|
二人っきりのお留守番
九八年三月、アイコウボウは無人となった。次の移動教室は四月。それまでは誰もいないのである。そこで、急きょ二人の人物に留守番をお願いすることになった。松本マサキさんと伊藤コージさんである。ところがこの二人、車の運転が出来なかった。アイコウボウのあるバトルグラウンドはド田舎である。車なしではどこにも行けない。最寄りのスーパーでさえ車で十五分はかかる。そんな状況で、二人はどんな風にアイコウボウで過ごしていたのだろう。そこのところを松本マサキさんに書いていただいた。以下は原文である。
アメリカの藍工房の印象や感想を尋ねられても、僕には否定的な答えしか見出せない。もし訊かれなければ、彼の地で過ごした約一ヵ月の生活を思いだすことは、まず絶対にない。北米報知で書かせてもらっていたエッセイの連載が終了してしまった今となっては、アメリカヘ行ったことすら忘れている。もしかしたら本当に僕はアメリカには行ってないんじゃないかとさえ思う。
そんな覚束ない僕ゆえに、持ち帰って来た資料と記憶の断片を拾い集め、そして考慮の末、『記憶に残っていること』ベスト2ぐらいのことを軽ぅく物語ることに決めた。
一九九八年の三月、僕は従兄弟のコージ君に誘われ、彼の地に降り立った。そこで一カ月の殆どの期間、僕らは二人っきりで過ごすこととなった。課せられた務めは、留守番。なんにしても、気兼ねなく自由に振る舞え、時間的にも束縛がないと言う。アメリカの自由な空気を胸いっぱい吸えるはずだったのである。
しかし約束の地は毎日のように雨が降り、周囲を見渡せば山と草地ばかり。近くにあると言われたヘイスンさんの商店も、極めて遠い。文化を感じさせるものはなく、人通りも皆無だ。寒いわ、寂しいわで、正直つらい。たとえ仲良し小良しのコージ君とでも、ずっと顔を突き合わせていれば、飽きがくる。だから、たとえそれが事務的で無遠慮な通信であっても、東京からの電話やファックスは嬉しかった。だが、やはり事務的で無遠慮な通信は、僕らの心にぽっかりと空いた穴を埋めてはくれやしなかったのさ。
蟻地獄のような倦怠感とヒュゥルリィな心の隙間風が今日にも吹き荒れようとする或る日、コージ君はポートランドヘ独り旅立った。そして彼は自転車を漕ぎ、バスを乗り継ぎしてルートを開拓し、無事帰宅した。このことは藍工房アメリカにおいて歴史的な偉業らしい。また彼の報告では、外界にはなんとピチピチギャルまでいるらしく、この発見には僕も惜しみない拍手を送らせてもらった。
そんなこんなで後日、ちゃっかり僕は開拓王コージ君に付き従ってポートランドヘ向かうことにしたのだ。
しょぼつく雨の降る或る朝、僕らはチェーンやペダルの軋む自転車を漕いで五〇三号線に向かい、最寄りのバス停を目指した。一番近いと言っても、絶対的に遠い。途中で引き返して来たくなること請け合いだ。もう何度Uターンして帰ろうという考えが、軟弱な僕の脳裏に過ったか知れない。
まず僕らは七四番バスに乗り込んだ。自転車はバス前面にある専用の荷台に載せられる。ただ難点は、二台しか載せられないということだろう。そしてしばらくすると、素晴らしく文化的な〈セーフウェイ〉や〈ハイスクール・ファーマシー〉が見えてくる。それだけで胸はドキドキ、ときめきトゥナイト。
バトルグラウンドの停留所。そこは、もはやアメリカだ。見渡せばアメリカ人。聞こえてくるのは、まさにアメリカ語。七番のバスに乗り換えようとした時、さっそく僕は彼らの一人に話しかけられたものさ。すかさず答えてやったね、「アイ、ドン、ノー」って。アメリカに来たなって気が、ここで漸くしたよ。
バトルグラウンドからの車窓、田園風景とまでは言わないが田舎の景色がしばらくの間つづく。そんな単調な眺めはあまり好きではない僕だが、それらは眼に新しく鮮やかに映っていた。谷間の生活がそうさせているのは判っている。あの谷間の生活が・・・
それは、朝起きれば食事を作って食べ、午前中はなにをすることもなく正午になれば飯を作って食べ、午後もなにをすることもなく夕方になれば飯を作って食べ、夜は《ハイ・ライフ》ビールか《カルロ・ロッシ》という安ワインを飲んで眠る、という毎日。たまぁに〈セーフウェイ〉へ車で連れて行ってもらい、買い物をすることだけがなによりの楽しみだった・・・
蛹が蝶になるとは、このことだったのだ。自由、そして旅立ち。それは旅行。グレイハウンドで大陸横断、とまでは留守番の身では言わない。だが、この充実感はなんだ。そう、バス旅行なのだ。やがてバスは〈バンクーバー・モール〉に到着した。それは、まさに〈ジャスコ三光ショッピングセンター(大分県)〉の如き威容だ。しかしここは目的地でもなければ、寄る時間さえない。すかさず僕らは四番のバスに乗り換えなければならなかったのだ。
〈バンクーバー・モール〉から次の乗り換え地までは、市街らしい賑やかな通り沿いを進んで行く。明るい街並みとピチピチギャル。これはもう、ときめきトゥナイトどころではない。ここまで来たら、行くっきゃナイト、やるっきゃナイトである。
だが、そんなヤル気もセブンス・ストリートで乗り換えた一〇五番バスの車中で萎んでしまいそうになった。バスに乗ってる奴らは、一見しただけでタダ者ではないことが察せられる。なんとそこには、生まれて此のかた一度も愛想笑いなどしたことのないような野郎たちばかりが、詰め込まれているのだ。でも、それほどの恐怖を感じることはなかった。そこには、三流ハリウッド映画を見ているような滑稽さがあった。特攻野郎B級チームみたいな。
或る意味ジャックされていたバスは、無事ポートランドのダウンタウンに到着した。街である。正直、人間の多さに驚く。ここは〈セーフウェイ〉や〈フレッドマイヤー〉の往復しかしていなかった人間には眼の毒だ。特攻野郎たちが三々五々バスを降りて行く。そして僕らも、彼らの〈ウェルス・ファーゴ〉襲撃にかち合わないよう、適当な停留所で下車した。
このように、バスのナンバーと乗り換え地を具体的に文中に挿入してきた。思うほど大変なことではないので、興味のある方は挑戦してみてはいかがだろうか。帰りはコージ・ルートを逆に辿るだけの簡単なこと。ただ、以上のことは手元にある当時の資料を参考にしたため、現在は多少の変更があるかもしれない。
本来ならこれからダウンタウン観光について書くべきなのだろうが、正直ほとんど記憶に残ってないのだ。坂が多く、風が強かったため、ママチャリを懸命に漕いでいたのはよく覚えている。哀しいかな、大変なことぐらいしか覚えていない。軽いハプニングもあった。バンクーバー・モール発バトルグラウンド行きのバスにコージ君が乗り損ねそうになったのだ。それはマジでヤバかった。最終だったのだ。とにかく無事に帰ることはできた。そしていつもの生活に戻った。倦み飽きた時に漂い、僕らは帰国した。
僕らはアメリカで日本語を話し、日本食を喰っていた。訪れる人もコテコテの岩手県の出身だ。成田到着の直後、僕が「一カ月もアメリカにいた気がしない」と言うと、コージ君は言った。
「きっと俺たちは、編されて、岩手県にあるアメリカ村に連れて行かれたんだ」と。
おそらく彼一流のジョークだったのだろう。しかしこれこそ、僕らの過ごした一カ月間を物語るに当を得た表現ではないか。この、もうひとつの、遠き野の物語の締め括りとしては。
|