1. 基調報告:白石 隆(京都大学東南アジア研究センター教授)
白石 隆 どこまで今のご期待に応えられるかどうか、ちょっと自信がありませんが、務めさせていただきます。基本的に4点申し上げたいと思います。
第1点は、東アジアの地域形成のこれまでのプロセスというのをどういうふうに理解すればいいのかということです。私としましては、これは研究会でも一応受け入れられたのではないかと考えておりますけれども、概念的には2つの概念です。第1に、地域化。これは日本語でもまだなじみのない言葉ですけれども、英語でもリージョナライゼーションという言葉は、私のようにマイクロソフト・ワードで英語で論文を書きますと、必ず下に赤線が出てくるつまり、「これは英語にありません」という意味なのです。その地域化という言葉と、第2に、地域主義。リージョナリズムというこの2つの概念を鍵として理解するのが、多分番いいだろうし、また、実際のケースとしては東アジアの地域統合ということを考えるときには、ヨーロッパの事例を比較の対象にするのがわかりやすいだろうと思います。
意味は非常に単純でございまして、ヨーロッパの地域統合というのは基本的には地域主義という概念を鍵にして理解できるのに対して、東アジアの場合には地域化という概念をコアにして理解できると考えます。これはどういうことかと申しますと、ヨーロッパにおいても東アジアにおいても、第二次大戦後、この両地域はアメリカのヘゲモニーの下に置かれ、アメリカとヨーロッパ及び東アジア、特に日本、その他のいわゆるアメリカの同盟国はおそらく2つの大きなバーゲンを行ったと理解しております。その一つは安全保障のバーゲンで、アメリカがヨーロッパ及び東アジアの安定を保障する、それに対してヨーロッパ及び日本は、アメリカの安全保障におけるリーダーシップを受け入れる。経済では、アメリカのマーケットに対するアクセスを保障する、それに対してヨーロッパ及び日本は、アメリカが作り上げた世界的な経済制度を受け入れるおよそ、このようなバーゲンがあり、ただ、その下でヨーロッパの場合には、少なくとも20世紀だけで、先ほどどなたかが19世紀から入れれば3回、ドイツとフランスは大きな戦争を戦ったと、まさにそのとおり指摘されましたけれども、ヨーロッパの場合にはドイツとフランスの間の戦争をもう二度と起こさないということで独仏枢軸ができて、このドイツとフランスの共通な政治的意思のもとに地域統合が進行してきた。
最近の例で―最近と言ってももう10年以上前ですけれども、ドイツ統一とヨーロッパの通貨統合の取引という形で独仏の共通の意思としてドイツ統一が認められ、同時に通貨統合が承認されたということに見事に見られると思いますけれども、このような形でヨーロッパの地域統合においては常に政治的な共通の意思によって共同体を作ろうということが行われてきている。それが具体的には欧州石炭鉄鋼共同体から現在の欧州連合に至るまでの機構の拡大と進化という形で進展していったと思います。
それに対して東アジアの場合には、日本における高度経済成長の政治の成功、その結果としての日本の直接投資と経済協力、というのを一つのファクターにし、もう一つは東アジア、特に韓国、台湾、東南アジアの国々における開発主義的な政治によって経済発展が起こり、日本を先頭とする雁行的な経済発展、地域的な経済発展によってマーケットの力によって、政治的な意思なしに、気がついてみるとこの地域が、つまり東アジアの地域がそれなりにまとまりのある、相互依存が次第次第に進化する地域になってきていたと考えます。これが第1点として申し上げたいことでございます。ですから、その意味で、ヨーロッパと東アジアというのは違うロジックによって地域統合が進展しているということです。
2番目に、しかしながら、アジア経済危機と日本の長期にわたる経済的な停滞と、それから中国の経済的な発展により、かつて、特にプラザ合意からアジア経済危機に至るまでの時期に顕著に見られた地域化のプロセスは、もうそのままの形では観察できない。但し、その結果としてマーケットの失敗をいわば補完する形でさまざまな地域主義的な試みが行われており、それは日本政府が1997年以来行ったことを見ましても、アジア通貨基金の構想であるとか、宮澤イニシアチブであるとか、シンガポールとの経済連携であるとか、あるいは現在の日本・アセアン、日本・韓国との経済連携の検討ということに見られるとおりです。
しかし、これは必ずしも、これから東アジアにおける地域統合の動きが地域化の時代から地域主義の時代に大きく転換するということではないだろうというのが2番目の点でございます。それは何故かというと、確かに政府の間でさまざまな地域統合の動きが見られるようになっていますが、未だにマーケットの動き、あるいは、ミクロの、個々の企業による決定が、東アジアにおける地域統合の進展にとって政府による政治的な決定よりも、もっと大きな意義を持っているというのが2番目の点でございます。
これは逆の言い方をしますと、リージョナリズム、つまり共通の政治的意思によって東アジアの地域統合をこれからさらに推進していく、あるいは、もっと具体的に地域統合を制度的にこれから拡大し、進化していく、そのための条件はまだそれほど整っていないということです。これはどういうことかと申しますと、例えば、ヨーロッパにおける独仏枢軸に対応するようなものが何かを考えれば、これはもう既に歴然だと思います。これはやはり日中の間の永久和解で、日中枢軸の形成ということしかあり得ない。しかし、ヨーロッパにおける独仏枢軸に対応するような日中枢軸の形成が日米同盟と整合的な形でただちに行われるとは、これは正直申しまして非常に考えにくい。それでは、そのために日本として何かできることがあるか、というと、おそらくあまりない。それはむしろ中国がこれからどういうふうに変わっていくのか、ということに大きくかかっていると考えます。
そこで、実はミドル・パワーということの意味が一つあるわけですけれども、日本は決して日米同盟と日中枢軸の2つの明らかな選択肢があるという、妙な誤解あるいは幻想は持たない方がいい。日本というのはアメリカと中国の間の戦略的なゲームの間で第3のプレーヤーとしてプレーするだけの力はない。日米同盟を基本として、それと整合的な形での日中枢軸ということが考えられない限りは、地域主義の動きに基づいた東アジア共同体の形成ということの政治的条件というのはないと考えた方がいいのではないだろうか。これが第2点でございます。
第3点は、では、これから長期にわたって、あるいは長々期にわたって、東アジアに共同体を形成する可能性はないのか。私は必ずしもそうは思っておりません。それは過去50年間の間にどのような変化が東アジアで起こったのかということを思い起こしてみればかなり明らかだと思います。少なくとも1960年代から70年代の初めにかけて、日本の社会は中産階級の社会になりました。これはもちろん1960年代の、日本の高度成長の結果でございます。その後、1970年代から80年代の前半には、韓国と台湾と香港とシンガポールが経済発展の結果、やはり中産階級の社会になり、プラザ合意の後、1997年の経済危機までの期間に東南アジアの国々、特にバンコクを中心とするタイであるとか、クアラルンプールを中心とするマレーシアであるとか、ジャカルタの周辺だとか、マニラの周辺だとか、こういうところにそれなりの規模を持つやはり中産階級の社会が成立し、特に1990年代の後半からは中国の沿海部において、例えば上海であるとか厦門であるとか、やはり非常に活況を呈する中産階級の社会が成立しつつあります。
こういう中産階級の社会というのがどういう社会なのかということを考えてみますと、これはかっての東アジアに比べると、はるかに世界と地域に開けた、例えばアメリカ的な自由であるとか民主主義のようなものを受け入れ、あるいは日本のポップカルチャーであるとか消費文化を受け入れ、言語的にも、あるいは教育的にも必ずしもその国だけで教育を受けたのではなく、しばしばバイリンガル、トリリンガルであるような人たちが少なくない。
この中で非常におもしろいことに、例えば1世代前と比べますと、東アジアにおいてもそれなりにライフスタイルであるとか、物の考え方であるとか、あるいは将来に対する希望であるとか、あるいは消費の文化であるとか、そういうものを共有する人たちがかなりの規模で出てきているように思います。これがおそらく将来的には東アジアにおける地域的なアイデンティティというものを形成していく基盤になっていくのではないだろうか。つまり、別の言い方をしますと、今日は先ほどの高原さんのジョークを使いますと、第Iセッションがミドル・パワーについてのセッションで、第IIセッションにおいてはミドル・キングダムの話が出ましたけれども、実は第IIIセッションで私が強調したことの一つは、実は、過去50年、気がついてみると、東アジアが地域化のプロセスによって、それなりに地域としてまとまりを持つ、まさにそのプロセスの中で、言ってみればミドルクラス・イーストアジア、中産階級の東アジアというのが現れ始めている。
このような中産階級、ミドルクラスの東アジアの中に、これから日本をどうやって埋め込んでいき、そこからどうやって活力を得てくるのかということが、おそらく日本の利益になることであり、課題になります。同時に、日本の利益とは何かというと、そういうミドルクラスの東アジアというものがこれからますます拡大していく。ということは、要するに、我々と同じような価値、規範を共有する人たち、あるいは文化を共有する人たちがこれから増えていく。そういう人たちをコアにして、いわば社会的に共同体の基礎をつくっていくことが同時に求められるのではないかと思います。
これは実は直ちに2つのことを意味するのではないだろうか。先ほど、私は地域主義の時代が直ちに来るということではないと申しました。しかし、そのことは決して地域主義的なイニシアチブ、もっと具体的に言いますと、アジア通貨基金、あるいはチェンマイ・イニシアチブのような政策、あるいは経済連携、こういうものが重要ではないということではもちろんございません。これらは非常に重要でありまして、例えば現在議論されている日本・アセアン経済連携であるとか、あるいは日本・韓国の経済連携などにおきましても、これは日本の国内改革においても、あるいはこれから先、東アジアの共同体作りにおいても非常に重要だと思います。
その意味で、経済連携の中で、例えば農業の問題であるとか、あるいは人の移動の問題であるとか、そういうものを避けて通らずに、東アジアの中に日本をこれから埋め込んでいくということは、要するに日本も譲らなければいけないところはどんどん譲っていくということですけれども、そういう形でいわば東アジア共同体の中に日本を埋め込んでいく必要があるだろう。これが第1点です。
それからもう一つ、それ以上に重要なことは、これが実はミドル・パワーということを私はぜひ使ったほうがいいと考えた理由なわけですけれども、日本はこれまでの議論でも既に明らかなように、外交の実際のビヘイビアとしては大国的な行動というのはとっておりませんし、大国的な行動がとれるわけでもない。それから、実際問題として日本の国民の意識としても、それほど大国的な意識があるようには実は思いません。むしろ、そうではなくて、ミドル・パワーということで一番私が提起したいのは、日本はこれから東アジアの中に日本を埋め込んでいくときに、何が日本にとっ一番これから重要な、いわばセリングポイントになるのかということを考えますと、これまではやはり経済外交だったと思います。経済外交ということの趣旨は、日本の直接投資であり、日本の経済援助である。
けれども、おそらくこれからはそれだけではないだろう。それ以上に重要なのは、日本の社会そのものを東アジアの人たちにとって、あるいは世界の人たちにとって、実はここには非常に魅力的な世界がある、あそこに住んで、働いて、子供を育ててみたいと、そういう社会を日本がつくれば、それが同時に日本人にとっても住みやすい世界だと思いますし、そういう、いわば安全で、繁栄し、信頼できる国になれば、おのずと東アジアの中に日本をうまく埋め込んでいくことができるのではないだろうかと思います。
ですので、その意味で私の今日の問題の提起といいますのは、単なる日本外交についての問題提起ではございません。むしろ、今、おそらく我々が考えなければいけないのは、これから先、日本は我々として、日本の国というものをどう形づくっていきたいのか。どういう日本の社会を、どういう東アジアの中に埋め込んでいきたいのか、ということが今問われているこれが私の基本的なポイントでございます。時間がまいりましたので、一応、これで私の報告を終わらせていただきます。
伊藤憲一(議長) 白石さん、どうもありがとうございました。白石さんから、東アジアで進行しているのは下から、ミクロから積み上げていく地域化という現象で、それは今も変わっていない。その場合、経済だけではなくて、社会、生活のあり方が問われていくであろうし、そこに日本のミドル・パワーとしての外交の新しい分野があるのではないかというご提言をいただいたと思います。
それでは、この白石さんの基調報告に対しまして、「アジアとの対話」ということで3人のアジアからのパネリストの皆様に順次ご発言をいただきたいと思います。それでは、プログラムの順に従いまして、まず韓国延世大学の金宇祥さんから一言お願いしたいと思います。
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