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●考察とまとめ
 造礁サンゴの分布の世界最北限域にあたる館山湾坂田地先の水温(水深5m)は13.5〜26.9℃、塩分は33〜35PSU、懸濁物量は0.50〜2.88mg/l(年平均1.27mg/l)であった。
 坂田地先の水深0〜8mでは、60m×200mの調査区内にこれまで未記録の2種を含む11種計347群体の造礁サンゴが観察された。最も群体数が多かったのはAlveopora japonicaで、種の多様度は水深6〜7mの間で最も高かった。一般に造礁サンゴ類は、水深の深いところで被覆状に成長するタイプが多くみられ、水の濁っている場所ではこぶ状に成長する種がよくみられるといわれている(山里 1978、Riegl et al. 1996)。坂田地先は造礁サンゴが普通にみられる沖縄の阿嘉島水域に比べて水が濁り、光量が少ないために、被覆状やこぶ状に成長する種が優占したものと考えられる。
 サンゴ類の周辺には石灰紅藻類が多くみられ、また、サンゴ類の部分死した個所には下草的なマクサやキントキなどの紅藻類と有節石灰藻類が目立ったことから、紅藻類や石灰藻は造礁サンゴ類と生息場所をめぐって何らかの有機的な関係があると思われ、検討する必要がある。調査区内の水深3m以浅にはサンゴ類がみられなかった。そこには大型藻類および石灰・紅藻類が繁茂したり、移動しやすいゴロタ石が多かったりしたが、浅いことによる水温や塩分の変動、それに波浪の影響が大きかったことがサンゴ類の生息を阻んだ原因と考えられる。造礁サンゴ類が多く生息し、多様度が高かった水深6m前後では岩盤上を砂がよく移動し、藻類は減少した。その深さでは砂などの堆積物や水温変動に対して強いサンゴ種だけが物理的影響を受けにくい場所に着生できたものと思われる。
 館山湾に生息するAcropora tumida、Stylocoeniella guentheri、Psammocora profundacellaの年間推定成長速度は、いずれも25℃区で、それぞれ1.97±2.62、0.15、0.39±0.21(cm/年±標準偏差)であった。
 造礁サンゴ類の成長に関する報告は、研究に用いた種の成長型や研究者によって、測定方法が異なるので比較する際に問題が生じるが、本研究で得られたP. profundacellaの値を同属のP. togianensisの成長速度(2.9cm/年:Knutson et al. 1972)と比較すると、最高値(25℃区)でさえ、その約13%にすぎない。また、A. tumidaの最高値(25℃区)は、駿河湾における同種の25℃下での推定年間成長速度(3.56cm:峰岸・上野1994)の約55%であった。本研究から、館山湾の造礁サンゴ類の成長は相対的にかなり低いことが示された。
 Acropora. tumidaの産卵は月齢周期と関係なく起こり、かなり長期にわたって行われた。また、同一群体内で分割産卵することが確認された。分割産卵については下池ほか(1992)が、阿嘉島のAcropora属3種で、同一群体の日のよく当たる部分と日陰になる部分で卵と精子の成熟度が異なり、産卵日がずれることを観察しているが、他の地域からの報告はない。また本種のような、数日間隔で最高11回にもおよぶ分割産卵はこれまで報告されていない。そして、群体間で産卵の同調がみられたことから、館山湾内でも有性生殖によって再生産している可能性がある。
 Alveopora japonicaのプラヌラ放出はわずかに1群体であったが、野外で観察された。幼生放出日は下弦の時期にあたり、本種の幼生放出のピークが上弦と下弦の頃にみられたという五十嵐ほか(1993)の報告に一致していた。プラヌラは放出された後、ゆっくりと波に揺られて水底付近を漂っていたことや、波利井(1995)が本種の初期生活史の観察において着生基盤がないと浮遊期間が長くなると報告していることからも、こん棒状のプラヌラは着生に適した場所があればすぐに着生し、変態するものと考えられる。
 現在館山湾に生息する造礁サンゴ類は、最適な生息環境ではないが、限られた着生の場を見出して新規加入し、わずかずつではあるが着実に成長し、有性生殖を行う能力を持っていると考えられる。しかし、その分布密度から、有性生殖がすべての種においてそのまま再生産につながるとは考えにくい。Woesik(1995)は紀伊半島串本において数種の造礁サンゴ類の産卵を観察し、それらは新規加入する潜在的な能力を持つとしているが、今回の調査結果から考えると、館山湾に生息する造礁サンゴ類の多くは、三宅島や伊豆半島における報告同様(Tribble & Randall 1985、五十嵐・濱田 1993)、南日本太平洋側を北上し、本州沿いに流れる黒潮によって輸送されたプラヌラが加入・着生したものであろう。もう1つの可能性として、沼サンゴ層の化石にみられる完新世の造礁サンゴが生き残っていることが考えられる。Veron(1992b)によって種まで確認された沼サンゴ層の化石サンゴ類中、沖縄以南に現在生息しているものが47種ある。完新世には日本列島沿いにサンゴ礁域、あるいは造礁サンゴ類の生息域がより高緯度にも形成されたが、その後の環境の変化によって淘汰され、次第に種数を減じていったと考えることもできるからである。
 
●謝辞
 本報は萩原良太による平成9(1997)年度 東京水産大学大学院水産学研究科修士論文「館山湾に生息する造礁サンゴ類の分布、生息環境および有性生殖」から抜粋し、書き改めたものである。本研究を行うにあたり、終始適切なご指導および助言を賜った東京水産大学資源育成学科の大森信元教授、山川絋助教授、石井晴人助手に御礼申し上げます。また、潜水調査や室内の実験に多大なるご協力を頂いた東京水産大学付属坂田実験実習場の小池康之助教授と技官の方々、水族生態学研究室の勝本昭良氏と波利井佐紀さん、そして私の伴侶となった田中房子さんに心からお礼申し上げます。
 
●引用文献
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