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小笠原諸島の造礁サンゴの生態的特徴と現況
稲葉 慎
特定非営利活動法人
小笠原自然文化研究所
Ecological feature and status of reef−building corals in the Bonin Islands, Japan
M. Inaba
 
●はじめに
 東京から約1000km南下した場所に位置する小笠原諸島には、発達程度が低いサンゴ礁(エプロン礁)が形成され、約200種の造礁サンゴが記録されている(立川ら1991)。これまで小笠原の造礁サンゴ類については1930年代の東北帝国大学による分類を中心とした調査(Yabe et al. 1936など)をはじめ、今島(1969)や環境省自然環境局・財団法人海中公園センター(1995)よる現況調査などがあるが、造礁サンゴ群集構造を把握するための定量的な調査、また生物学的・生態学的な知見については極めて少ない。
 本稿ではこれまで筆者が収集したデータなどを用いて、予報として父島を中心とした造礁サンゴの生態学的知見を簡単にとりまとめた。なお小笠原諸島の自然環境概要や造礁サンゴ相概況などについては立川ら(1991)や立川(1994)にまとめられているので参考にしていただきたい。
 
●造礁サンゴ群集構造
 図1に父島主要海岸の造礁サンゴ群集構造と被度を示した。調査方法は、各海岸で浅所から沖へ100m測線を2〜3本設置し、スクーバ潜水によるライントランセクト法よりサンゴ被度を求めた。二見湾内の屏風谷海岸だけは、水深3m、6m、9mにそれぞれ1m×1m方形区を15個設置して調査を行った。初寝浦と釣浜については現在調査中であるため、スクーバ潜水を用いた簡易目視観察結果による平均被度を示した。
 父島北側にある海岸線が湾入した宮之浜・釣浜は、波打ち際から緩やかに水深を増す海岸であり、造礁サンゴ群集の被度は高い(30〜70%)。これらの海岸では波打ち際からしばらくは砂底あるいは転石帯であることが多いが、それ以降は岩盤・死サンゴ岩盤などにサンゴ群集が発達し、湾口部の水深が急速に深くなる水深10m以降も群集は連続する。主要構成種としては大型群体となるAcropora florida, Porites lutea, Galaxea fascicularis, Lobophyllia hemprichii などや、中〜小型塊状・被覆状群体であるオオトゲサンゴ科、サザナミサンゴ科、キクメイシ科などが見られるAcropora florida以外のミドリイシ類の被度は高くなく、A.hyacinthus, A.donei, A.digitifera, A.robusta などが小規模に散在している。このようなサンゴ群集構造は、初寝浦、巽中海岸などでも同様な傾向であり、概して小笠原諸島のサンゴ群集の特徴であると考えられる。小港海岸は内湾的環境を有するが遠浅の砂浜海岸であるため、海岸左右の岩盤と岩根のみにサンゴ群集が見られ、被度は低い。
 
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図1. 父島周辺の造礁サンゴ被度と群集構造
海岸名横の( )内は平均被度を示す。
 
 上記以外の外洋に面する場所(父島東側や南側の切り立った場所など)ではサンゴ被度は低く、岩盤や岩斜面に小型塊状・被覆状群体が散在している程度である。被度は場所により異なるが10%前後であろう。出現種はPocillopora spp.、Acropora robusta、Goniopora spp.、Acanthastrea spp.、およびPlatygyra deadaleaCyphastrea microphthalmaなどのキクメイシ科が多い。
 一方、沖縄などで礁原や礁斜面に普通に見られる多様なミドリイシ類を中心とした群集構造は、小笠原諸島ではほとんど見られない。例外として、小笠原諸島最大の内湾である父島の二見湾奥には、樹枝状ミドリイシ群集がある。二見岩では構成種のほとんどがAcropora formosaであり、水深0〜30mまでゆるやかに広がる面積約6.5haの大規模な群集である。この群集には水深1.0mくらいまでの浅所にAcropora nobilis、A. pulchra、A. asperaが小規模に生息するが、これらのミドリイシ類は二見岩以外では確認できていない(つい最近母島の属島で樹枝状ミドリイシ群集が発見されたが、現状では種名などは未確認)。この群集と隣接する屏風谷にもAcropora formosaが水深3〜10mに存在し、それ3m以浅にはキクメイシ科などの塊状・被覆状小型群体からなる群集、以深にはEuphyllia ancoraのほぼ単一種が水深15m付近まで広がっている。二見湾内にある他の海岸では造礁サンゴ群集はあまり発達していない。
 
図2. 1998年における造礁サンゴ産卵日と潮汐の関係
矢印は各産卵日を、矢印の大きさは産卵規模を示す。5〜6月にかけての産卵は二見湾内のAcropora formosa(白い矢印)で、分割産卵している。大きな黒い矢印は、一斉産卵を示し、初日(8/14)に27種、翌日(8/15)に9種の産卵を確認した。グレーの矢印は屏風谷のみで確認したEuphyllia ancora他数種の産卵(稲葉1999より一部改変)。
 
 父島以外では、兄島滝之浦の切り立った岩壁からつづく水深10m付近に広がるPachyseris speciosaを中心とした群集が特徴的である。父島から南30kmに位置する母島の東港南側は近年リーフチェックの調査ポイントとなり、モニタリングが始まっている。ここではAcropora floridaが中心の、平均被度50%程度の美しいサンゴ群集が広がっている。
 
●産卵生態
 筆者は1997年より父島の宮之浜と二見湾奥において、夜間目視観察、飼育実験、あるいはスリックの観察により造礁サンゴの産卵調査を行っている。詳細については現在とりまとめ中であるが、ここでは小笠原諸島での産卵の特徴について概況を示す。
 これまでの調査によって、父島では年に2回、大規模な産卵があることが分かった。図2に一例として1998年の産卵パターンを示す。最初の産卵は5月下旬から6月上旬にかけての、二見岩と屏風谷のAcropora formosaの産卵である(図2上)。満月後、新月後を問わず小潮の前後に産卵し、小潮期ごとに数回産卵を行った。産卵規模は年により異なるが、1〜2日間は大規模な産卵があり、翌日大量のスリックが出現している。産卵時刻も年変動が見られるが20時前後であった。またこの群集内のA. nobilisなどもこの期間内に産卵を確認できた。この時期に他の海岸では産卵を確認できていない。
 もうひとつは8月中旬から下旬にかけての数日間に行われる一斉産卵である。1998年は8月14日と15日がこれにあたっていた(図2)。これまでに確認した産卵種は、宮之浜において約30種であった。産卵時刻は、日没前後からLobophyllia hemprichii, Symphyllia agaricia, Platygyra deadalea, Euphyllia ancoraなどから始まり、ついで19時ごろAcropora donei、Galaxea fascicularisなど、20時から22時迄の間にAcropora hyacinthus、A. florida、Echinophyllia aspera、Goniastrea pectinata、Cyphastrea serailiaなどが産卵した。この一斉産卵は、二見湾奥のAcropora formosa群集と同様に、小潮前後に同調して行われていた。Galaxea fascicularis、Lobophyllia hemprichii、Euphyllia ancoraは一斉産卵日の前後や、前後の小潮期に前産卵や産み残し産卵があった。一斉産卵日翌日のスリック発生状況から推察すると、父島のほとんどの海岸、兄島滝之浦、母島や、父島から北50kmに位置する聟島列島でも同時に産卵しているようである。聟島列島での確認は1998年8月の一例のみだが、母島では地元のダイビングショップの協力により情報が寄せられて、これまでの事例は1日前後する場合もあるが、ほぼ父島と同調していることが分かった。
 上記の産卵パターン傾向は多少の年変動があるものの、小笠原諸島の特徴と考えている。
 
●造礁サンゴ群集の現況
 小笠原諸島では近年の沖縄域と比較すると、造礁サンゴ群集への環境悪化の影響は今のところ小さいようである。定量的な観察ではないが、1996年から今日まで大規模な白化現象は見られていない。1997年に世界中で生じた白化事例の際には小笠原でも例年より高い海水温となったが、30℃を超える高温期が続く状況は見られなかった。これはリーフがなく外洋に面していること、深海からの湧昇流が存在すること、沿岸域に浅海部が少ないことなど、小笠原諸島の地理的・地形的条件によると思われる。
 最近の沖縄で大問題となっているオニヒトデ大量発生による造礁サンゴ群集の崩壊といった事例も小笠原諸島では生じておらず、近年オニヒトデの目撃例もない。オニヒトデの生息は父島で確認されてはいるが(倉田 1984)、最後の確認は1994年ごろである(立川私信)。サンゴ食貝類として知られる数種のレイシダマシ属Drupellaのうち、小笠原では4種(D. fragum, D. cornus, D. concatenata, D. eburnea)が生息するが(西村 1999)、大量発生による造礁サンゴ類の顕著な打撃は報告されていない。
 現在問題となるのは沿岸域への赤土流出と港湾工事の影響と考えられる。小笠原諸島は赤色土壌が表土のほとんどを占め、近年は道路工事、宅地造成といった開発工事、また野生化したノヤギによる植生破壊により、たびたび赤土流出が起こっている。この影響は内湾的環境を有する場所では非常に大きく、聟島列島媒島の袋港では2m以上も赤土が堆積していて以前生息していたサンゴ群集は壊滅に近い状況である(稲葉・堀越 2002)。また父島コペペ海岸では、赤土堆積により近年サンゴ群集の衰退化が目立つ。また母島東港北西部にはかつて素晴らしいサンゴ群集があったが(今島 1969)、現在は港湾工事により消滅したと考えられる。
 これまであまり注目されなかった小笠原諸島のサンゴ群集であるが、今後は生息状況モニタリングを継続していくとともに、日本のサンゴ礁域の一つとして生態学的知見を蓄積していくことは急務であると考えている。研究者各位の研究フィールドとして小笠原も視野に入れていただくことを期待したい。
 
●謝辞
 本稿だけでなく、小笠原での調査全般にわたりご指導・御助言いただいている千葉県立中央博物館海の博物館の立川浩之氏に、ここに深謝いたします。また母島の情報提供していただいているClub Noah母島のスタッフ一同に御礼申し上げる。
 
●参考文献
稲葉 慎 1999. 小笠原諸島における造礁サンゴ類の一斉産卵.日本サンゴ礁学会第一回大会要旨集、p.29.(口頭発表)
稲葉 慎・堀越和夫 2002. 媒島袋港海底環境モニタリング調査報告。東京都小笠原支庁編、平成13年度小笠原国立公園植生回復調査報告書、pp.81−92.
今島 実 1969. 小笠原諸島の海中生物.東京都 編、小笠原諸島自然景観調査報告書、pp.145−188.
環境省自然環境局・財団法人海中公園センター 1995. 第4回自然環境保全基礎調査海域生物環境調査報告書:第3巻サンゴ礁、262pp.
倉田洋二. 1984. 小笠原諸島のオニヒトデ。海中公園情報、61:7−9.
西村和久 1999. 伊豆・小笠原諸島海域における貝類分布。東京水試調査研究報告、211:1−124.
Yabe, H., T.Sugiyama and M. Eguchi 1936. Recent reef−building corals from Japan and the southsea islands under Japanese mandate l. Sci. Rep. Tohoku lmp. Univ. 2nd ser., spec. vol.1:1−66.
立川浩之 1994. 海洋島小笠原の自然概観.みどりいし、5:27−29.
立川浩之・菅沼弘行・佐藤文彦 1991. 父島列島・母島列島の造礁サンゴ類.東京都立大学編、第2次小笠原諸島自然環境現況調査報告書、pp.285−296.







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