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エッセイ
被害者とともに
宮城県警察本部犯罪被害者対策室
被害者対策係 田子裕子
 数あるシェイクスピアの戯曲の中に「タイタス・アンドロニカス」という壮絶な復讐劇があります。戦勝国ゴート族の将軍、タイタスにより敗戦国の生け贄とされ、目の前で長男を殺害された女王タモラは、激しい憎悪から将軍一族に対してマグマのようにおどろおどろしい怒りの刃を向けるのです。
 それはタイタスの息子達を殺害するに始まって娘の夫の殺害、娘への強姦など身体的にも精神的にも残虐を極めたものでした。さらに女王からの復讐を受けたタイタスもまた己の憎しみ、怨みを具現化するため、そして何よりも一族の誇りを守るために女王がもっとも苦しむであろう方策によってさらなる復讐心を陰惨に激しくぶつけるのです。これらの方策は戯曲とはいえあまりにも残虐で現実離れしているのですが、なぜか妙な生々しさがあり数日間興奮状態が続いたのを覚えています。ここに描かれる数々の復讐合戦と結末は紙面の都合もあり敢えて省かせていただきますが、人間の心に潜む復讐心の激しさにはただただ圧倒されるばかりです。
 被害に遭われた方々の支援業務に携わる仕事に就いてから三ケ月が過ぎようとしています。これまでの生活では自分の身に降りかかるなど思いもしなかったような事件に、自身や身内が遭遇した方々と接するにつけ人間のこころを無力感や罪悪感、憎しみで満たし、将来へ向かうあらゆる希望を略奪してしまう(事件直後にはこのように感じられる方も少なくありません)犯罪に、現実の法的な罪以上のものを感じてしまうこともあります。その度に「タイタス・〜」で描かれていたような「復讐」を行動に出すことを許されない現代において、「復讐」の矛先を失わざるをえないこころの傷が様々な症状となって表れているのではないかと思うのです。
 期せずして被害者という立場に陥れられてしまった方々は、被害に遭った原因をはっきりと示すこと(それだけのことをされる理由がある)、被害を過去のこととして整理すること(いつまでもメソメソしていても仕方ない)、そして被害を受け入れたうえで積極的に将来へ向かうこと(命があるだけでも良かったんだからこれから頑張って)を周囲の人や社会から強く求められることがあります。しかし、タモラやタイタスのように加害者を徹底的に憎み、復讐することによって「こころの均衡」が保たれるということもあります。憎むことは受け入れられても復讐という行為に及ぶことが許されない現代の被害者にとって、その傷を癒し人生を再構築する過程がどれほどのものであるかは、私たちが安易に同調することなど許されないほどの苦しみを伴う作業であることと思います。
 もちろん、単純に復讐することだけが被害回復に必要なこととは思っていません。反対に復讐という行為によって被害者がさらなる心理的負担を背負う場合も十分にあり得ます。しかし、自分の傷を誰にもはばかられることなく表現できることは回復過程における一つの促進効果となるのではないでしょうか。
 回復へと向かうプロセスは、よく「同じ所をぐるぐると回っているように思えて気が付くと少しずつ昇っている、らせん階段のよう」と表現されます。らせん階段を昇る途上で加害者に対する憎しみが表出し、ともすればその激しさが周囲の人に理解されず被害者の孤立感をかえって強めてしまうこともあります。このように、被害者の中で湧き起こる様々な感情は被害者自身にとって回復のきっかけにもなれば新たな傷にもなります。
 この非常にデリケートで混沌とした感情をしっかりと受けとめることが、被害者援助に携わる相談員にとって大切なことなのではないかと思います。そして、被害者にもともと備わっている力に働きかけることによって被害者が自分の人生を再び取り戻すこと、自分の力で癒ていくことが実感できることといった援助の基本を忘れず、被害者とともに新たな希望の光を探してゆきたいと思うのです。
 最後に、冒頭の「タイタス・アンドロニカス」に興味を持たれた方は映画「タイタス」をご覧になってみてはいかがでしょうか。人間の憎しみを容赦なく追求した内容とは裏腹に、衣装の豪華さと映像美、そして何よりもひとつひとつの台詞が奏でる旋律の美しさを堪能していただけることでしょう。
(臨床心理士)
 
エッセイ
犯罪被害者と家族
宮城県警察本部犯罪被害者対策室
被害者対策係 浅野晴哉
 現職場に心理カウンセラーとして勤務し、はや三ケ月が過ぎようとしています。各警察署からの犯罪被害に関する報告書や相談において実際の犯罪被害者等からの生の声を聞き、「こんなにも犯罪が多いのか」と、日々肌身に感じ、犯罪被害者支援の重要性を再認識しております。
 さて、私は、今年の三月まで児童相談所と中学校にて心理判定員、スクールカウンセラーとして児童・青年期の問題に携わってきました。一見、本職務と関連がないようでありますが、今振り返ってみますと、大きな共通点が最近感じられます。それは不幸にも問題が生じてしまった場合の当事者(被害者)と同様に家族についての支援の大切さという点であります。
 それは、今までの経験の中で、各相談者が、自ら相談にくるというのは、決して多いとはいえないと思います。例えば、不登校相談の場合においては、「理由がわからず学校を休んでいるので、どうしたらよいですか」と保護者の方から連絡が入る場合があります。また、非行の場合も「うちの子供が最近・・・」というように相談を受ける場合があります。つまり、実際に問題を抱えている当事者自身からの相談ではなく、その当事者の家族から相談がなされるということです。このような場合は、いち早く相談者である家族への支援が必要になります。つまり、家族への支援を行っていくことで、家族は心の安定を取り戻し、そのことによって当事者の心が安定していくという過程を経ることを今まで数多く経験してきました。
 このような支援は、犯罪被害者支援にとっても大事であると思われます。例えば、犯罪被害者自身が、警察あるいは相談機関に自ら相談できず、家族の方が「実は、娘が〜の犯罪の被害に遭い」というように相談してくる場合が少なくはありません。このように犯罪被害者自身ではなく家族が相談してくる場合、冷静に相談してくることはほとんどありません。つまり、犯罪被害者の家族は、かなり混乱した状態で相談がなされてきます。
 その実情は、犯罪被害について子どもから初めて打ち明けられたとか、警察から伝えられた等というもので、その時の家族の感情は、計り知れない衝撃を受け、家族も犯罪被害者と同様に犯罪の被害に遭ったという現実を受け入れることは難しく「なぜ」という疑問、加害者に対する「怒り」の感情、今後の犯罪被害者への接し方への不安等が生じ、極めて混乱した状態になります。このような状況を踏まえ、犯罪被害者支援の観点に立つと、犯罪被害者と同様に混乱している家族に対し、早期の危機介入の必要性が強く感じられるのです。
 次に犯罪被害者自身の視点からみた家族の役割というものを考えてみたいと思います。犯罪被害者自身からすれば、家族という存在は最も重要な役割を担うことになります。なぜなら、たとえ被害直後等に誰にも話すことができない時でも、家族が犯罪被害者の異変に気づき、声を掛けることによって、その後家族に対し被害の事実を打ち明けるということは少なくはありません。また、被害の傷が大きく、仕事や学校という日常生活になかなか復帰できない場合には、家族と共に生活する中から、心の安定を取り戻す場合も少なくはありません。つまり、犯罪被害者にとっての家族は、被害者の心のケアーという視点に立つと切っても切れない重要な役割を果たすということです。
 このように犯罪被害者の家族とは、被害を受けた当事者と同様に混乱する側面を持つ反面、犯罪被害者にとって、心の安定を獲得するための精神的な支えとなると考えられるのです。
 これらのことを踏まえると私たち支援者は、混乱する家族そして犯罪被害者にとって心の安定につながる家族という二つの側面を考慮しつつ、より一層きめ細やかな支援が重要であると痛感しております。そのためにも、電話や面接等と幅広くサポートしている犯罪被害者支援センターみやぎの方達と緊密な連携を図りながら、一人でも多くの犯罪被害者の方々を支援していきたいと考えております。
(臨床心理士)
 
相談員雑感
 真夏を思わせるような暑さに、汗をぬぐいながらセンターのドアを開けると、コーヒーのよい香り。いれたてのコーヒーをいただき一息ついたところに電話のベル。一瞬、緊張がはしる。「ハイ、犯罪被害者支援センターみやぎです」受話器を取ると、ためらうような声で「娘が事故にあってから体調を崩してしまって、吐いたり、熱を出したり。今は、なんとか学校に行くが、途中で学校から呼び出しがあって迎えに行くこともしばしば。どうしたらよいのでしょうか」と母親からの相談である。一年半もの間、不安な気持で娘さんを見守って来られたのだろうか。ずい分辛かっただろうな。そう思いながらしばらく耳を傾ける。「こんな時、どんな対応をしたら安心していただけるのだろう」と考えている時、Oさんから助け舟。相談員全員に配布していただいた冊子を差し出された。今日のところは助言をしていただきながらある機関のフリーダイヤルを案内する。私が娘さんの最近の様子を伺う間にも、Oさんはその機関と連絡をとり、できれば女性のカウンセラーをと依頼して、私にメモ入れてくださる。「今すぐ電話してみてください。こちらからお願いしてありますから」母親からの感謝のことばにホッと胸をなでおろす。
 いつになったら一人立ちできるのかしら?その都度ちがう相談の内容に、傾聴がもちろん第一ではあるが、ひとりひとりに促した対応をする必要性を感じる。そのためには、私自身、もっと勉強しなければ、そう痛感した一日だった。
 『かけてよかった』被害にあわれて、辛い思いでかけてこられた方にそう思っていただけるよう、努力していきたい。(S・K)
 
私の一番好きな季節、初夏。
 一雨ごとに、新緑が色濃く、清々しい、さわやかである。躍動が感じられる。
 いつも自分の心がそうありたいと願っている。電話相談受理記録表を整理する段階にくると、自分の対応のまずさ、勉強不足、知識の無さを知らされる。電話のベルが鳴ると、落ち着け、慌てるな、ひと呼吸をおいてから、受話器を取るように心掛けているつもりだが自分が掛け手の発する言葉に緊張し、ゆったり聞いていない、焦って先ばしっていることに、書きながら気づかされることが多い。掛け手の多様な悲しみ、苦しみ、辛さ、憎さ、悔しさの訴えをしっかり受け止め、気持ちを通い合わせ、要点を押さえ、スムーズな対応をするためにも、時間が許される限り、前向きに、研修に取り組み自己自己研鑽に励みたい。また、いろいろな情報の提供も確認しながら伝えられるように心掛けていきたいと思っている。電話が掛かってこない時間を利用し、事務処理のおてつだいをしながら、気さくにおしゃべりし、情報交換ができることは、私の気持ちに広がりを与える。いろいろな話題で話せることは、私自身の見聞を広げるにはいい場でもある。
(A・T)







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