ドミンゴ・エル・シアゾン(在日フィリピン共和国大使) もちろん私がこれから言うことはフィリピン大使ではなく、個人として、1959年から日本で勉強した者として申し上げたいと思います。2回ほど大使として務めました。今回2回目です。私は1995年から2001年まで外相でもありました。この期間にアセアンが6から10カ国に増えました。また、この期間にアセアンが10+3という考え方が97年に出てきたわけです。どうしてアセアンが拡大したか。いろいろ批判はありました。こういうふうに加盟国を増やすと、もっとアセアンにとって問題が増えるのではないかということも言われました。当時、我々が考えたのは、振り返ってみるといい決定だと思うんですけれども、しかしながらこの地域にあるすべての国、東南アジアのすべての国が一つの経済的なグループにならないと、結局、安全保障上の問題が我々の間に出てくるのではないかと考えているわけです。例えば、ベトナム戦争の間に、アセアンの現在の10カ国は違った陣営に属しておりました。
それからもう一つの問題は、私が思いますに、今回の会議のフォーラムの主催者、本当に素晴らしいことをやっていらっしゃると思います。といいますのも、こういうふうな率直な形で意見交換ができるからです。単に日本の人たちだけではなく、すべての東アジアの人たちに対していいことだと思います。日本はミドル・パワーにはなれません。これは四角い丸をつくれというのと同じようなものです。日本というのは世界でも第2位の経済大国です。例えば、防衛予算を見てみますと、第2位か第3位ではないでしょうか。実際、これだけ大きいけれども、軍を持つことはできない、持ってはいけないと言われている。また、例えば技術とか産業を見てみますと、AG20Aのロケット、40トンのペイロードを持つものが打ち上げられております。それから、幾つかの衛星も年末までに打ち上げられました。MRIBといった、そういうペイロードに成り得るわけです。こういうインフラとか、あるいはまたICDを見てみましても、やはり日本はミドル・パワーにはなりません。大国なんです。それを受け入れるしかありません。我々東アジアにおいてはそれを歓迎すると思います。日本が自らその状況を受け入れるということです。ただ、この政策についてコンセンサスを得るべきです。隣国としてはこの状態を受け入れることができると思います。もし、過去の状況を日本が受け入れられればです。これは重要だと思います。我々にとって、日本から学ぶということです。ヨーロッパからも学ぶということです。
過去はヨーロッパとアジアは同じです。例えばヨーロッパを1870年代から見てみますと、フランスとかドイツが幾つの戦争をやったか。3つです。1つはフランスとプロシアの戦争です。それでベルリンに戦勝塔がつきました。そしてまた第一次世界大戦。それでパリに戦勝塔がついた。そしてまた第二次世界大戦で勝って、またパリに戦勝のタワーがつくられました。第一世界次大戦の後、非常に厳しい条件がドイツに課せられました。また第二次世界大戦になった。もう第三次世界大戦はこりごりです。中国と日本の間で起こってもらいたくありません。我々はまとまる必要があります。一つの東アジアのコミュニティになる必要があります。どうしてかといいますと、これはアメリカから押しつけられたものではないからです。これはマーケットの力によって押しつけられるものです。
今日も日本が輸出を東アジアにしておりますが、これが90年は29.8%でしたけれども、2001年に39.2%に増えております。輸入のほうも29.8%から42.3%に増えております。これはどういうことを意味するか。日本経済の将来は東アジアにあるということです。やはり東アジアの条約をつくるべきです。ただ、問題は日本が何を欲するかというのは、日本自身全然分かっていないという点です。中国がいろいろなイニシアチブをとっている。そしてまた、アセアンともイニシアチブを中国はとっています。また、これからFTAをアセアンとやるんだということを朱鎔基首相が言っていますが、日本の方からは何も反応がなかった。小泉首相はアセアンとのEPAをやろうと言っておりますが、しかしながら明確ではありません。本当にアセアン全体でできるのか。
ですから日本にとって重要なのは、一体何をしたいかということがはっきり分かるということです。そして、やはり張先生がおっしゃったとおりだと思うんですけれども、日本、それからまたパニタン・ワッタナヤゴーン先生がおっしゃったとおりと思うのですが、やはり東アジアと日本は本当の形で統合すべきです。相まって、中国とか日本とか、あるいはまた韓国とかそういうことで考えるのではなく、東アジア人としてヨーロッパとWTOの交渉をするとか、あるいはまたアメリカ全体とFTA、2005年にWTO交渉をするとか、そういうふうな形で我々、将来を一緒に考えるべきです。
ただ、やはりAPECは維持すべきです。どうしてかといいますと、APECはアメリカが役割を果たす場であるからです。経済的に、それからまた二国間の安全保障の問題でもそうです。単に東アジアの自由貿易協定というか、共同体からアメリカを外すと、この超大国が非常に不安に感じると思うんです。
こういういろいろな問題が北東アジアに存在しております。日本が関係の正常化を少なくとも2つの国とまだ遂げておりません。やはり東アジアの関係をよく考える必要がある。それからまた同時にコンセンサスを得て、どういうふうに過去と向き合うかということを考える必要があります。また、将来のことも考える必要があります。以上です。
白石 隆(議長) どうもありがとうございました。黒田さん。
黒田 眞(安全保障貿易情報センター理事長) 鵜野先生の言われたことは案外ポイントを突いているのかなと思います。「アジアとの対話」をテーマとしていますが、用意されたペーパーは東アジアの話です。確かにアジアというものをどう考えるのか、国連の選挙母体としてのアジアとか、ワールドサッカーの選出母体としてのアジアとか、いろいろなアジアがありますが、多分、我々が今ここで議論しようとするときに、例えば西アジアと東アジアを一緒に議論しようということにはすぐにはならない。中央アジアはちょっと微妙です。モンゴルはアジアかなと。シベリアは独立していません。豪州、ニュージーランド、太平洋の国々は小さいですが、これは東アジアではないけれども、何となくアジアに近いかなという感じです。東アジアと言った瞬間に問題、答えは出てしまったという感じは必ずしもないと思います。最初から東アジアと限って、そこで何ができてどうするかというふうには、書きにくいので、「アジアとの対話」、「政治システムとしてのアジア」と書いておいて、しかし、実体としては、東アジアが議論の対象と成るところまできているというあたりを一言説明しておかないと、お読みになった方が疑問を持つのかなと思います。しかし、日本にとって、あるいは東アジアにとって、東アジアというまとまりがここでお書きになられたように、地域というものを形成しつつあるということは明白な事実ですから、そこに焦点を当てるということはある意味で必然的なことです。
それから、大国、中国論というものを定義論争する必要はないとおっしゃられました。そのとおりだと思います。ただ、ここでおっしゃられた意味は、経済大国であることは間違いないのだと思いますが、大国であるがゆえに予想される権利の主張を著しくするつもりもないし、他方、義務も免れるつもりもない。同じ目線でというふうに、いわゆる対等の国としてお互いに何がやれるかということだと考えれば、私はミドル・パワーというコンセプトを出されたというのは大変おもしろい提案だと考えます。ありがとうございました。
白石 隆(議長) 澤先生、お願いします。
澤 英武(評論家) 澤と申します。
ミドル・パワーという言葉自体に私は若干違和感を覚えます。これはおそらく添谷先生も同じだろうと思うんですが、というのは、1945年に日本人の中でミドル・パワーという発想は皆無であった。1980年にどうだったかというと、やっぱりこれもなかったでしょう。そうすると、今、身の丈に合ったミドル・パワーというのはせいぜいあと10年ぐらいの寿命しかないのではないか。そういうことを考えると、ミドル・パワーという位置付けではなく、私は田中先生がおっしゃったようなユニーク・パワーということを考えるべきであって、それはこのレポートにはなかったように思います。
どういうことかというと、戦後の日本はパッシブでは来ましたけれども、一貫した路線があるわけです。例えば、核兵器は作れるにもかかわらずつくらない。そして、核廃絶あるいは核の削減について、他のどの国よりも努力してきた。それから、武器輸出。武器輸出産業というのは、例えばドイツだって一生懸命やっている、それを日本は自制してきた。対人地雷は廃絶しました。日本は道義国家として一貫してきていることなんです。このことによって、アジアにおける平和を構築するという意味、そういう意味は軽くないと思うんです。日本自身がやってきたことなんですから。例えば、対人地雷を輸出することを規制するだけでも随分多くの人命が救われるわけなんです。そういうことについて、やはり日本のやるべきことは日本がまたスーパー・パワーになるかもしれない。そのときになっても日本が決してよそから恐れられるような国ではないということを、これまで50年が実践してきたこと、これを貫くという主張があってもいいのではないかと思います。
ありがとうございました。
白石 隆(議長) 他ございますでしょうか。どうぞ。
植村高雄(キュール国際緊急開発援助隊代表) 私、植村と申します。NGOの仕事をやっております。2、3年やっているんですが、ちょっと私たちの変わった仕事は、海外に在留している日本人が時々自殺をするものですから、精神科の医師とかサイコセラピストの私等が、海外の日本人が自殺しないような救援活動をやっている、そういうNGOです。
そうすると、そこでいろいろなことが見えてまいります。ですから、私たちはNGOスタッフですが、今、ここでこういう外交政策的な立場から、特にアジアの平和戦略であるとか、そういう外交政策的なスタンスから自分たちの仕事をもう一度見直しながらやっていきたいと考えて、日本紛争予防センターのメンバーに所属しているんですが、いわゆる平和外交、予防外交の立場からのNGOということで、平素、研修をこういう機会に参加させていただいてやってはいるんですが、今、いろいろな先生方の話の中で出ました、私たちの目指しているアジアにおける共存、共栄というスタンスの立場からの政策外交、その辺のことも一生懸命やっているところです。今回、金先生、張先生、いろいろ中国からも来てくださっていて、特に私たちは宗教は前面に出しませんけれども、ローマカトリック教会の現地の神父さん方の情報を得ながら、いろいろな活動もやっています。そういう意味でアジアにおける活動の拠点は、そういった背景はありますけれども、その中で感ずるいろいろな国民のレベルの苦しみとか、そういうものを取り組みながらやっているわけです。今日も1日参加させていただきますが、その視点からのいろいろなご意見も、ぜひNGOのスタンスからの意見も、そういう平和外交政策の中に一緒に考えていっていただければ大変ありがたいと思います。以上です。
白石 隆(議長) どうもありがとうございました。
もうあと15分ぐらいしかありませんので、ここでまず添谷さんに、いろいろな方からいろいろなコメント、質問がありましたので、その中から添谷さんに任せますけれども、お答えいただきたいと思います。その後、金先生、パニタン先生、張先生のほうからまた少しずつ反応をしていただきたいと思います。それでは添谷さん、お願いします。
添谷芳秀 さまざまなご意見、その他ありがとうございました。特に焦点になりましたミドル・パワー外交ですが、この議論には私は2つの異なった関心が含まれているのかなというふうに個人的には思っております。1つは、途中で申し上げましたように、こういう言い方をする外交でイメージされる日本の外交アジェンダ、それからアジアとの関与を図る際の日本の基本的なスタンス、そういう視点からの、まさにサブスタンスの議論です。これはまさにこれからの日本のアジアの中での位置づけ、役割を考えていくときに、引き続き議論を深めなければならないことだろうと思います。
私の感想は、サブスタンスに関してはかなり多くのご賛同をちょうだいしたというように思いました。ただ、もう一つの側面は、つまり、それをミドル・パワー外交というネーミングで呼ぶということに関しては、別の側面があるのだろうと思うんです。それはどういうことかと申しますと、これまでの日本外交というのは、いろいろな意味で損をしてきたと思うんです。おそらく我々の真意、あるいは実像どおりには必ずしも受けとめられなかった。これは必ずしも政治、安全保障の領域の問題だけではなくて、経済の分野でも多々あったことだろうと思います。それを翻って考えてみた場合に、おそらく国内の側面と国外の側面とに分けることができるのだろうと思うのですが、日本の国外の状況を考えますと、今日のパネルの議論でもありましたように、やはり日本が何かイニシアチブをとったときには、アジアの国々はちょっと緊張するわけです。緊張して、その中身は何だと、真意は何だということを反射的に考えるそのときの典型的な反応が、やはりそこで歴史の連想の今日的な意味というのが日本にとっては戦略的課題になるのだろうと思うのですが、やはり歴史の連想が頭の背後に基本的にあって、それとの連想において日本は何をまたやろうとしているのかという、そういう心理状態がもう既に定着をして、戦後一貫して存続をしてきているわけです。そこに対する手当というものを果たして日本外交は意識的に、まさに戦略的課題として考えてきただろうかというと、私は必ずしもそうではなかったというように思うんです。したがいまして、そういう状況に対する日本側からの一つの対応といいますか、発信という意味合いが、ミドル・パワー外交というように名づけるというところにはある。大げさに言えば戦略的な配慮があるということであります。
そうしますと、またサブスタンスの議論に戻るのですが、ユニーク・パワーというようなご提言がございました。戦後、我々、日本外交を議論するときに、さまざまな言い方をしてきたわけですけれども、ほとんど間違いなく形容詞がついているわけです。形容詞で、その後に「大国」というのがまずつくわけですが、例えば、元外務次官がおっしゃったことで言うと、大国づらをしない大国とか、ハンディキャップド・パワーというような言い方もございましたし、グローバル・シビリアンパワーというような議論もありました。それはそれぞれユニーク・パワーとしての日本にどういうネーミングをするのかという試みであっただろうと思います。しかしながら、それに対するアジアの反応というものを考えてみた場合に、そういう意味ではミドル・パワー外交も同じ問題を抱えているわけですが、日本がそういうことを言って、何を企んでいるのだろうという発想が、やはりどうしても依然として根強いわけです。
したがいまして、これはパネリストも指摘をなさったように、どういう名前を使うにしても、今、私が申し上げたことが日本にとっての重要な問題なんだと、サブスタンスとは別の次元での、まさに戦略的課題なんだというようなところに対する日本における意識というものをもっと明示的につくり、高めていかなければならないだろうと思っております。そういう問題、関心からのミドル・パワー外交というネーミングの提示ということが一つ、この議論の伏線としてはございます。
内容に関しましては、パニタンさんが、日本がこういう立場からアジアとの関係を深めていくときに、もっと政治経済だけではなくて、文化、社会、その他を含めて、アジアともっとインテグレートをしなければならないということをおっしゃいました。これはまさにおっしゃるとおりだろうと思います。我々日本人にそういう認識がなかったかといえば、これはおそらくほぼコンセンサスとしてあるわけです。ただ、それを実際に実行していくときに、我々が望むような結果には決してなっていなかったということもまた事実でありますので、大げさに言えばパラダイム変換を図らなければならないという課題があるのだろうと思います。白石先生が最初におっしゃいました、アサンプションをまず変えてみるということの意味はまさにそういうところにあるのだろうと私は理解をしております。
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