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移動教室始まる
アイコウボウ・アメリカでの生活が始まった。スタッフとメンバー、それにボランティアの人たちとの共同生活。みんな初めての海外生活である。
アイコウボウは横に細長い平屋の一軒家で、暖炉のある広いリビングルームと大きなキッチンの他に、五つのベッドルームがあった。このアイコウボウでアメリカの自然や文化に直に(じかに)触れ、地域の中で生活をしながら藍染めや刺し子、織りなどの作業をする。
参加する人たちは、だいたいアイコウボウに一ヵ月から三ヵ月程度滞在する。ビザの関係で、なかなか長くは滞在出来ない。年に二、三回程度移動教室が組まれ、スタッフやメンバー、ボランティアの人たちが日本からやって来るわけである。
参加者の人数は、もうその時々でまちまちである。多い時には十五人以上の人たちが詰め掛け、少ない時にはお留守番の人がひとり、ということもある。だから、これまでにたくさんの人たちがアイコウボウを訪れてきたが、人が多くいた時に参加した人と、少ない時に参加した人では、アイコウボウの印象もずいぶん違っていたことと思う。
参加者が五人以下なら各自個室が使える。だが、それ以上になると当然相部屋になる。特に最初の頃などは家具やベッドがほとんどなく、夜は床に布団を敷いて眠っていたため、人が多くなるといくつも布団を並べて眠ることになる。それはそれで合宿みたいで楽しい生活である。しかし、それでも部屋の広さ、布団の数には限界がある。あまりに多い時はボランティアの人たちにホームステイに出てもらい、毎日通いで来てもらうようなこともあった。
毎日の生活はこんな感じである。
七時起床。朝の食事当番の人はもう少し早く起きるが、それ以外の人たちは七時起床である。ところがというか、当然というか、みんななかなか起きてこない。起きてこないと一口に言っても理由は様々である。
アイコウボウのメンバーは当然ながらみんな障害者である。知的障害、自閉症、精神障害、身体障害。ただ決まった時間に起きるというだけでも、そう簡単にはいかない。
にぎやかなリビングルーム
何度起こしても返事だけで布団から出てこない人。薬(精神薬)のせいで起きることが出来ない人。目を覚ましてはいるが、自分の世界にこもってしまって部屋から出てこない人。着替えをするのに介助が必要な人もいる。みんなそれぞれ障害の種類や程度が違うため、それぞれのぺースで一日が始まる。
八時、みんな揃って朝食。食事のぺースもみんなそれぞれ違う。飲み込むようにしてすぐに食べ終わる人。ゆっくり食べる人。食べ散らかしてしまう人。人の残したものが気になって仕方がない人。それが済むと作業の時間である。
みんなそれぞれ藍染めや刺し子、織りなどの作業をするわけだが、アイコウボウが開設された当初には、その他にもいくつか大切な仕事があった。例えば、壁やベランダのペンキ塗りもそのひとつである。
アメリカでは家の補修は業者に頼まず、ほとんど自分たちでやってしまう。水道関係や電気関係ですらもそうである。だからペンキ塗りぐらい自分たちでやってあたり前。スタッフとメンバー、ボランティアが一緒になって、ぺ夕ペタペタペタ地道に塗っていく。
それともう一つ、庭の手入れも大事な仕事のひとつである。
アイコウボウはバンクーバー市内の住宅街にあった。アメリカの住宅街では景観がとても重要視されている。芝生が伸びていたり庭が荒れていたりすると、ご近所から苦情が来るのである。日本では考えられないことだ。特にタンポポにはうるさい。日本では「かわいい」と言われるタンポポも、アメリカではただの雑草。みんなから毛嫌いされている。もし我が家の庭にタンポポが生え、その種が風に飛ばされてご近所の庭に入りでもしたら大変なことである。だから、芝生の手入れは非常に大事なのである。
さて、みんながそれぞれの作業に奮闘しているころ、家の中では昼食作りの準備が始まる。アイコウボウでは、すべての人が食事作りに携わる。スタッフもメンバーも、ボランティアも。そして、出来るだけメンバー主体で食事作りをする。当然おそろしく時間がかかる。なので出来るだけ早めに準備を始めるのだが、それでもお昼には間に合わず、遅い昼食になることもままある。
それでもみんな文句は言わない。アメリカの時間はゆっくりと流れている。お昼が遅くなることぐらい何でもないのだ。
昼食の後は、午後も同じような作業が続く。三時におやつを食べ、自由時間。部屋で休む人。食事の前にお風呂に入る人。夕食当番の人は買出しに出掛け、夕食作りに奮闘する。
七時から夕食。食事の後はテレビ(日本のビデオ)を見たり、ゲームをしたり、お話をしたりして過ごす。そして、十時就寝。といっても、なかなかみんな寝てくれないのだが、ともかくこうして一日は終わる。
それぞれの障害を抱え、ただ生活するだけでも充分大変なのに、藍染めや刺し子などの作業をしながらスタッフやボランティアと一緒に食事作りやペンキ塗り、庭の手入れまでするのだから、これはかなり忙しい。
その上週末にはガレージセールを見て廻り、足りない家具や生活用品を揃えていかなくてはならない。目が回りそうである。
それに、せっかくアメリカに来たのだから滞在期間をフルに活かし、ダウンタウンにも出掛ける。遠出もする。マウントフット、コロンビアゴージ、オレゴンコースト。シアトルやカナダに出掛けることもある。
また、対外的な活動もなおざりには出来ない。九〇年には、バンクーバーのコロンビア・アート・センターやポートランドのコンテンポラリー・ギャラリーで藍染めの展示会を開くというようなこともあった。
こんなふうにして最初の三年間は、あれよあれよという間に目まぐるしく過ぎてしまった。四年目ぐらいからである、ようやくほっと息がつけるようになったのは。
この頃になると家の補修もだいたい終わり、家具など必要な物も一通り揃い、いろいろなことがだいぶ落ち着いてきた。そしてそれに加え、参加する人たちもこれまでのような短期滞在者だけでなく、一年以上の長期滞在者も少しずつ増えてきた。その皮切りとなったのが、島さん、森さん、江里ちゃんの三人組であった。
三人とも一年の予定で一九九一年春、アイコウボウを訪れた。島成臣さんは大学を卒業したての若い男性で、元々アメリカに興味を持っていた。森紀子さんは全寮制高校の元寮母さんで、アイコウボウの生活基盤を作るために参加していただいた。
一方江里ちゃんは知的障害者で、中学を卒業したところだった。これまで両親から片時も離れたことのない江里ちゃんが親元を離れ、一年間で身の回りのことがどれだけ出来るようになるかが課題だった。
この三人が一年間滞在することによって生活の基本的なぺースが作られ、その他の短期滞在者にも、より充実した生活が提供出来るようになった。そしてそれが、その後のアイコウボウの活動の基盤となっていったのである。
島さん、森さん、江里ちゃんをはじめ設立当初、言うなればアイコウボウの黎明期に関わっていただいた多くのボランティア、メンバーの方々に感謝を送りたい。こうしたボランティアの一人ひとり、メンバーの一人ひとりの力によってアイコウボウは支えられてきたのである。
リビングの掃除をするメンバー
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