第7部巻末資料
1. コア研究会提言「アジアとの対話:政治システムとしてのアジア」
「アジアの中の日本」コア研究会 |
チーム・リーダー |
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白石 隆 |
京都大学東南アジア研究センター教授 |
メンバー |
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添谷 芳秀 |
慶応義塾大学教授 |
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高原 明生 |
立教大学教授 |
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林田 裕章 |
読売新聞社国際部次長 |
1. 東アジアの地域形成をどう考えるか
1−1 地域化と地域主義
東アジアとヨーロッパの地域形成には大きな違いがあるこれは大きく「地域化」と「地域主義」として対比できる。
第二次大戦後、東アジア、西ヨーロッパの地域形成はいずれもアメリカのヘゲモニーの下で進展した。冷戦の初期、1940年代から1950年代にかけての時期に、アメリカは、東アジアでも西ヨーロッパでも、二つの大きな戦略的問題に直面した。東アジアにおいては、それは、ひとつには、国際共産主義の脅威にどう対処し、中国、そしてもちろんソ連をどう封じ込めるかという問題であり、もうひとつは、日本を経済的に復興させてアメリカの同盟国とする、しかし、日本が二度とアメリカの脅威とならないようにするにはどうすればよいか、という問題だった。この二つの問題に対するアメリカの答が、日米、米韓、米比などの二国間の安全保障条約、基地協定の束としての地域的な安全保障体制の構築、そして経済における日本・米国・東南アジア(そして韓国、台湾)の三角貿易体制の構築だった。
一方、アメリカが西ヨーロッパで直面した問題は、ひとつは、西ヨーロッパにおける国際共産主義の脅威にどう対処するか、ソ連をどう封じ込めるかという問題であり、もうひとつは、ドイツ(西ドイツ)をいかに経済的に復興させてアメリカの同盟国とするか、そしてドイツが二度とアメリカとその同盟国の脅威とならないようにするにはどうすればよいか、という問題だった。アメリカはこの問題について、西ヨーロッパでは東アジアと違う答を出した。それが安全保障における集団安全保障機構としてのNATO(北大西洋条約機構)の編成、そして経済においては仏独枢軸を基本とするヨーロッパ統合だった。
このようにアメリカは東アジアと西ヨーロッパの地域システム編成について違う戦略的決定を行った。これが、20世紀の地域の歴史的経験とあいまって、それぞれの地域システムの構造、さらには地域形成のありかたに決定的違いをもたらした。西ヨーロッパにおいては、二度の大戦の経験から仏独の恒久的和解と平和の達成が最大の課題となり、ヨーロッパ統合は、イデオロギー的には「我々はヨーロッパ人である」というアイデンティティの上に共同体を構想するヨーロッパ主義に基礎付けられ、また政治的には仏独枢軸を基礎に、機構の権限拡大と制度化の進展というかたちで進行した。これに対し、東アジアにおいては、ここに共同体をつくろう、などという政治的意思はどこにもなかったし、東アジア地域形成において「我々はアジア人である」というアイデンティティに基礎付けられたアジア主義がイデオロギー的に意味をもつことも最近までほとんどなかった。そうではなく、アメリカのヘゲモニーの下に構築された地域的な安全保障システムと通商システム、そして日本の経済成長の政治と東アジア諸国の開発主義の政治の成功を前提として、日本を先頭とする雁行型の地域的な経済発展、つまり市場のメカニズムによって、生産と流通のインフォーマルなネットワークが拡大、深化し、その結果、1980年代後半、気が付いてみると、東アジアは実質的にひとつの経済圏となっていた。それが地域化ということだった。
1−2 アメリカ化、中国化、日本化
さてそれでは東アジアにおけるこうした地域化のプロセスにおいてはどのような力が作用しているのか。これを「アメリカ化」「中国化」「日本化」という概念を援用して考えてみよう。
上にも述べたように、東アジア地域システムの基本は、安全保障においても通商システムにおいても、アメリカによって作られた。そして現在でも、アメリカが東アジアの安全を保障し、アメリカ市場へのアクセスを保証するということが、東アジア地域システム存続の前提条件となっているアメリカ化のプロジェクトはその上に実施され、その要諦は、自分たちと同じ言語を共有し、自分たちと同じようにものを考える人々を養成する、そしてそういった人々にアメリカのシステムと基本的に同じようなシステム(国家)を運転させるということだった。一方、日本化とは、日本国内における「生産性の政治」の成功と経済成長、産業高度化を前提として、直接投資と総合的経済協力政策のような対外政策によって、経済成長と産業高度化と政治的安定を外延的に東アジアにもたらそうという試みであり、またそうした政策的支援を受けて東アジアに進出した企業が生産・流通のインフォーマルなネットワークを拡大し深化していくということだった。さらにまた「中国化」とは、東南アジア各地における華人コミュニティの存在を前提として、1970年代以降、東アジアの経済発展のなかで次第に力をつけた華人企業が国境を超えて「超国籍(トランスナショナル)」化し、地縁、血縁といった人格的信頼関係を基礎としてインフォーマルなネットワークを拡大、深化させるということだった。東アジア地域化の原動力となった雁行型経済発展はそうしたアメリカ化、日本化、中国化の複合的プロセスによってはじめて実現された。それは東アジアの経済発展において、「開発主義」体制下のテクノクラットの経済運営、日本の直接投資と援助、そして華人の経済活動が決定的重要性をもち、東アジア地域化が、具体的には、日本企業の系列ネットワーク、華人ネットワークの拡大と深化によってもたらされたことに見る通りである
1−3 地域主義的イニシアチブは地域化のプロセスを補完する
こうした力は今日でもなお、東アジアの地域秩序形成に大きな意味をもっている。たとえば日本は、1997−99年、対外経済政策を大きく転換した。日本はそれまでグローバリズムを基本とし、地域主義(リージョナリズム)には消極的だった。プラザ合意以降、日本の直接投資を原動力として東アジアの地域化が進展したにもかかわらず、通貨政策、通商政策などの分野において地域主義的政策がほとんど試みられなかったのはそのためだった。しかし、アジア経済危機以降、日本はアジア通貨基金を提案し、宮沢イニシアチブを実施し、さらに1999年にはシンガポールとの経済連携交渉を開始した。また2002年には、小泉首相はその東南アジア訪問に際し、日本・アセアン経済連携を提案した。なぜか。日本にとってアセアンの国々の経済的復活が大きなプラスであり、日本・アセアンの経済連携によってアセアンの国々が危機を克服し、持続的成長軌道に復帰できるよう支援することが、すでに1980年代からこの地域に展開する日本企業にとってきわめて重要だからである。つまり、別の言い方をすれば、日本・アセアン経済連携に典型的に示されるような日本の地域主義的イニシアチブは、すでに東アジア各地に展開する日本企業の系列ネットワークを前提として、その拡大と深化(つまり、地場の企業をそうした系列ネットワークに統合していくプロセス)をめざしている。
同じことは中国と「中国化」についても言える。アジア経済危機以降、中国が、そのめざましい経済発展もあって、東アジアの地域秩序形成にこれまで以上に大きな役割をはたすであろうことはほぼ自明のこととなった。これは中国市場の規模、中国の経済発展が長期的に東アジアの勢力バランスに持つ戦略的意味を考えれば十分、納得できることであり、たとえば中国・アセアン自由貿易地域の構築が大いに注目されるのもひとつにはこのためである。しかし、中国化は、日本化とは違って、中国モデルと中国の経済力の国境を超えた外延的拡大を意味しない。またかつて明清時代の朝貢貿易体制下の「中国化」=「文明化」とも違う。「中国化」とは、基本的に、すでに長期にわたって東南アジア各地に定着し「華僑」から「華人」へと変貌していた人たちが、1970年代以降、その経済活動を国境を超えて拡大し、それとともに華人のインフォーマルなネットワークも国境を超えて拡大していく、そういうプロセスを意味する。ただし、華人のネットワークは日本企業の系列ネットワークとは違う特徴をもつ。華人ネットワークの基本には地縁・血縁を基礎とする人格的信頼関係があり、日本企業の系列ネットワークが垂直性をその構造的特徴とすれば、華僑ネットワークの構造的特徴はその水平性にある。そうしたネットワークがこの20年、上海、アモイ、広東などの中国沿海地域から台湾、香港、東南アジア各地を結ぶようになっており、中国の提案する中国・アセアン自由貿易地域はそうしたネットワークで結ばれた華人が国境を超えてフォーマルな制度の障害に邪魔されることなく、自由に経済活動を行えるようにすることをめざしていると考えてよい。
こうしてみれば、東アジアにおいては、最近のさまざまな地域主義的イニシアチブにも関わらず、地域化がこれからも地域形成の基調をなすと考えてよいだろう。では日本をこれから先、東アジアにおいてどのような位置を占め、どのような役割をはたしていくべきか。
2. 日本の自画像と外交の課題
アジアの政治システム、とりわけ政治安全保障の領域において、日本がどのような位置を占め、どのような役割をはたすべきかは、日本にとっても、アジアの国々にとっても、それほど簡単に答の出せる問題ではない。それにはさまざまの理由がある。しかし、そのもっとも重要な要因は、われわれ日本人のあいだで、日本の自画像が確定していないことにある。
日本は、アメリカ、中国、ロシアとともに東アジアにおける「四大国」の一つとして、しばしば「大国」の地位を与えられてきた。しかし、日本の外交は、大国外交に特徴的なユニラテラリズムを一切放棄し、大国間のパワー・ポリティックスには直接関与してこなかったという意味で、「ミドル・パワー外交」と呼ぶのにふさわしい。つまり、別の言い方をすれば、日本の外交が安全保障の領域において「大国外交」のレンズでみられるのは、痛くもない腹を探られるときか、「大国外交」としての潜在性を懸念の眼でみられるときであり、また日本人が「大国外交」を語るのは、現状に対する批判としてか、意気込みの表明であることが多い。
しかし、実のところ、内外の実情を反映した、身の丈にあった日本外交とは、決してアメリカや中国のような戦略ゲームを繰り広げる外交ではなく、アジア諸国との「ミドル・パワー・ネットワーク」の形成に力点と焦点を据えるものでなければならない。それはアジア諸国との対等な目線から市民社会を基盤とした関係を強化する外交である。
2−1 東アジアの安定にとって日米同盟が基本である
米中関係は、東アジアの地域システムを左右する戦略的重みを持つ。日本は、時々の情勢下、米中の対立と協調に一喜一憂する悪習から抜け出さなければならない。米中は長期的に互いを「戦略的競争相手」であるとみなしており、日本、あるいは他の東アジアの国々にはここに関与する単独戦略を持つ能力はない。日本をはじめとする東アジアの国々は、多国間協調を原則として、同じ視点から米中戦略関係に対処しなければならない。
米中が本格的に対立すれば、東アジアの地域システムは大いに不安定化する。したがって、東アジアの安定にとって望ましいのは米中協調関係であるが、これは本質的に「戦略的競争相手」の戦略的共存である。しかし、日本にはこうした米中の戦略関係にそれと同次元で単独戦略を持って対処する能力はないし、そうした試みは東アジアの安定にとって建設的なことでもない。米中戦略関係の安定、不安定に関わりなく、日本の戦略的な拠り所は米国である。日本は、米中の狭間にあって、等距離的スタンスから日米中関係をイメージする誘惑を断ち切るべきである
2−2 対等な目線で韓国との政治対話を行う
日本の自画像確定は、日米関係の基本的スタンスを定める大前提であるが、これはまた日本が東アジアの隣国と対等の目線で対話を行う上での基礎ともなる。そうした対話の相手として最も重要な国は韓国である。ある韓国の研究者は、日本を「行動しない超大国」と呼ぶ。日本をこのように「大国」のレンズで見ることは、韓国の人たちにとってほとんど体質となっている。その結果、韓国の多くの人々が、専門家も含め、朝鮮半島統一後、朝鮮半島をめぐって日中のライバル関係が復活すると信じて疑わない。統一後、米軍の駐留を引き続き求めようとする論理は、そこから生じている。
日本から見ても、朝鮮半島統一後に在日米軍の一定のプレゼンスを確保することは、引き続き重要な課題となるだろう。しかし、そこでの論理は、アジア太平洋地域の平和と安定という大局的なものであって、朝鮮半島をめぐる日中の競合ではない。この問題をめぐる日本と韓国の論理のこうした乖離は、これを放置すれば、統一後の東アジア政治システムを混乱させる可能性がある。
また中国に対する日本と韓国の姿勢の違いも注意しておく必要がある。韓国の人たちのあいだには、一部の国際政治専門家を別として、東アジアにおける中国の将来動向を懸念する見方はほとんど存在しない。それどころか、中国に気を使って、そこから東アジア地域の諸問題に対する韓国の対応を割り出すという傾向すら存在する。一方、日本では、近年・中国警戒論が、実態以上に誇張されている。中国に対する柔軟な見方を育てる、そういう目的をもって日韓の対話を深める必要がある。
朝鮮半島ではこれから先、北朝鮮をめぐる情勢変化が加速化する可能性が高い。その際、日本の対応は、「大国外交」のレンズで見られる限り、韓国国内で実像どおりに受け止められない可能性が大きい。日本の朝鮮半島政策においては米国、韓国との協調が基本中の基本であるが、これが日本の単なる外交戦術なのではなく、日本の自画像から来る本質的対応であること、これをあらゆるチャンネルを通じた対話と交流によって韓国の人たちに理解してもらわなければならない。
2−3 東南アジアと多国間アプローチの実践を
日韓関係と並んでもうひとつ重要な隣国関係は日本・東南アジア関係である東南アジアにおいては今日、政治安全保障領域における日本の伝統的・ステレオタイプ的理解は、ほぼ姿を消しつつある。日本が日米安保体制を通じてアジア太平洋の安定に貢献していることは基本的に歓迎されているし、日米防衛協力のためのガイドラインの改定、テロ特別措置法案等によって日本の安全保障上の役割が高まっていることも、東南アジアでは肯定的に受け止められている。
しかし、日本は、東南アジアの国々が日本を「域外大国」のひとつと受け止める習性にあまりに無頓着すぎる。たとえ日本が東南アジア諸国と同じ目線から同じような発想で外交イニシアチブをとっても、「域外大国」からの働きかけと警戒されることは、1999年代はじめの中山太郎外務大臣による「政治対話」提唱の経験に見る通りである。
これに慎重に配慮すれば、日本と東南アジア諸国の関係は、アジアにおける多国間アプローチの実践の場として大きな潜在性を持っている。アセアン、アセアン地域フォーラム、アセアン+3など、東南アジア諸国を中核とするフォーラムにおける日本の振る舞いは、その意味で重要である。同様に、日本・アセアン経済連繋のこれからの進展も重要である。
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