が有りますが、これには、如何なる背景が有るのか?
 この点も含めて、少し分析して見る必要が有ると思います。
 初めに、議論の前提として、紛争解決手段には如何なる性質が望まれるのかに就いて、少し考察します。
 
2.1 紛争解決手段に望まれる要素:
2.1.1 紛争解決は、出来るだけ“迅速”に且つ“安価”に行われる必要がありますが、同時に、“正しい判断”が貰え、且つ最終的には、その判断が、“執行90可能性”によって担保されていなければ意味が有りません。
 
2.1.2 加えて、紛争の迅速な解決という点で、決して看過出来ない要素は、結果の“予見可能性”です。
 質の良い判例や仲裁判断が公開され、蓄積されていれば、一定の紛争に就いて、どの様な判断が出されるかがある程度予測出来る場合が有ります。紛争当事者が、各自、判例や仲裁判断を参照し、自己の法的立場を確認することにより、無駄な紛争を避け、和解することは決して珍しいことでは有りません。
 
2.2 (1.1で述べた)ADRのメリットに関する検証:
 
 上記したODR/ADRを推奨する理由とされているメリットに就いて、個別に考えて見ましょう。
 
(1)司法手続より迅速か?:
 
 一般的にはそう言えるでしょうが、必ずしも常にそうとは限りません。
 仲裁でも、長い時間が掛かることも有りますし、特に司法制度改革により裁判手続がより迅速になった国などでは、このメリットには疑問が有るかも知れません。
 
 (伝統的に仲裁を利用することの多い海事案件について、昨今、英国の弁護士は仲裁手続より訴訟を推奨することが多い。英国における司法改革の結果、訴訟手続でも、早く、安価に判決が貰える様になったからという理由によります。)
 
(2)司法手続より安価か?:
 
 必ずしもそう言いきれないでしょう。何故なら、裁判の場合、裁判官の人件費や法廷の使用料等が公費で負担されるのに対し、仲裁の場合は、仲裁人の手当や、仲裁の為に使用する場所の使用料等は、当事者負担となりますし、仲裁が長期化すれば、費用が嵩むことになります。
 
 (消費者保護の観点から見ると、例えば、英国における裁判の様に、負けた当事者が、勝った当事者の弁護士費用の主要部分を負担する制度の下で、しかも、弁護士が、“No cure, no pay"91で弁護を引き受けて呉れる場合などには、明らかに勝ち目の有る原告=消費者は、余り訴訟費用の心配をしないで済むでしょう。)
 
(3)司法手続よりクロスボーダー紛争に有効に対処出来るか?
 
 B2Bの取引では、従来からクロスボーダー紛争など珍しく有りませんし、裁判所又は仲裁を活発に利用していますが、特に司法手続による場合に限って問題が生じるということも有りません。
 
 (なぜ、クロスボーダー紛争が改めて問題になるかというと、電子商取引により、一般消費者が、不慣れな「法域92を異にする相手との取引」にしばしば参加することになったからでしょう。)
 
(4)専門家により判断して貰える。
 
 確かに、専門的事項に関し、その道の専門家に判断を依頼出来るメリットが有る場合が有ります。但し、この点に就いては、訴訟の場合でも、鑑定人93を利用出来ますし、その道の専門家は、必ずしも法律の専門家ではありませんから、肝心の法的判断を誤る可能性が有ります。
 
(5)秘密が守れる。
 
 この点は、確かに、そうです。何故なら、訴訟は、公開が原則ですので、紛争当事者及び紛争の内容、果ては判決の内容まで、第三者の知るところとなります。一方、仲裁の場合は、原則として非公開です。
 但し、通常の、逃げも隠れもせず、堂々と判決を貰おうとする争いの場合には、逆にこれが、デメリットになります。
 
 (尚、4.5及び4.6で後述する様に、当初仲裁に持ち込まれた紛争が、更に裁判所に持ち込まれることになる場合、結局、公開されることになります。)
 
2.3 仲裁に対して指摘されるさまざまなデメリットの例:
 
 ADR、特に仲裁の場合、たとえば、次の様なさまざまな指摘が有ることも忘れることは出来ません。
 
(1)当事者が、裁判制度を利用する権利を失うことになる。
 
 仲裁を選択するということは、憲法上認められた権利である「裁判を受ける権利」を、契約によって放棄することを意味します。
 
(2)仲裁判断が、事実上、終局的判断となり、訴訟と違って、控訴・上告の機会を奪われる。
 
 仲裁の場合、仲裁人の判断を"final"なものとする合意が有る場合が多いので、控訴して更に争う機会を放棄することになります。
 従って、間違った判断をされた場合、訴訟における様な三審制度94の救済が受けられないことになります。
 
(3)証拠調べが十分でない。
 
 仲裁の場合も、証拠収集の為の「裁判所の証拠調べの援助」という制度が有りますが、実際に利用されるケースは少ない様ですし、また、証拠の取扱い・評価(心証の形成)に関して、法律については素人である仲裁人の判断に不安を感じる場合が有るのは事実です。
 
 (尚、UNCITRALが策定した国際商事仲裁の為のモデル法95にも、次の様な条文が有ります。
 
 モデル法27条(証拠調べにおける裁判所の援助)
 
 「仲裁廷又は仲裁廷の許可を得た当事者は、この国の権限ある裁判所に対し、証拠調べのための援助を申し立てることができる。裁判所は、その権限内で、かつ証拠調べに関する規則に従い、申立を実施することができる。」)
 
(4)仲裁人の能力に信頼がおけない。
 
 例えば、日本人どうしの争いで、日本人の仲裁人により、日本で仲裁が行われる場合でも、判断の基準となるべき契約の準拠法が、英国法や米国法などの外国法である場合も多いですから、紛争を、当事者の合意した当該準拠法、即ちに、その外国法よって判断するだけの知識・能力の有る仲裁人を選任する必要があるのですが、実は、それはかなり難しいことなのです。
 
(5)仲裁判断96の基準がぶれる。
 
 後述(4.3)する様に、仲裁判断の準則は、原則として"法律"ですが、仲裁人の中には、このことを知らなかったり、または、余り気に止めなかったりする人もおり、自分の勝手な「衡平と善」を基準に判断する場合も有り得ますので、
 
「折角、契約作成時に、十分に準拠法と判例を精査し、注意深く契約文言を決定しても、判断基準がぶれては、何にもならない!」
 
という苦情は良く耳にします。
 
(6)判例は蓄積されることにより、上述した「予見可能性」に寄与しますが、仲裁判断は、公表されないことが多い為、「予見可能性」が低い。
 
 仲裁判断も当事者の合意などを条件に、当事者の名称などを伏せて公表されることも有りますが、仲裁に付託される全体の件数が少ない場合、公表される件数は更に少なくなり、殆ど参照の役に立ちません。
 
 (例えば、日本海運集会所から発表される仲裁判断は、年間数件程度ですが、ロンドンの海事仲裁の場合、受け付ける件数が年間1,000件以上であることに加え、かなりの数が公表されます。従って、法的疑義が生じた場合、日常業務において日々、それらの仲裁判断を参照出来ますから便利です。)
 
(7)法秩序維持の立場から、次の様な意見も有るでしょう。
 
 司法によるチェック無しで、法律の適用を誤った仲裁判断が安易になされる可能性が有るのは問題ではないか?
 まして、その様な法的に問題の有る仲裁判断が、国家権力を利用して執行されるのは問題ではないか?
 
 (英国仲裁法に見られる様に、“general public importance”の有る事項について、裁判所に対し“Appeal on point of law”の余地を認めている制度は、これらの点に対する配慮かも知れません。)
 

90 執行:判決、仲裁判断などを強制実現すること。強制執行を意味する。
91 "No cure, no pay":ここでは、敗訴した場合には、弁護士費用は請求しない条件で弁護をひきうけること。
92 法城:一定の法律が適用される地域、国(時には、州)が異なると、法城が異なるこことなる。
93 鑑定人:訴訟手続きにおいて、専門的な学識経験に基き、取調べを受け意見を供述する第三者。
94 同一事件につき3審級での審理及び裁判を受けることを認める審級制度。
 
95 モデル法:UNCITRALにおいて、1985年、各国が、仲裁に関する法律を制定する際のモデル法として、国際商事仲裁モデル法(UNCITRAL Model Law on International Commercial Arbitration)が策定され、国連総会で承認されています。
96 仲裁判断:仲裁人が、当事者間の紛争について下した判断。当事者間では、確定判決と同一の効力を持つ。







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