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アメリカ生活のおぼえ書き
野村健(メンバー)
 さて、私のことを覚えていますか。私は、野村健でーす。私としての藍工房は、やっぱり「ア・メ・リ・カ」
 私は英検四級を受け、うかった僕は、まるで有頂天になってしまった。とてもうれしかった僕は、「何か活かせないだろうか?」と思いました。そこで話のたねになることがまいこんだ。今まで習ったことの経験や体験を友にして、せい一ぱい英語の単語を頭で思い浮べ、使いこなした。
 アメリカ人は日本人をバカにしている。でも日本の留学生の制度がきびしい。アメリカ人も日本人もあの戦争の苦い経験がある。私はアメリカ人を悪くは言えない立場だ。
「私は大人」
「でも大人だってもらいたいもんね〜ェ」
「大人には意地っていうもんがあるから」
 ハロウィンは僕も楽しませていただきました。アメリカのハロウィンという祭りは、アメリカの文化そのものだ。ハロウィンは何かとやかましいものだ!賑わうなんて素てきでユーニークなのと不思議な世界だ。
「トリック・オア・トリートということば出てこない?」僕だった。
 
 サンクスギビングは日本のフード、アメリカのフードをきそいあいます。
「アメリカのフード何?」
「日本のフード何?」
「知ってるよ」
「知るわけないさぁー」
 
 私は泳ぐことが好きなので、スイミングプールに行きました。僕がびっくりしたのは?
「水球を日本人がたいへん苦労しているのに、小さい子供のころから水球をやっている」とアメリカの子は言ってた。
 サンクスギビングが終わって、ハロウィンが終わって、今度は「クリスマス」
 日本人はさっぱりしたものが好き。アメリカ人は油っこいものが好き。アメリカの味は日本人にあわないと思う。クリスマスというのはアメリカはイースターとも言うそうです。日本人は仏教を愛していますが、キリスト教は「アメリカ」。キリストがおうまれましたという意味だそうです。
 
 青い眼はアメリカ人。
 黒い眼は日本人。
 アメリカ人も「マダム」「マザー」がいる。私は歌を思い出した。赤いくつをはいていた女の子に会って本物のアニにも会いました。私がとても楽しかったことは、外国人と仲良くできたこと。
 
藍工房USA−家族での滞在
渡辺光子
 一九九六年四月半ばから約一ヵ月、家族四人で藍工房USAに滞在しました。
 最初は私が子ども二人(当時五才と二才)を連れてアメリカに行きたい旨を夫に話したところ、サラリーマンという身分にもかかわらず一ヵ月の休暇をとってくれ、家族全員で行けることになりました。姉にその話をしたら、「一緒に行きたい」と言い、小一、小六、中三の子三人を連れて共に行くことになり、さらに楽しい旅となりました(彼女たちは最初の十日間だけでしたが)。
 今の場所に藍工房USAが移って一年くらいの頃で、まだ作業場も建築途中でした。でも何人かのメンバーさん、ボランティアさん、スタッフがいて、とても賑やかな雰囲気の中、迎えられました。
 彼らと共に生活しながら作業もし、一緒に公園や動物園などにも出かけました。我が家では最初からレンタカーを個別にかりていたので、他のスタッフやメンバーのスケジュールに無理がかからぬよう行動することもできました。オレゴンやシアトル、カナダのバンクーバー島にも、行き当たりばったりの旅に出かけました。家族で長期の休暇をとってのんびり過ごせることは、この先の人生においてもほとんどないことでしょう。特別に刺激的なことがあったわけではないのですが、アメリカの道路や家も、スーパーやショッピングモールなども、日本との違いの様々が新鮮でした。日本でも食べているマクドナルドのハンバーガーのサイズの違いや、セルフサービスのガソリンスタンドさえおもしろく感じられました。
 そんな中で一番心配していたことは、工房で我が家のチビ達が迷惑をかけてしまうのではないかという点でした。なにしろ我がままざかりの年頃でしたから。しかしみんなに暖かく受け入れてもらえ、とても居心地が良かったことを覚えています。メンバーみんながとてもかわいがってくれたり、一緒に遊んでくれたり、そしてメンバー自身からも普段と違う面が見てとれたのです。子どもが存在するということの力、やさしくなれる魔力みたいなものを実感しました。子ども達も、メンバー一人一人に対して先入観や違和感などみじんもなく、メンバー達と対等に接していました。メンバーがするいたずら、言い争いさえも楽しそうに見聞きしていました。
 ちょうど滞在中に六才になった娘の誕生日を祝ってもらえた事も、とてもうれしかったです。たくさんの人に囲まれてのハッピーバースデーは初めてでしたから。
 動物が好きな子ども達にとって、野ウサギや野リスが見れたことも喜びのひとつでした。飼っている犬のパールやすみれと遊べたことも、今までにない経験でした。庭に出て自由に遊んでも危険のない環境は、親にとってとても安心していられました。いつもまとわりついている子ども達が、親いらずで外で遊んでいる姿を遠まきに見ていられる自分自身にも、心の余裕がありました。
 帰国する時、いつまでも手を振ってくれたメンバーの姿が今でも忘れられません。おそらく彼は私たちの車が見えなくなった後も、ずっと手を振っていたのではないかと思われました。胸があつくなりました。
 藍工房USAでの一ヵ月は、ツアー観光のような忙しさもなく、のんびりとマイペースで異国を体験でき、心暖まる豊かな時間でした。またいつか、大きく育った子ども達と共にあの家で過ごせたら・・・と思っています。







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