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第5部 第IIセッション
「中国の台頭」
添谷芳秀(議長) パニタンさんがまだ昼休みからご到着ではありませんが、時間も5分間過ぎましたので始めさせていただきます。午後の第IIセッションでは「中国の台頭」という問題を中心に、全体の我々の報告のフレームワークを念頭に置きながら議論をいただければと思います。
 先ほど、張先生の最後の方のコメントで、日本のミドル・パワー・ネットワークにイニシアチブを発揮する外交が、中国を排除するものであれば受け入れられないというようなご趣旨の指摘がございました。その中国の問題に関しては、この午後の時間で積極的にご討議いただければと思うわけですが、我々も午前中に議論したフレームワークの中で、中国をどのように位置づけるのかというのは、明示的な枠組み化はしておりませんけれども、この議論の基本的なアサンプションは、日本外交をどのようにネーミングするにしても、我々が提言をしているようなアジェンダを追求する際に、中国がそこに加わってくれるということが重要なわけです。あるいは、中国自身が独自の地域化のアジェンダ、イニシアチブというものを持っているとすれば、それとの摺り合わせという意味での日中協力というものが当然ながら重要になってくるわけであって、我々の趣旨が中国を排除するものではないということは、疑問の余地のないアサンプションでありました。
 ただ、そのような問題提起をさせていただいた基本的な発想に、やっぱり日本の中での日本の自画像に関する議論が必要だという問題意識があるとすれば、これはすぐれて我々の国内問題といいますか、日本自身にとっての問題なわけです。日本自身にとっての問題を考えていった先のシナリオが、中国から見て、中国を排除するものであるというインプリケーションで受けとめられるというのは、それが現実であれば、これは我々の意図ではないにしても、真剣に考えなければいけない問題であるということは申すまでもないと思います。そういう意味で、この第IIセッション全体で中国に関する問題をご議論いただくわけで、張先生もいらっしゃり、なおかつ金先生が韓国のパースペクティブからこの問題に対するコメント、それからパニタン先生が東南アジアからのパースペクティブと、さまざまな角度から議論をしていただけるものと期待をしております。
 それでは、最初に基調報告といたしまして立教大学の高原先生から20分間お話をちょうだいいたします。高原さん、よろしくお願いいたします。
 
1. 基調報告:高原 明生(立教大学教授)
高原明生 添谷先生、どうもありがとうございます。午前中はミドル・パワーを巡って大変盛り上がりました。午後の第IIセッションはミドル・キングダムについてお話を申し上げていきたいと思うんですけれども、添谷先生は大変上手に皆さんを挑発されてよかったと思いますが、私の場合、そんなにうまくいくかどうかよく分かりません。最初に申し上げておきたいことは、中国についていろいろな角度からいろいろなことが言えますけれども、ここで言いたい一番大きなメッセージは、私達としましては、中国の台頭をうまく活用していくこと、そして、中国を東アジア共同体なるものの頼れるメンバーとしてうまく取り込んでいくこと、そのためにできることを日本はしていこうということであります。
 大きく分けると大体6つぐらいのポイントがあるわけでありますけれども、第1点としまして、まず何よりも、中国が持っている大きなポテンシャル、これは言うまでもないことかもしれませんが、念のために確認しておきたいと思います。ポテンシャルと申しましても、もう既に経済規模だけで申しますと、中国は世界で第6位になっているわけであります。今後の目標としましては、これもご案内のとおりですが、2000年と比べまして、2020年には経済規模を4倍にするという計画を持っているわけであります。そうしますと、経済の規模は今の日本とほぼ同じだけになるということであります。今や中国が世界の工場となっているという現状でありますけれども、ちょっとだけ例を申せば、今、中国が生産量で世界一となっている製品が幾つもありまして、例えば二輪車、オートバイは世界の生産のほぼ半分を中国で造っておりますし、エアコンもほぼ4割、それからその他にDVDプレーヤー、あるいはラジカセ、洗濯機、冷蔵庫、こうしたものについては中国が世界のどこよりも多く造っているというのが現状でございます。
 さっき申しましたような、非常に大胆な、アンビシャスな目標が達成できるかどうかというところは大変問題ではありますけれども、しかし、多くの経済学者は、今後10年は少なくとも年率7%ぐらいの成長率は保てるのではないかと、そういった声が非常に高いわけであります。と言いますのは、成長要因の労働であるとか、資本であるとか、そうした要素に中国は大変富んでおるわけでありますし、リーダーシップが非常に強い。そのリーダーシップが科学技術、情報化ということを非常に重視する、理科系の指導者たちである。ちなみに、去年の11月の第16回党大会直後に選出されました中国の政治局の常務委員会、ここが権力のコアでありますけれども、この常務委員は9人すべてエンジニアであります。エンジニア政権、エンジニア・リーダーシップというふうにも言っていい状況でございます。そのリーダーシップの強さというのは、指導者の能力ということもありますけれども、中国共産党の一党支配体制、そうした政治的な体制の問題もあるわけでありますし、さらにもう一つ、日本と非常に違う点は、国家目標が大変はっきりしているそれは実は国家だけではなくて、家族とか個人とかも高い目標を掲げまして、その目標に向かって大変なバイタリティーで努力をする国家、企業、人々になっている、この活力の存在ということが日本とは大いに違う点ではないかと思うわけであります。2008年には北京オリンピックが開催されますし、2010年には上海の万博があるということで、経済建設と申しますか、豊かさを求めて一丸となって中国はレベルアップの努力をしているということだろうと思います。21世紀が中国の世紀になるかどうかというと、そこまで風呂敷を広げることはできませんけれども、しかし、後世の歴史から振り返って、20世紀の末から21世紀の初めにかけて起きた中国の高度成長、これは大変重要な事件として歴史家に評価されるようなそうしたマグニチュードのことではないかと思っております。
 しかしながら、第2点としまして、そうした中国の内部には大きな問題が存在している。これもよく知られていることではあるのですけれども、一応確認しておきたいと思います。多くの問題は、実は日本の抱えている問題と似ているわけでありまして、90年代、かなりバブリーな状況があり、それを引き締めましたところ、一転して90年代の後半の後半からデフレ状況に陥っている不良債権が累積しておりますし、結局のところ、処理は財政に任されるという状況であります。財政に対する要求はさまざまな方面で、例えば社会福祉でありますとか、あるいは内需拡大であるとか高まるばかりでして、大変厳しい状況です。特に中国の地方政府の財政状況が大変厳しいというのが現状であります。社会福祉と関係することですが、これは他にどうしょうもないということで、一人っ子政策という非常に厳しい人口政策をとりました。その成果も当然あるわけですけれども、その一つの結果としまして、少子化、老齢化社会の到来ということが日本以上に深刻な問題としてこれから大きく顕在化してくるわけであります。
 また、経済成長するのはいいのですけれども、環境破壊、特に水不足が大変深刻な問題であります。私も去年驚いたことがありましたが、北京からそう遠く離れていない山西省の大同というところで聞いた話ですけれども、アパートの6階に住んでおりますと、昼間は全然水が出ないそうです。真夜中にならないと水が出ないという、そういう状況が実はかなり広い地域に存在しているといったような問題もございますし、それからいわゆる公害の問題等々、これは非常に大きな問題として、やはり指導者が真剣に取り組まなければいけないこととして、これから大きな注目点となるだろうと思います
 それからもう一つは所得格差です。これも経済成長の負の側面として顕著化しておりますけれども、これが政治的な不安定に結びつくのかどうなのかということが大きな問題であります。そのほかにも、未だかつてない速度で社会の多元化、利益の多元化、意識の多様化ということが進んでおりますが、それと今の一党支配体制が整合するのかどうなのかという根本的な問題を中国は抱えているわけでありまして、政治改革は遅かれ早かれ取り組まなければならない問題として存在しているわけです。しかし、一体どのような手順で政治改革を進めていったらいいのか、これは誰にも答えがわかりません。今後、果たして軟着陸し得るような改革のブループリントを描くことができるのか。そこまで考えますと、もう私は夜も眠れないという、それぐらい深刻な問題だろうと考えます。
 私たち、中国でないアジアの立場から中国を考える際の第3のポイントとして、中国が非常に複雑な国であって、多面的な国であるということをもう一度確認することを挙げたいと思います。中国自身は自らをグローバルな大国に成長する途上にある地域大国と位置付けておりまして、今後、経済成長に伴ってゆっくりと、しかし着実に軍事力の近代化を進めていくつもりであるわけです。ところが、他方、経済建設ということが至上の課題でありますから、平和な国際環境を確保するために協調的な外交を今後長期にわたって続けていくということも間違いないところだろうと思います。
 中国は非常に原則を大切にする国であるということも間違いないわけでありますけれども、他方で非常にプラグマティックな面も有しているのであって、社会主義を標榜しながら、実際は社会主義ではないと言い切っていいだろうと私は考えているわけです。特に大きな転機となったのは、実は1999年のことだったと思います。社会主義の定義というのはいろいろ言えばややこしいですけれども、突き詰めて言えばエッセンスの部分に所有制の問題があるわけです。社会主義は公有制、資本主義は私有制というのがエッセンシャルな部分の区別なわけですけれども、実質的に公有制を放棄したのが1999年であった。これも話せば長いのですが、公有制を以って主体とするという、看板はもちろん変えません。看板はもちろん変えられないのですけれども、もう量的には公有制が社会総資本の内のマジョリティを占めなくてもいいという決断を下したのが1999年のことであって、それから実質的には私有化がどんどん進んでいる。ただ、私有化というのもやってはいいんですが、言ってはならないという、そういうものであって、まだ民営化という言い方しかできませんけれども、実質的には私有制がどんどん広がっていて、その結果として当然、資本家がどんどん誕生するわけです。これが社会の新興勢力として登場してきた。そうしますと、共産党にすると、今度は政治的な課題として、こうした資本家、新興勢力とどうつき合っていったらいいのかということが問題となり、そして討議の結果、資本家を党内に取り込んでいこうということになりまして、3つの代表論という理屈を出して、資本家の共産党への入党を容認するということになって、非常に柔軟な側面を中国は有しているわけであります。
 こうして、私たちから見ても地域にとっての中国も非常にアンビバレントな存在だと言えるかと思います。と言いますのは、一方におきましては、特にアセアンの国々にしますと、経済的に中国が一人勝ちをすると、これは大変な経済的な脅威として受け取られるわけであります。しかし、同時に中国に対する経済的な期待もまたアセアンには存在しているということだろうと思います。中国からこれからは投資が入ってくるのではないか、あるいは、特定の産品については中国が大きな輸出市場になるのではないか、そういう期待も非常に大きいというのが実情ではないかと思います。
 日本はどうかと申しますと、昨今、経済的な中国脅威論がやはり存在しているわけです。私が考えますに、産業の空洞化というのは日本にとって大変なことであって、どうしても雇用を確保し、財政収入を確保せねばならず、そのために空洞化を何とかすることが大切な課題であると思います。しかし、そこで中国を責めるというのはよく分からない議論です。と言いますのは、さっき申しましたようなさまざまな製品の生産について中国は世界第1位になっていると申しましたけれども、その多くは、実は日系企業をはじめとする外資系企業が中国において生産しているものであって、中国の成長と共に日本の企業は成長をしているというのが実情だろうと思います。ですから、最初に申し上げたことですけれども、東アジアのどの国にしましても、中国の台頭を活用していくということが大切なのであって、逆に考えて、もし中国経済が混乱するあるいは、中国の政治が混乱して、それが経済にも波及するといった事態の展開こそ、我々が最も恐るべきシナリオだと考えていいのではないかと思います。
 中国自身はどう考えているか、張先生の前で私が申すのも憚られますけれども、中国自身はやはりアジア金融危機を一つの大きな契機として、地域主義政策、地域協力政策、地域統合政策とまで言ってもいいかもしれませんが、前の消極姿勢から積極姿勢へと非常に重要な転換を遂げています。中国にしましては、いろいろな理由があってそうしているわけですけれども、一つ、私が指摘したいのは、あるジレンマを抱えているということです。それは何かと申しますと、中国は経済建設をしようと思って、その経済建設に必要不可欠な平和な国際環境を確保しようと、協調的な外交政策をとります。ところが、実際に中国が経済建設に成功して大きくなってしまうと、これは平和的な国際環境を乱し得ることになってしまう。つまり、中国脅威論というものが出てきてしまう。そうしたジレンマを抱える大国が中国であるということだと思います。
 ですから、最近、中国は経済成長を遂げて自信が出て、昔と違って中国脅威論を素直に理解するようになっているわけです。昔は、何か中国が脅威だと言うと、「そんなことを言うやつは非友好分子である」と見られたのですけれども、最近、余裕の出た中国は、「よく分かります」、「私達はこんなに大きいんです。ですから、その私たちが一人勝ちをすれば皆さんが心配するのはよく分かります」と、そういう態度に変わってきていると思います。具体的な政策として東アジアでのFTA、フリー・トレード・エリアというものを作って、そして中国の成長の恩恵をみんなが受けることのできるようなメカニズムを作ろうということが非常に重要な要因となって、こういう政策が出てきたのだと考えております。
 さっきから、アジアなのか、東アジアなのか、アジア太平洋なのかという議論がありましたけれども、張先生がおっしゃったとおり、アジア太平洋と言ったときのポイントはアメリカとの関係ということになるわけです。中国の中にはいろいろな考え方があると思います。特に、安全保障関係者であれば、やはりアジア、東アジアでまとまって団結して、アメリカに対抗していこうと、そういう意図を持った地域主義というのもあり得るし、実際あります。しかし、そうではなくてもっと現実的に見てみると、アメリカの存在というのは、中国だけではありませんが、東アジアの国々にとっても不可欠である。例えば、経済交流だけとってみましても、実はアメリカの統計と日本の統計で見てみますと、米中間の貿易は日中間の貿易の1.4倍ほど既に存在しているわけであります。安全保障についても、アメリカがこれまで地域で果たしてきた積極的な役割を評価しようと、そういう声が次第に銭其副総理を中心に高まりつつあるというのが現状ではないかと思うわけです。そうした意見の多様性というものを私たちは冷静に見て、そしてより協調的な声に積極的に反応していく、そういうシグナルに積極的に応えていくということが大変重要ではないかと私は考えております。
 日本はじゃあどうするかということでありますけれども、大きな課題は最初に申しましたように、中国を東アジアの頼れるメンバーとして取り込んでいくということになるわけです。私は学者ですから、その学者の立場から言えば、先ほど添谷先生のお話にも出てきましたけれども、より正しい中国像なるものを追求し、そして、そうした情報をアジアのほかの国々とシェアしていくということが重要なポイントなのではないかと考えております。そうした点で、もっと日本は実は貢献できるのではないか。日本は中国のことをよく知っている方なんじゃないかと自惚れているわけですけれども、そうした研究対話をどんどん進めていくということがまず考えられます。
 それだけではなくて、実は、市民レベルの交流というのが私の知らない間に大変進んでいるという、非常に心強い実情もございます。2001年に、ここにちょっと数字を出しましたけれども、中国との協力交流に従事した日本のNGOは1,000近くあるわけです。これには大変びっくりしました。こうした市民社会の交流ということ、ここで中国に市民社会はあるのかという議論がもう一つあって、簡単に答えますと、芽生えつつあるととりあえず申しておきますけれども、こうした、いわば無国籍の市民の間の交流ということが、東アジアの協力推進に大きな役割を果たし得るのではないかと考えます。
 午前中の議論の中で、やっぱりアイデンティティの話が出てきて、非常におもしろいなと思って聞いておったわけですけれども、1人の人間はいろいろなアイデンティティを持ち得るわけです。国とアイデンティティを感じて、自分は日本人だ、中国人だとする認識がまだまだ強いわけですし、それはそれで重要なのですけれども、それだけではない、例えばシアゾン大使のおっしゃった、東アジア人としてのアイデンティティであるとか、あるいはもっと国よりも小さな意味での地域のアイデンティティであるとか、そうした1人のアイデンティティの多層化と、多層的なアイデンティティの間のいいバランスをこれから追求していく必要があるのではないかと考えている次第です。
 時間を超過して申しわけございませんでした。以上で私の報告は終わりでございます。
添谷芳秀(議長) 高原先生、ありがとうございました。
 高原さんの最後のポイントと関連しますが、やや政府レベルの外交の次元をちょっと離れて、社会とでもいいますか、あるいは多様化する社会との間でのネットワークということをイメージして、市民社会をベースにしたネットワークというような発想があり得ると思います。それも実はアジアに急速に発展をしつつある中産階級、そこをベースに形をつくりつつある市民社会というもののネットワークというものも、またアジアのネットワークを考えるときの重要なベースになり得るということでございます。最後の高原さんの発言は、中国もその射程に入り得るのだという、その可能性、潜在性というものを示唆してくださったという意味合いがあり得るかもしれないと思います。
 それでは続きまして、リストの順番で張先生、金先生、パニタン先生の順番に、それぞれ10分ずつコメントを頂戴したいと思います。それでは、張先生、よろしくお願いいたします。







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