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Q:家庭の中だけでは自分をコントロールすることはできないのでしょうか。
 
ミムジー:家庭では最終的には親がコントロールするわけですから基本的には自分のことはコントロール出来ないですよね。自分自身の教育に関するコントロールは出来るかもしれませんし、それは自分自身を力づけることだと思います。しかし、家庭というのは強力な依存関係みたいなもので結ばれていて、親が力を持ってしまいそのコントロールの中にいるので、なかなか子どもが自分で考えて行動するということが難しいです。どの子も親を傷つけたくないでしょう?
 私の息子の例ですが、今教授をやっていて地質学の学者になりたがっています。でも今の彼の仕事ではそういう仕事をする可能性がなくて、一年後に他の仕事に移ろうかと思っているようです。彼は自分がやってきたことに対する確かな確信を持っているので、一年後に他の仕事がなくて仕事が移れず今の仕事を失ったとしても、あまりがっかりすることはないと思います。その後で自分のやりたいことが思うようにやれなくても、それは彼にとって構わないことなのです。もう十分自分の足で自分をコントロールしながら歩いていますから、次の新しい運命を探す旅に出るという感じで十分に満足するのではないでしょうか。
 娘はカナダに住んでいます。カナダも日本に似ていて社会的意識として一つの仕事に就いて定年するまでずっとその仕事を続けるそうです。そして自分の仕事に関して考えないのですが、彼女は「いったいこの仕事をずっと続けていくべきなのだろうか、もうそろそろ辞めるべきではないだろうか。他に何かあるのではないだろうか」ということを考えているようです。彼女の友達は「SVSの子ども達は自分のこと以外のことを考える選択肢はまったくないようだね」と言っているそうです。彼らは常に自分の人生を自分のコントロールで動いているという意識があるので、それ以外のことは考えつかないようです。
 “自分自身の教育を行なえないような人生は価値がない”というプラトンの言葉がありますが、調教されている人間よりは自分のことをよく考え調教できる人間のほうがよいのではないでしょうか。
 
Q:日本では他の人や事柄について責任を持つというのが一般的なので、SVSで“自分自身の人生に責任をもつ”ということがとても大切にされているということを聞いて驚きました。もう少しそのことについて教えてください。
 
ミムジー:赤ん坊は自分に対しとても責任を持とうとしています。お腹が空いたら泣いて、うんこが出たら泣くというふうに自分のことをよく考えています。世の中にはお腹が減っていない子にご飯を食べさせようとする人がいます。多くの人は時間だからご飯を食べさせようとします。ご飯を自分が食べたい時に食べる、それは子どもに自分に責任を持たせることの初期の段階です。それから継続してどのおもちゃを使うとか、どの洋服を着るとか、字や絵本を読み始めるというところに繋がっていきます。
 
Q:自分のしたいことを表現するのも「自分に対する責任」になりますか?
 
ミムジー:そうですね。自分で表現せず他人にそれをやってもらったら、自分に責任を取るということにはならないです。
 
Q:出産後まわりの人の言葉などがその子の意識を作っていくと言われましたが、どうやったら子どもたちにもっと良い環境を与えられるか聞きたいのです。
 
ミムジー:出産後子どもたちは全く新しい世界に落とされるわけで、まわりの状況を把握し自分が一体どんな存在なのかということを理解するのに苦労します。言葉も分からない状態の中でいつも寝ているように見えますが、確かに赤ちゃんはものすごく努力しているわけですよね。そういう時期のことについては専門的な知識を持っていませんので詳しいことは専門家の書いた本を読んでください。
 
Q:家庭とSVSの関係は重要だと思いますが、どう協力しているのですか?
 
ミムジー:初期の頃2年間くらいは半分くらいの親たちが財政面でどういうふうにやっていくかというところに関わっていました。その後はその部分にあまり親も関わらなくなって今は生徒とスタッフが全てやっています。他のSVSタイプの学校についても親の参加が多いところや多くないところがあります。
 
Q:「スタッフの給料が払えるようになるまで15年くらいかかり、最初はみんなが出せるものを出し合って学校を運営していた」と聞きました。スタッフは給料なしでどうやって生活していたのですか?
 
ミムジー:給料は最初ありませんでした。他に副業を持っていたスタッフもいましたし、パートナーが仕事を持っている人もいました。それでも生徒の親以外でも興味を持ってスタッフとして働いている人もいました。
 
Q:学校をやる場所は見つかっていたのですか?誰がお金を出したのですか?
 
ミムジー:ラッキーなことに今の場所から始まりました。理由があって安く手に入りました。最初の頭金はグリンバーグ夫妻が支払っていたのですが、その後は学校がそれに代わりだんだんと住宅ローンも支払えるようになってきました。
 
その他の質疑応答
 
Q:ミムジーやご主人のご両親は孫をSVSのような学校に入れることを反対しましたか?
 
ミムジー:主人の両現も私の両親も子どもが入学する頃には他界していました。彼のお母さんは、大変温厚な方でしたが、私の母は心配性で、孫のことを心配していました。でも母は非常に頭のよい人だったと思います。私たちの出版したSVSについての書物やジャーナル、論文、記事といったものにはすべて目を通していました。それでも真からSVSのことを理解するまでには非常に長い時間を要しました。それは世代の違いによるものでしょう。
 
Q:まっくろくろすけの子ども達は「一週間のうち3日から5日スクールをしたい」と言います。しかし、そんなに多くの日数が必要でしょうか。
 
ミムジー:SVSの子ども達は週に7日ほしいといいます。なぜなら、SVSで彼らは十分に生きているからだと思います。子どもの学びは表面上では見えにくいものかもしれません。しかしそれは目に見えている以上に非常に加速的であり、激しいものです。表面的には実感しがたいかもしれませんが、それは確かに行われているのです。
 
Q:子どもたちが企画して旅行に行ったときのことです。公共のログハウスを借りて2泊3日を過ごし、引き上げの際には旅行委員の子が中心となって後片付けをしました。しかしスタッフ(大人)から見ると、その片付け具合が十分ではなかったので、そのスタッフが気づいた部分を片付けたのです。このような場合、スタッフとして、子ども達にどのような対応をするべきだったのでしょうか?
 
ミムジー:公共の場での責任感は、大人と子どもとでは認識という面で差があるでしょう。大人同士でも差があるものです。公共の場に関しては、大人の物の見方に合わせてもらいます。今回の場合でいうと、後始末についてもそうです。学校では子どもの見方、意見を尊重しますが、公共の場においては大人が見て、判断して、きれいになるまで掃除をするそういうことを知った上で子ども達が使用する必要があります。
 昨日、まっくろくろすけで、子ども達が一日の活動の最後に嫌がることなく掃除をしている様子を見ましたし、その仕上がりを見ても、とてもきれいになっていると感じました。それが出来る子ども達は、もうこのようなことを期待してもよいのではないでしょうか。
 
Q:掃除や片付けがすごく苦手で大嫌いな7歳の子がいます。これが原因でフリースクールを休むようになりました。親としてはどう対応したらいいですか?
 
ミムジー:苦手というよりも、その子にとって生きていくうえで掃除はそれほど重要なことではないのでしょう。私なら家にいさせるでしょうが、だからといって特にその子の相手をしようなどと甘やかすこともしませんし、一緒に楽しむこともしません。
 
Q:ダニエルはまるで情熱の固まりのように見えて、情熱だけで何でも出来るのではないかと思えてきます。本当にそのように出来るのでしょうか。
 
ミムジー:それは人によって違います。すごい情熱家はたくさんいます。様々なバラエティーに富んだ考えを持った人もいれば、それらを行動に移せる人もいるということです。
 
Q:ミムジーの3人のお子さんが、どのように育ったのかを教えてください。
 
ミムジー:SVSを卒業する前のことからお話しましょう。長男が学校で最初に取り組んでいたことは、粘土遊びでした。次に戦争ごっこのように、外で遊びまわることでした。その後SF小説に没頭し、16年間ずっと読み続けていました。また、12歳ごろからピアノの演奏に大変情熱的になり、16歳ごろには数学に関心を持ちだして、勉強をし始めました。卒業後は、自分が何をしたいのかわからないので、とりあえず生協のような自然食品のお店で働いていました。そのうちにすごくお金が貯まりましたが、使い道も無いのでずっと貯めていたそうです。それから音楽に興味を持って、大学に入ろうとしました。アカデミック(学術的)な教育が充実している大学を捜し求めていたようです。大学院まで進んだ後、オレゴン州立大学の教授に就いて、現在もオレゴン州に住んでいます。彼の子どももSVSタイプの学校に通っています。
 娘は38歳になります。幼い頃から外国語に興味があって、フランス語、イタリア語、と大変情熱を傾けて勉強していました。SVS卒業後はイスラエルにあるキブツ(そういう名の共同体がある)に入り、ヘブライ語を完壁にマスターしてしまいました。その後アメリカに戻り、大学に入学したのですが、彼女はそこで非常にショックを受けました。というのは、そこの大学では学生がまったく勉強していなかったからです。彼女が生真面目な人間だというのではありません。彼女は本来楽しい人なのですが、自分の教育に対して真剣に関わろうとしない彼らの姿を見て、あまり良い印象を持たなかったようです。彼女は「とんでもない!こんなところにいたら、私は死んでしまう!!」と言って、即座にその大学から去りました。そして自宅に戻ってきて、ハーバード大学(自宅から30マイル程度で行ける)の夜間コースで学び始め、日本文化や日本語の授業を受けていました。その後カナダに行って、カナダの大学でも日本について学んでいました。その大学では大変充実していたようでした。彼女が大学に行った理由は、イスラエルに戻って、そこで生活するには大学の卒業資格が必要だったからでした。彼女は日本にも2年間住む予定でしたが、恋愛をして、結婚してしまったために、日本に来ることは出来ませんでした。ですから今回私が日本に来られた事を、娘は非常に羨ましく思っていたようです。いつか彼女にも来日できるでしょうが、現在のところはコンピューターのソフトウェアをプログラムする仕事に就いています。彼女の幼い頃は、長男と違って、大学院へ進んだり、その後も勉強を続けようとしたりという、研究者タイプではなかったようですが。しかし頭の回転が速く、行動のてきぱきした、非常に頭のいい子であったと思います。
 末の息子は29歳です。彼は2歳の頃から読み書きの出来る子で、算数は生まれたときから出来ていたと思います。走り回ることを覚えたのが5歳で、SVSに行くようになってから学びました。18歳ごろSVSを卒業し、その後シェフになるための勉強をして、スキー場でコックとして修行をしていました。そこならスキーが出来たからです。4年ほどそこで過ごしていました。それからようやく大学に入学し科学の勉強をして、現在は科学者になっています。SVSにいる頃を見ていると、彼が科学に興味を持つ人間になるとは思いもしませんでした。
 子どもの興味や関心の方向は、常に未知です。親としてはそれがわからぬまま我が子の成長を見守ることは非常に難しいものがあります。しかし、それしかないですよね。子どもが育つというのは、そういうことなのだと思います。
 特に親として私の子どもは皆楽しい子達で、一緒にいても、すごく楽しめます。







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