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■ヘルパーの条件が制度に影響する
強い人間になったように見えるけれども、実は、他人の痛みであるとか苦しみというものが、自分自身が感じなくさせるという努力をした結果として、感性を持ち得なくなってしまうということはよくあることでありまして、私自身も、夜遅くまで働いておりますと、翌日、仕事をやって来なかったという同僚に対して、「やって来れなくてごめんなさい」なんて言われると、「それでも昨日の夜は寝たんじゃないの」というようなことを言って、批判をしてしまうというような−
「あなた人権が何だか、かんだかと言うけれど、仲間に対しては、全然人権なんて−鬼の麻美!」なんていう感じで言われてしまうことが、けっこうあるんですね。やっぱり、がんばり屋さんというのはそういうところがありましてね。
自分がすごく報われていないとか、本当に自暴自棄になっている時ほど、他人に対して厳しい攻撃の矛先を向けるんですよね。攻撃の矛先を向ける時というのは、いくら自分で本当に品位ある人間性を保とうとしても、どうしたって弱い人間に向いちゃうというところですね。人間としての悲しさなんですよね。
私は、ヘルパーで働いている人達は、本当にその辺のぎりぎりのところを、縫うようにして自分自身を自制しながら、利用者の人に対していい顔もしなければいけないし、特に競争関係が激しくなってくると「まあ、とにかく抑えて抑えて」なんてことで、全部ヘルパーが自分の中で消化して、一人のところに行って泣いて消化してしまおうというような、そういうことになっているんじゃないかと思うんです。
でも、こういうことって、繰り返していたら自分自身が摩耗させられるし、他人に対してやさしくなれない人間になっちゃう。だから、ヘルパーの回転が早い。つまり2年とか、あるいは4年で辞めていくというのも分からないでもない。でも、それでは経験が蓄積されないから、もっと、ヘルパーが、自分自身を大切にして、他人に対して自然にやさしい思いやりが出るような、そういう労働条件を保障しなければ、介護保険制度はだめになりますよと、そういうことを訴えていく必要があるんじゃないだろうかというふうに思っているんです。
人間の基本的なことから出発して、この制度を良くするためにも、ヘルパーの労働条件の保障をということを訴えたいと思うのです。
そして3番目に、こういう現実に向かってチャレンジして変えていけるという枠組みがなければなりません。力がなければなりません。それをどうつくるのかというのが問題提起をされているというわけです。
さて、時間もありませんので次に移らせていただきたいと思います。
■登録―究極の効率的働かせ方
私がヘルパーの方々の労働条件を調査したものの中で、いくつかのアンケートがあります。札幌で作られました、前に連合で実施されましたアンケート調査の結果、それから今回、東京の方でケア・ユニオンが実施致しましたアンケート調査、この二つを全体として見てみると、次のような問題が、ヘルパーの雇用と労働条件について浮かび上がってまいります。
大きく言うと二つあります。
一つ本当に実感させられるのは、ヘルパーの雇用と労働条件は、性役割、つまり男は仕事、女は家庭という社会の中でもたらされてきた性による差別の社会環境ですね、それに規定された女性労働問題というのが全て出ているということです。
例えば、私は雇用のあり方というのを見るんですけれども、雇用が本当に不安定ですよね。登録型という、こういう言葉が出てきているということ自体の中に問題性を感じるわけです。
登録型ヘルパーというふうに最近言われるようになってますけども、あたかも利用者がいるたびに、そこに派遣される毎に雇用が成立していくというような、非常に不安定な働き方。何時から何時までという時間が決まっていない、あるいは、時間帯は決まっていなくても1週間のうち何十時間は仕事が保障されるというようなやり方でもなく、そこに仕事がなければ、とにかく労働時間も決まらない、収入も決まらないという−こういうのは究極の効率的な働き方であるわけです。
■女性差別の凝縮
普通一般的に人々が、これを職業にしたいと思う時には、こんな雇用形態は選択させない。つまり、存在させないということが原則です。だから、ヘルパーというと、パブリックな分野では常勤・非常勤を認めるのかどうかという、こういう議論だったんですね。
それに加えて、登録型という言葉が出てくるという世界。介護保険になって余計に、登録型というのが目立ってきて、そういう働き手が市場を征するようになっているというのは、まさにこれで自立して生きていくということになっていないということを象徴している。
収入は不安定でも結構です、ただし、数字でパッと出てくるのは103万の壁を越えないということだけは出てくる−この働き方というのは、まさに性役割に規定された、本当に差別的な女性労働問題を凝縮して表現しているということになるんじゃないでしょうか。
それをうかがわせるように、低賃金。私のレジュメの中で見てください。貧困のラインというんですね。二人世帯で、あるいは三人世帯で貧困ラインって幾らで設定しているかというと、ある文献を読んでみたら、年間300万で設定されていたので、私のこの240万というのはそれ以下で、ずいぶんと人権感覚のない基準設定になっていますけども、なんで240万なのかというと、東京の生活保護給付で母子家庭の3人家族で住宅補助も含めて、だいたい生活保護費で支給される金額というのが一ヶ月20何万かという、そういうところです。少なく見ても240万ぐらい、250万とか260万ぐらいになっているかも知れませんけれども。
そういうラインで、年収240万から260万ぐらいのところで、最低の、いわゆるリビングウェッジと言ってますけど、生活賃金水準というのを設定してみた場合に、ヘルパーの人たちの水準で、いったいどうなんでしょうかということを見たものです。
■リビングウェッジ
アンケートの結果で家事援助というのは、950円とか1,000円を切っているということになるととても大変なことになってしまうんですけれども、1,150円ということで家事援助を設定した場合に、年間240万円を得ようと思ったら2,200時間以上働かなければならない。実働で2,200時間ということになります。それから複合型の1,200円から1,300円の間でとってみると、だいたい年間2,000時間働かなければならない。身体介護で1,500円でも、1,600時間も働かなくてはいけない。こういう水準になってくるわけです。
こんなふうにして、職業としての確立という視点で、この時給水準というものを見た時には、とても長い時間働かなければいけない。だけれどもヘルパー労働の質の高さといいますか、神経も体力も凝縮して使わなければいけないという、そういう状態からしますと、2,200時間なんていうのは続きません。
政府の一般的な労働時間短縮目標だって、1,800時間なんですよ。そしたら、なんでヘルパーが自立して生きていくために、それよりも400時間も長く働かなければいけないんでしょうか。しかも、これだけきつい労働でですよ。
拘束時間も含めて時給を計算してみてください。家事援助で1,150円というけれど、拘束時間はもっと多いです。その分、不払いになってます。記録の時間だって不払いです。そういうもの全部で平均してみたら、1,000円を絶対割ってます。時給950円の人は800円台であるかも知れません。
■社会的利益の視点で
従ってこんな状態を放置しておいて、ヘルパーが増えてくるわけはないんです。熟練も形成されるわけもないんです。ここのところを行政当局、あるいは指定業者には、社会的な利益をどう守るのかという視点から考えてもらいたいなと思うんですね。
この前、厚生省の方とご一緒する機会がありまして、厚生省の方も非常に危機感を持って、ヘルパーの数が少ないということを訴えておられました。これからは少子高齢社会といって、若者で労働市場に参入してくるという新規学卒者が、ぐんと減ってきますというわけなんですね。そして、それらの人達の中から、年間何万人のヘルパーが生まれるというのでしょうかと、一番の入り口のところで大変な心配をしておられましたが、私に言わせれば、早く辞めていくのをどうやって改善するのかという視点の方が、大切なんじゃないかという感じさえ持つような状況でした。
このことについて、低賃金という問題をどう改善させていくのかという提起が、まだまだ社会の中で一般に広がっていないということは問題なんだろうと思います。
これを社会的に問題提起していくためにはどうすればよいのか、それを考えていかなければなりません。
■制度の枠組みが条件を規定
それから2番目の問題として、介護保険制度の枠組みそれ自体が、ヘルパーの雇用と労働条件を大きく規定しているということです。獲得競争の中で効率化、それから料金とサービスの安売り競争というものが展開をされております。その結果として、登録型というものが広がるということになっていますし、賃金の全体的な傾向というのは免れません。
そして私が今、ヘルパーの人達から最前線で相談を受ける事例の中に、雇用ではなくて非雇用、つまり雇用関係にないという抗弁を立てられて、労働法上の権利を一切否定されるという労働者が出てきたということです。どういう人達かというと、「委託だ」というふうに言われるんです。労働組合があるところではそんな主張なんて許しませんけれども、しかし労働組合のないところでは、社会福祉協議会などでヘルパーで働いている人達が、「あなたは委託なんだ。だから社会保険も雇用保険も入れられない。労災も適用がない。労働法上の保護は一切ないんだ」というふうに言われて、苦しい立場に追いやられているという実態もあります。そして、不払い労働まで大きく発生をさせられているというのも、例えば記録のための時間であるとか、あるいは移動のための時間というのが不払いになっているというのも、やはり、制度の構造的な枠組みに起因するところが多いのではないかと思うのです。
同じように介護報酬のあり方というものが、雇用と労働条件上の問題を発生させているという側面も見ておかなければなりません。
実働に対して、実際にサービスを提供したことに対して幾らという報酬設定が行われているために、本当はその問題と働く人の労働条件とは別問題なんですけれども、連動はしないんですけれども、不払い労働時間が発生してしまう。不公正な格差というものが生み出されることにもなっています。
私は札幌の調査の中で、ある方が「家事援助のこの料金の低さはなんだ。賃金の低さはなんだ。それは家事援助という、自立支援のための労働の実態を全く知らない、男中心の物の見方で制度が組み立てられているということの象徴ではないか」と非難をされておられた意見がありましたけれども、全くその通りのことだと思います。
本当にこの報酬単価の設定でよいのかという問題も含めて、労働条件上の様々な問題が発生してきているということです。
■利用者と事業者とのはざ間で
そして3番目に、ユーザーと指定業者との狭間の中で、ヘルパーが苦しめられているという問題です。仕事の中でミスマッチがある。それからユーザーが無理解であるために、ヘルパーに対して隷属的な関係が強いられていくという構造。それから、ユーザーからのクレームによる不合理な不利益がヘルパーに回ってくるという問題です。
プライバシーに関わることですので詳細は避けますけれども、ある方が、利用者からのクレームがあったということで雇用関係を切られました。その時に、誰がどういうクレームを述べてきておられるのか、それを知ることが自分の雇用を守る上でとても大切なことです。だから事業主に対して「なぜ、誰が、どのようなことを言ってきているのか教えて欲しい。そうすれば私にも、弁明したいことがあるから」と訴えました。しかし、雇用主は利用者のプライバシーを盾にして、そのことを教えてくれませんでした。そして、その人は職を奪われました。
こういった非常にナイーブな問題に直面しながら、雇用と労働条件を守らなければならないヘルパーの立場について、それを配慮する制度というのは一体どこにあるのでしょうか。
利用者からの苦情は聞きます。だから行政は、そのための相談窓口も設定し、そして消費者団体なども含めて、利用者からの苦情相談の窓口はいっぱいあります。だけど、良いサービスを提供していかなければならないというヘルパーに、人権・権利が保障されなければならないというのに、ヘルパーは利用者から言われれば、何も言うことができないんでしょうか。それではおかしいと思います。
この件を、こういう問題を解決するための特別な枠組みが必要なんです。それは利用者とヘルパー、その両者を結びつける指定事業者、そして介護保険の実施主体という四者が絡んでの働き方であるがゆえに、非常に複雑化する。
そして利用者の利益を守らなければならないという制度上の要請、そういった特殊性を踏まえた、迅速な問題解決のための枠組みというのがないために、ヘルパーがみんな泣きを見ている。
これを、どうして気付かなかったのかというふうにも言いたい程です。
■労働の価値を認めさせる
さて、いろいろな問題があるということを指摘いたしましたけれども、介護労働と介護労働市場を確立するためにも、私たちの雇用と労働条件を改善していかなければならないわけですが、そのために必要な視点というのを、最後に問題提起させていただきたいと思います。
まず私は、介護労働を職業として確立するという取り組みの、本当にささやかな提案ということなんですけれどもね、社会的にこの労働がどれだけ大切なものであるかということと、加えてどれだけの価値を持っているかということを、皆さん、もっと自己主張してほしいというふうに思うんですよ。
不安定な収入をなくすとか、いろんな問題があるんですけれども、日本の政府が批准しているILO100号条約というのがあるんですね。100号というのは、賃金について同じ価値の労働であれば、同じ金額の賃金を払わなければいけないというふうに言っていまして、これは、同じ価値の労働に対して、同じ賃金をなんですよ。「同じ仕事について」というふうになってないというのはね、どういうことかと言いますと、例えば、介護労働について看護労働と比較してどうかということなんですよ。
なんで看護婦は病気になったら休みを取れるのに、ヘルパーは取れないんですか。そういう職場はいっぱいありますよ。同じ人間であるのにですよ、病気になるのはみんな一緒じゃないですか、どういう仕事だって。医者だって、看護婦だって、ヘルパーだって。それなのに医者と看護婦には病気になった時の休みが保障されていて、ヘルパーだったら休めない。「嫌だったら辞めろ」と言われる。
それを実際に問いただした人がいたんです。そしたら事業主は何て言ったかというと、「看護婦と医者は簡単には調達できない。ヘルパーだったらどこにでもいる」と言ったそうですよ。
これだけのことを言われて、しょうがなく腹が立つと言う話なんですけれども。でも、それを言わせないようにするためには、ヘルパーの労働がどれだけの大切な価値を持っているのかということを実証しなければいけない。どこにでもいるという存在ではないんだってことですよ。
私はそのために今度、東京のケア・ユニオンというところで作業を始めることになるかどうか、取っかかりの検討会をやるんですけど、ヘルパーの労働の価値をはかるという仕事に、挑戦をしようかというふうに思っています。諸外国ではそういうことが行われてきているわけです。
家事援助と身体介護で、どこがどう違うのか、あれだけの報酬の価格差になるということは、合理性があるのかと言うことが出てきます。
偏見にみちた「男は仕事・女は家庭」という性役割を、ジェンターバイアスと言いますけれども、バイアスがかかった目でしか料金設定されていない差別的な報酬基準、それを是正するためには、それぞれについてどういう価値を持っているのかということを、みんなから出してもらって実証していく。それで突きつけていくということをやるべきだと私は思うのです。
そういうことだったら、皆さんお集まりになった時に、「あの時に、こうだったああだった」というお話いっぱいあります。今日もちょっと、お昼ご飯の時に打ち合わせをさせていただいて「ああ、ここで話をすることができたからスカッとした」という意見をちょっと聞きましたけれども、やっぱり自分が何をやっているかということを、ヘルパーの人達から出してもらって、それをきちんと評価をしていくのをやってみたらどうなのかなって。私これ、すごく展望のある仕事だと思うのですけれども。
そんなことも含めまして、その社会的な価値を認めさせていくという大運動というのが、これから介護保険制度の枠組みについて問題提起をする重要な視点になっていくのではないか、そんなふうにも思うわけです。
■対等な関係の確立
それから、ユーザーであるとか指定事業者の言いなりにならない、対等な関係を確立していく課題があります。私は職業として確立するためには、この対等な関係の確立というのが、極めて重要だと思っていまして、そのためには、今日のような会合を、もっと市場規模で広げていくという課題があると思います。
ユニオン、労働組合が、この市場の中で大きな力を持つということが求められるのです、対等な関係に立つためには。けれどもそれが、なかなかその指定事業者がいろんな規模の業者がいて、セクターもいろいろあります。第三セクターだったり、公共であったり、それから民間であったりとか、いろんな条件の違いがある。そういうところを、一律に束ねていくということもできないのです。
そうするとセクターを越えて、ヘルパーで働いている人達が手をつなぎ合える場所というのがとても重要になってきて、その場所から問題提起をしていく、制度に対して物も言っていくというような仕組みを作っていくということは、これは不可欠な課題になるのだろうと思います。それが2点目。
労働の価値というものを少し考えてみない?ということと併せて、こういった取り組みというものを、もっともっと広げていくために、全国に広げていくために、お互いにがんばってみようじゃありませんかということを、2番目に提起をさせていただきたいと思います。
■制度を担う四者で協議を
それから3番目に、次のようなことはどうなんでしょうかということで、ちょっと突拍子もない話になってしまうんですけれども。
この介護保険の担い手というのは、四つあるというふうに申しました。介護保険制度を作るときには、利用者、それから指定事業者、それから実施主体である自治体、それに加えて働き手というヘルパー、その四者が制度を担っているということを申しました。
アンケートを見ていても、ヘルパーの人達が移動時間の途中で休む場所がない。バスの中でお弁当を食べるとか、そういうアンケートがありました。
私も忙しいので、山の手線の中でおにぎりを食べたりとか、お弁当を食べたりするということはありますけれども、その時って何ともいたたまれない程自分が、何か惨めったらしくて、なんでこんな生活しかおくれないのだろうかと泣けてくるようなことがあります。
そういうふうにならないようにするためにも、ある一定の移動が可能な範囲で、例えば、学区単位でいいと思うんです。学区というのは、小学校に通うのに子ども達は歩いて通いますよね。そういう学区単位で、ヘルパーであれば誰でも立ち寄れるような場所というのを作らせるというか、そういう所というのは、空きになっている物件なんていくらでもあるはずなんですよ。
それでね、私思うんですけど、そこに本だとか情報コーナーみたいなものを設けたりとか、あるいはミーティングルームなんかでも、ちょっと何か気晴らしに話をすることができる、仲間と交流することができるような場所があることによって、疲労感ってずいぶん違うんじゃないかと思うんですよ。
お弁当食べられるでしょう、そこで。冷たかったら、ちょっとお湯を沸かしてコーヒー入れてというようなことができて、本でも読めて。パンフレットなんかでも、利用者に対する教育というのが必要だと思うんですね。ヘルパーばかりじゃなくて利用者に対して、ヘルパーというのは、こういう仕事をする人なんだと、自立支援のために社会にとってなくてはならない存在であって、利用者はこのことを守ってくださいというパンフレットがあったら、本当に助かりますよね。そういうものを作って置いておく。ヘルパーはみんな、利用者を訪ねる時にそれを持って行けるとかね、そういう場所。
■地域から改善に向けて
要するに、ハードとソフトというのがきめ細かく地域に設定されているというのはとても重要で、ヘルパーをめぐる権利問題というのは、指定事業者がどうだからとか、そういうことでは解決できない制度上の問題を持っているということを、私言ってきましたけれども。
だとすると、これを解決するのは四者で、特に行政のヘゲモニー、公共の分野でいろいろな政策を展開している人達の役割というのは、とても大きいということなんです。
その取っかかりとして、そういうものができるように、ささやかではありますけれども働きかけていくという視点も、とても重要なことだと思うんです。これはかなり実現の可能性というのは高いのではないだろうかと思っているんです。
そしてもっと言えば、地域単位に協議会を作っていくということを戦略的に展望したらどうなのかと私は思うんです。
目の前にいる利用者と指定事業者しか、顔として見えてきません、今。だから、こういう状態に追いやっている「ああ、あの人の差別的な配置は気にいらん、この経営者の顔を見ると腹が立つ、こういうヘルパーを家政婦呼ばわりする利用者にも腹が立つ」という、この範囲でしかヘルパーの人達、現実の相手が見えてないんですけど、だけどこの問題というのは、制度の枠組みに大きく起因してますから、こういう問題を四者間で協議するという場所ですよね、機会、これが必要だと思うんです。
私は住区センターとか、いろんな構想がありますけれど、そういった場所を設置するにしても、ある一定の公共セクターとの話し合い、協議の機会、それから指定事業者とか利用者も含めた話し合いの場というのを、何がしかの形で築き上げていくようなことを念頭に置いてこれからの要求運動を組み立てていくというのはどうなんでしょうかと思うんです。
そして幸いにも、こういう場所には、いつも公共サービスの分野で働いている人達、そして労働組合が参加をしてきています。この人達が果たす役割というのも極めて大きいのです。そして、議員がいます。
私、アメリカに行きまして、本当に痛切に感じたんですけど、先程240万をベースにして、ヘルパーのこの賃金だったら何時間働かなければいけないかという試算をやりました。この発想の根底には、パブリックな分野で働く人、つまり指定事業者という民間で働くという人達も含めてですよ、これは実施主体である自治体から介護サービスの提供の委託を受けているという関係にありますからね、民間といえども。だから民間業者といえども、パブリックな分野である、公共分野であるということには代わりないんです。
自治体だとか、パブリックから委託を受けて社会的に活動している分野で不正があってはいけないというのは、国際社会共通の普遍的な確認点だと思うのです。
つまり、そこに差別があってはいけない。人々が本当に自信と誇りを持って働き続けられるような労働条件、雇用が保障されなければいけない。
別に絵に描いた餅のようなことを言っているわけではないのです。限られた原資の中でも、公正であること、そして、できるだけ働き手が大切にされていると実感が持てること、そういう労働条件を保障するということは、どんなに限られた原資の中小・零細企業だってできる話なんです。英知を寄せ合えば。
そういうものを作り上げるために、例えばパブリックな分野で働いている人達には、最低これだけの賃金は保障しなければならないということで、アメリカでは市条例などにそれを盛り込ませて、リビングウェッジ条例と言いますけれども、市と契約を結ぶ事業者、介護保険の指定事業者もそうなんですけど、そういう事業者は最低次のことは守らなければいけないという条例を作って、地域で働いている人達を大切にしていくという運動が、アメリカのあの自由競争の社会の中で広がってきているということも知りました。
私はその運動の息吹というものを見まして、地域からこういうことを展望して条件を改善することができるんだという、何か力をもらったような気が致しました。
働きかけさえすれば、そしてその働きかけの内容に正義があれば、必ずこういう運動というのは実を結んでゆくのではないかと思います。
特に私なんかも、これで何年かしたら、自立援助のためのサービスのお世話にならなければいけないんですけれども−
みんな、そのことを考えています。国民的な課題です。ヘルパーの労働条件を良くするということが、みんなの願いにつながるんですから、これほど条件をもった要求というのもないのではないかと思いますので、是非これから歩みを一緒にして進めていきたいということを申し上げまして、私の問題提起とさせていただきます。どうも最後までありがとうございます。
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