4. わが国のADR推進の現状
4.1 「e-Japan重点計画―2002」
「e-Japan重点計画」は、2000年7月に内閣に「情報通信技術戦略本部」と「IT戦略会議」が設置されたことに端を発します。それを機に2000年11月にIT戦略会議において「IT基本戦略」がまとめられ、それとほぼ同時に平行する形で2000年の第150回通常国会において「IT基本法」が制定され、同法第25条に基づいて「高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部」が設立されました。その第1回会合で国家戦略としての「e-Japan戦略」が決定されましたが、2002年6月18日IT戦略本部は「e-Japan重点計画―2002」36を決定しました。同計画は、高度情報通信ネットワーク社会形成のために、2001年3月29日に、「IT基本法」第35条に基づいて策定された「e-Japan重点計画」の見直しを行ったものです。同計画では、政府が迅速かつ重点的に実施すべき施策として、(1)世界最高水準の高度情報通信ネットワークの形成、(2)教育及び学習の振興並びに人材の育成、(3)電子商取引等の促進、(4)行政の情報化及び公共分野における情報通信技術の活用の促進、(5)高度情報通信ネットワークの安全性及び信頼性の確保、の5つの分野を掲げ、5ヵ年で政府が取組む施策を明らかにしています。
4.2 ADRに関する共通的な制度基盤の整備等
「e-Japan重点計画―2002」は、2003年における事業者間(BtoB)及び事業者・消費者間(BtoC)取引の市場規模が、それぞれ1998年の約10倍、約50倍の規模となる70兆円程度、3兆円程度を大幅に上回ることを目標に掲げています。2001年度に成立した電子商取引に関する法律に、「電子消費者契約及び電子承諾通知に関する民法の特例に関する法律」(2002年12月25日法施行)があります。消費者保護及びADRについては、「個人情報の保護に関する法律案」が提出され、また2002年3月司法制度改革推進本部の「司法制度改革推進計画」が閣議決定されましたが、同計画においてADRに関する関係機関の連帯強化及びADRに関する共通的な制度基盤の整備を行うべきこと及び実施時期が記載されています。電子商取引等の浸透のための制度整備の一環として、ADRに関する共通的な制度基盤の整備が挙げられていますが、具体的には、2003年度までに、関係府省等の連絡会議の設置及び関係諸機関の連絡協議会の体制整備等を通じ、ADRに関する情報提供面及び担い手の確保面での連携強化を図るとともに、ADRの制度基盤を整備するための必要な方策を検討し、仲裁法制の整備を含め、ADRに関する共通的な制度基盤の整備を行う計画が示されています。また、消費者保護対策を充実するため、2002年度中に、消費者向けの電子商取引にかかるADR(斡旋、調停、仲裁等)に関する実証実験を実施するとともに、個人情報の取扱いを巡る紛争等におけるADRの活用も視野に入れ、利用者の利便性に配慮したADRの運用訂正の検討が計画に入っています。
5. わが国におけるオンラインADRの実証実験
2001年9月、ECOM消費者保護WGの全体会議においてADRプロジェクトの実施が承認されました。本プロジェクトは同年11月に「ネットショッピング紛争相談室」37を開設して、日本国内のインターネットショッピング市場を対象としたオンラインADR活動を開始しました。さらに同年12月に韓国と、さらに2002年1月には米国とカナダと国際オンラインADRのパイロットを世界に先駆けて開始しました。この実験は2001年11月〜2002年3月の4ヵ月間に実施されたもので、受付件数は173件です。ネットショッピング紛争相談室は、分析データの母集団が少ないと述べていますが、前記の既存仲裁機関の取扱い件数と比べて、短期間にも関わらず、いわゆるODRに対するニーズが相当数あることが証明されたことになります。また、この種の実証実験はわが国では初めてなので、そこで、ネットショッピング紛争相談室の報告書38に基づいて、わが国におけるオンラインADR実態を把握したいと思います。
5.1 実験の目的と対象
本実験は、事業者対消費者間(B2C)および個人対個人間(C2C)の電子商取引市場における、紛争開設(ADR)に対する市場(消費者および事業者)ニーズの掌握と、具体的紛争解決メカニズム(助言、斡旋/仲介、調停、仲裁)の検証を目的としています。また、実験の対象は、B2CおよびC2Cの電子商取引市場(インターネットショッピング)に起因する相談や紛争で、取引市場は国内取引および対外取引(韓国、米国およびカナダ)です。受付件数173件のうち、国内案件は113件(68%)、海外案件は60件(32%)となっています。
5.2 ADRの具体的手段
ネットショッピング紛争の解決手段には、次のものがあります。
(1)助言:これは、片方の当事者の相談や苦情に応じた適切な情報提供を行い、両当事者間の非対称性を是正して、解決に至る支援を行うものです。
(2)斡旋:これは、片方の当事者の申出に応じて、その主張と要求などを相手方の当事者に伝えて、合意に至る支援を行うものです。
(3)仲介:これは、片方の当事者の申出に応じて、その主張と要求などを相手方の当事者に伝えて、それに対する相手方当事者の反論などを確認した上で、合意に至る具体的な解決策を模索するものです。
(4)調停:これは、両当事者の合意を得た上で、調停委員を任命し調停委員会を設置して、合意に至るための解決策の仲介を行うものですが、調停条項の受諾は任意であり、法的拘束力はありません。
(5)仲裁:これは、仲裁法に定める仲裁であり、両当事者の事前合意契約に基づいて仲裁委員を任命し仲裁委員会を設置して、同委員会の判断によって紛争を解決するものです。仲裁判断は強制力を有し、確定判決と同一の法的拘束力をもちます。
5.3 案件受付と処理の形態
苦情や相談と紛争の受付は「ネットショッピング紛争相談室」のWeb(当相談室のホームページの受付票)によるオンラインで行い、その後のコミュニケーションは電子メールを原則とする、いわゆるオンラインADR(ODR)です。当相談室のADRサービスについては、提携先の(財)日本消費者協会の各消費者センターおよび東京都が運営する各消費者センターの斡旋、ならびにADRプロジェクトホームページ39で紹介しています。受付およびその後のコミュニケーションの媒体は、オンラインが原則ですが、状況に応じ電話や対面など他の手段も併用しました。
5.4 ネットショッピング紛争のデータ分析40
5.4.1 取引の種類
ADRプロジェクトが活動の場として開設したネットショッピング紛争相談室に寄せられた案件のデータ分析ですが、本相談室における集計期間内の受付件数は173件(国内113件68%、海外案件60件32%)でした。申立者は、消費者159件(92%)、事業者14件(8%)です。事業者の申立原因の半数は事業化に対する法律相談など、半数は販売代金の未回収であり、いずれも、いわゆるSOHOと呼ばれる個人事業者からのものでした。全体に占める各取引分野の比率(カッコ内)は、ネット課金(33%)、ネット通販(34%)、ネットオークション(21%)、ネットサービス(9%)となっています。
ネット課金の67%は国際電話料金請求であり、接続先書換ソフトが申立者の意図しないところでPCにインストールされ、以降のインターネット接続は海外プロバイダーに接続され、数万円から20万円といった高額の被害となっています。本請求に対して国際電話会社には約款に基づいて対抗できず、再発予防しか手段はないとのことです。残りの33%は、Webが巧妙に作られており月会費などの解約が困難で、クレジットカード請求が継続するものです。
また、ネット通販の原因別構成比は、品物未納が42%と多く、百数十万円の腕時計や数十万円のブランドバックなどの装飾品から数千円のPCパーツまで様々ですが、高額なものの大部分は極めて詐欺的要素の強いものであり、価格につられて安易に前払いをせず、オンライントラストマークの有無や、購入者にとってリスクの少ない決済手段(代引きやクレジットカード決済など)を導入している販売業者を選択することが大切です。ネットオークションでは、C2CとB2Cが半々であり、C2Cは些細なやり取りが原因となって誹謗中傷の泥仕合となっている傾向が見られます。ネットサービスの事例は、メールマガジン配信契約解除に関わるトラブルでした。
5.4.2 取引価格分布
取引目的物の価格の平均は110千円ですが、これは自動車や高額の嗜好品(ブランド時計やカバンなどの装飾品)の売買によって引き上げられています。ボリュームゾーンである200千円以下に絞ると、30千円以下に集中しています。ネット課金の平均単価は37千円ですが、5千円以下とそれ以上に大別でき、前者はアダルト系サイトにおける月会費請求の額であり、後者は意図せずダウンロードしたソフトウェアによってインターネットダイアルアップ接続先が海外プロバイダーに書換えられ、突然高額な国際通話料金が請求されたという類で、知らずに使っていると数万円から数十万円と高額になる傾向が見られます。ネット通販の平均単価は150千円であるが、これは自動車やブランドバックなどの高額嗜好品が数点あるためで、主な価格帯は50千円以下です。インターネットオークションの平均単価は75千円で、中古自動車やパソコンなど十万円を越える高額なものもありますが、主な価格帯は数千円から10千円程度です。ネットサービスの平均は28千円で、ネットマガジンの配信契約解除にともなう違約金請求120千円というのがありました。従来の仲裁機関が取扱ったADRに比べて、取引の種類、取引価格が非常に異なっていることが分かります。
5.5 オンラインADRの検証
ネットショッピング紛争相談室への申立者の申立と、その後のコミュニケーションの方法は、従来型の電話を主体とするか、E-mailなどの電子媒体を主体とするかで、意見が分かれたとのことです。しかし、ネットのさらなる普及と国際紛争への対応の観点から、処理の効率性を犠牲にしても電子媒体を主体とするべきであると判断して、Webでの受付とE-mailでのやり取りを試みることに決定されました。これがオンラインADRと呼ばれる所以です。結果的に、電子媒体を主体としたことによるメリットが享受されつつあります。すなわち、案件に対する処理内容の均一化と、時間的要因からの開放です。前者は、受付件数の増加に伴い、部分的ですが、案件の類型化が可能になり、比例して対応策の標準かが進展しつつあります。そして次のステップは、案件処理自動プログラムによる相談の無人対応の実現であり、これにより効率性が飛躍的に向上するものと期待しています。後者は、案件の受付タイミングのばらつきに制約されず、相談員などの人員体制の均一化が可能なことです。これらは、今後のネットショッピング紛争相談室の課題であるローコストオペレーションの重要な要素になると期待されています。
5.6 ADRに対する当事者のニーズ41
ネットショッピング紛争の解決手段としてのADRに対する当事者のニーズは、「とにかく話を聞いてほしい」といったものから、「時間も金銭も関係ない。徹底的に争う」というものまで幅広いようです。通常は、取引目的物の価格や当事者の価値観と、当該取引の不履行によって被った損害の程度が基礎となって紛争解決手段が選択されると考えられます。取引目的物の価格分布をみると、調停の場合、平均単価は177千円で、その価格分布も50%が100千円以上と高額になっており、10千円以下は10%にすぎません。相談は平均価格が78千円で、価格分布を見ると、100千円以上の高額は6%ですが、10千円以下は25%になります。斡旋(仲介)も平均価格は73千円で、価格分布は100千円以上の高額は24%、10千円以下の低額は30%となっています。ただし、173件のうち、調停と仲裁はわずか10件しかありませんでした。しかし、調停でも取引目的物の価格が数千円といった低額のものがあり、理論的な説明のできない案件も多く見られるということです。これらは、交渉の過程において、相手に対する印象悪化など、当事者の感情が大きく作用して、「徹底して争う」姿勢に発展するということです。ネットオークションでは、B2CとC2Cがほぼ半数で、また、品物に何らかの瑕疵や間違いがあった案件は全体の76%も占めています。申立者よりも被申立者の方が相手方(申立者)の過失を問う傾向があり、被害者意識をもっていた申立者が、加害者だと確信している相手方(非申立者)から反対に過失責任を問われたり、あるいは全く相手にされなかったりして、平常心を喪失して、誹謗中傷の泥仕合になる例があるとのことです。特に、消費者紛争の対応に十分な注意を払うことが大切です。
5.7 ADRの限界42
ADRにとって初期対応が重要であるということです。ネットショッピング紛争相談室における処理案件は、結果として、その90%以上が助言や斡旋によって解決されたということです。初期段階での事態の解明と適切な対処策や予防策の助言が有効であることが明らかにされました。けれども、前記のように、交渉の過程でいったんこじれると事態は急変して、第三者による仲介や調停すらも受け入れないことが少なからず起きるようです。特に被申立者が事業者の場合は顕著であり、かといって自力で解決する姿勢も見せない場合が多々見られたと報告されています。例えば、調停は、9件の希望に対して、相手方が調停プログラムへの参加を拒否したために、2件しか実行できなかったということです。仲裁は1件ありましたが、これも実行できなかったようです。強制力を有しない民間ADRの限界が如実に表れています。この場合の解決策は、紛争解決機関による企業レポートの公開といったある種の圧力か、強行的性格を有した司法に委ねるしかありません。一方のC2Cの場合は、根気強く双方の主張を聞くことによって双方の平常心の回復するケースや、ある程度の段階で双方を突き放すと逆に歩み寄ってくるケースがあります。しかし、悪意の当事者に対してADRは全く機能しないことは明らかです。
5.8 国際ODRメカニズムの枠組み43
国際オンラインADR(ODR)を実現するための課題のうち、最も顕著なものは相談や紛争解決の根拠をどこに求めるかということでした。いわゆる準拠法や諸習慣の適用は、消費者国のものなのか、販売業者国のものなのかということです。特に準拠法と管轄裁判権に関して、数年前から議論されているが、未だ決着を見ていません。ネットショッピング紛争相談室の本プロジェクトは、ADRを目指すものであり、司法とは直結しないものであるが故に、最もシンプルな解決法を韓国や米国の紛争解決機関に提案して、合意を得ました。それは、被申立国(裁判でいう被告)の既存方法に従うという考え方です。例えば、日本の消費者が米国の販売業者とのトラブルに巻き込まれた場合は、消費者は当相談室に申立、当相談室はそれを英訳して米国の紛争解決機関に解決処理を依頼します。そして、米国の紛争解決機関は既存の手順で当該販売業者と対応して、その結果を当相談室に回答し、当相談室は内容を和訳してその妥当性を確認後、当該消費者に回答するという手順が行われます。もし、回答内容が妥当性を欠いているものであれば、当相談室と米国の紛争解決機関間で協議します。この方法がベストだとは言いませんが、各国が合意したのは、すでに議論に終始している時ではなく、第一歩を踏み出すことが重要であり、それが国際紛争解決協力体制実現の近道であるとの認識からであるということです。
5.9 ADR制度の課題44
ODRに関する実証実験報告書は、ADR制度の今後の課題として、ADRの普及啓発のほかに、ODR担当者の育成およびオンライントラストマークとの連動の必要性を挙げています。
・ODR担当者の育成:ODR担当者に求められる特別な能力として、同報告書は以下の点を挙げています。まず、電子データでのコミュニケーションの観点から、文章の読解力と要点を簡潔に分かりやすく表現できる作文力は最低限必要です。インターネットの世界は、実世界と比較して、相手の特定が困難であり、されに地域等の物理的制約のなさも災いしています。また、インターネット取引の特性に適応した有効な対応手段のバリエーションの開発も重要な課題です。インターネットのような特定分野での専門知識の習得も不可欠で、B2C電子商取引に特化した分野でさえ、PCの構造やネットワークの仕組みと様々な取引形態や配送と決済システム、さらには取引目的物に関する商品知識や関連法律等、ハードからソフトに至る幅広い知識が必要であると説明しています。
・オンライントラストマークとの連動:ADRは裁判外である故に、例えば調停プログラムを開始するに際しても両当事者の任意参加合意が必要で、その結果の受諾を含めて、なんら法的な強制力も拘束力もありません。つまり、悪意の当事者に対してADRは全く機能しません。その対抗手段として、オンライントラストマーク取得事業者に対しては、その約款で片側拘束は可能で有効ですが、ネットショッピング紛争相談室に寄せられた案件の99%はこのような事業者以外の事業者及び個人間取引でした。このような現実から、インターネットショッピング市場におけるADRは単独で機能するのではなく、トラストマーク制度の補完機能と位置づけるべきであると考えられます。国連CEFACTの「オンライン裁判外紛争処理(ODR)に関する勧告案」は、これと同じ考え方に基づいています。
38 平成13年度電子商取引適正化調査(裁判外紛争処理(ADR)実証調査研究)報告書
40 前掲報告書、11〜27頁。
41 前掲報告書、28〜36頁。
42 36頁。
43 37〜38頁。
44 38〜39頁。
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