(4)サバイバル
安全航海に心がけ、素直に自然との対話ができれば言うことはないが、いざというときの知識と技術を心得ておくことも大切です。
サバイバル(Survival)とは、生き残り助かること、すなわちあらゆる手段を用いて非常事態を切り抜け、生き抜こうとすることです。
横波に出会ったり、突風により艇のバランスが崩れ、転覆した場合には、ひっくり返った艇の中からできるだけ早く脱出しなければなりません。このとき、着用している救命胴衣(ライフジャケット)の浮力が妨げとなり、脱出が困難な事も考えられます。この時は、救命胴衣を脱いで手に持ち、まず体を海面に浮上させた後から再び着用します。カッターの艇体は、発泡ウレタンの注入によりそれ自体が沈むことはないので、最も大切な救命器具であるとも言えます。そこで、艇の周囲に張ってある浮き子(リューヘル)の付いたライフ・ラインを握ってください。ここで大切なことは、艇員全員が、カッターの周りから離れないこと、そして全員でお互いに励ましあい、必ず救助されることを確信する意志と心の余裕が必要となります。
○漂流時における人間の生理
海水中を漂うこととなった場合、体力を低下させ徐々に死亡へと導く要因には(1)寒冷と熱暑、(2)渇きと飢え、(3)ケガなどがあります。
それぞれの要因が、人間の生理に及ぼす影響について知識を得ることは、通常の場合は言うまでもなく、特に漂流時には心の余裕を得るために必要なことです。
(1)寒冷と熱暑
海上における最大の死亡原因の一つは、“寒さ(低体温)”です。
人間の体は、ホメオスタシス(homeostasis)と呼ばれる恒常性維持機能の働きにより生命の維持を図っています。体温の維持もこの機能の一つです。人の体温(体内温度)は37℃前後で、正常な場合は一日に約1℃の範囲で変化していますが、体温を一定に保つために(1)生体の全エネルギー発生量を一定に保つ、(2)外界との熱交換を調節することが行われています。
ところが、非常に寒い環境ではこれらの体温維持機能が低下し、体内温度が35℃以下になるとハイポサーミア(低体温:hypothermia)と呼ばれる症状が現れます。激しい震えとともに苦痛感が強くなり、感覚が麻ひして意識がもうろうとしてきます。図6.1は体温の変化と時間の経過による低体温の症状について示したものです。
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図6.1 低体温の症状
体内の熱が周囲に奪われ、体温の低下が速くなるのは、(1)体や衣服が濡れている場合、(2)風にさらされている場合、(3)効果的な防寒衣や厚着をしていない場合、(4)疲労している場合、(5)水中で不必要に動く場合です。
従ってカッターによる帆走練習を行う場合、事前に指導者を含めた団員の身体状況を調べることが大切です。また、救命胴衣の着用が、ただ単に浮力を向上させるばかりでなく、体温保持の意味も含めて必要であることが理解できます。
寒さとは逆に“暑さ”についても生命に危険を及ぼします。
〈うつ熱〉とこれに伴う〈脱水症状〉です。
うつ熱特有の兆候のうち最も顕著なものは、幻覚、錯覚、うわごとなどの神経症状です。めまい、渇き、頭痛、耳なりなどが【初期】に自覚されます。次の【興奮期】では、思考が混乱したり、頭痛がひどくなって吐き気を催したり、手足がしびれたりするようになります。【麻ひ期】になると急にぐったりし、半ば昏睡状態となってひどい呼吸困難をきたすことになります。
興奮期と麻ひ期を何度か繰り返す状態が続き、心臓が次第に衰弱し、ついには虚脱状態となります。この時までに冷水に入れて体温を下げれば回復することもありますが、放置すればけいれんにより死亡に至ってしまいます。
うつ熱は、次の場合に促進されます。(1)水分が不足している場合、(2)作業をする場合、(3)風通しの悪い衣服を着ている場合、(4)身体が疲労し、衰弱している場合、(5)アルコール飲料を飲んだ場合、(6)睡眠が不足している場合。
(2)渇きと飢え
高温の環境下でも、身体のホメオスタシスの機能が働きます。すなわち、皮膚温が上昇して水分の蒸発量が増加し、水分の気化熱により体温を低下させるような恒常性機能が作用し、体温を一定に維持しようと自動調節機能が働きます。
皮膚温35℃以上になると大量の汗が流れ出し、水分の供給が不十分な場合には渇きを訴えるようになります。水分の減少量が体重に占める割合と症状との関係は、次表のとおりです。温帯の普通の条件のもと、水分の補給もなく、完全に食糧を絶った場合には、危険な状態に達するには約一週間と言われています。
脱水症状は、次の場合に促進されます。
(1)水を飲まずに水分の少ない食糧(特にタンパク質含有量の多い食物)をとる場合、(2)下痢をした場合、(3)嘔吐した場合、(4)アルコール含有率の高い飲物をとる場合、(5)作業をする場合
『海水を飲用してはいけない』:ある調査によると、海水飲用者の死亡率は38.8%、海水を飲まなかった者の死亡率は3.3%と約10倍の差があることから、海水を飲んではいけません。海水を飲むと、海水に含まれる塩分を体外に排出するため、体内の水分が尿として同時に排出され、そのため結果的に脱水症状が促進されることになります。
“飢え”は、かつて海上における死亡原因の一つであると考えられていましたが、現在では昔ほど重要視されていません。前述のように、普通の環境下で、水と食糧を完全に絶った場合、生存期間は約一週間です。ところが、水さえ飲んでいれば普通6〜7週間の生存が可能であると言われています。
(3)ケガ・船酔い
程度にもよりますが、ケガをすると一般的に苦痛を伴いそして十分な手当をすることが困難なので、生存活動に支障をきたし不利なことが多いものです。特に大量出血や骨折などの大ケガでは、大きな苦痛と生命の危険をもたらすことになります。
海の病魔といえば“船酔い”をあげる人は多いと思います。その病名は動揺病(motion sickness)と言われています。体の平衡感覚を司る内耳の前庭迷路器官と呼ばれるところに作用する刺激が、船酔いの原因となることが知られていますが、船酔いは、生命の危険を考えた場合に直接の原因となることはありません。しかし、メンバーの意気を消沈させ、嘔吐を伴えば脱水症状と飢えを助長するため、結果的に生存期間を短縮させることになります。
そこで、船酔いの予防法をいくつか次に紹介しますが、百人百様であり、基本的には体調を良好に保つことが大切と言えるでしょう。
【船酔い予防法】 <資料―『ラメール』1990年11月号P.68〜77>
(1)酔い止め薬(トラベルミン、ドラマミン、ボナミン、バランス、etc)を、乗艇前に飲む。
(2)手首のツボを刺激する酔い止めバンドを使う。
(3)海に出れば船酔いは当り前と思い込む。船酔いを心配するのが良くない。
(4)新鮮な空気を胸一杯に吸い込む。
(5)体を温かく、ドライにする。
(6)チラーを握って操艇する。
(7)大きな声で歌をうたう。
(8)へそ梅:おへそに梅干しをあて、ベルトで押さえる。
(9)船酔いに慣れる。
(10)7%重曹水を静脈注射する。
(11)自分は船酔いしないんだと自分自身に言い聞かせる。
(12)遠くを見る。
救命胴衣は十分な浮力があり、適正な工作方法と材料で作られ、オレンジ色などの非常に見やすい色で、笛がひもで取り付けられ、再帰反射テープが貼付されている等の要件が規定されています。これらの要件に従って、固型浮体式あるいは膨脹気室式の救命胴衣が用意されています。
固型浮体式救命胴衣の着用は、(1)あらかじめ胴しめ紐を適切な長さに調整すること、そして(2)胴締め紐を身体の前で結び、末端を整理してファスナーを閉じること、等がポイントとして示されています。以前には、胴締め紐を股にかけて使用する方法が用いられたこともありましたが、今では胴回りだけにしっかり結ぶ方法が一般的です。また、従来の救命胴衣と比較して頭部の浮力を大きくし、頭部が必ず海面上に出るようになった新しいタイプのものも普及しています。
大人用ばかりではなく、小児用の救命胴衣もあり、練習する団員の体格に応じたものを備え付けるようにしてください。また、大型船には規定されていない“小型船舶用救命クッション”があり、救命浮環と併せて備付けを検討する必要があります。
救命胴衣を正しく着用して入水したときに、体の力を抜くと仰臥(仰向けの)姿勢となるように作られています。着用入水訓練時に、どのような救命胴衣の締め方および水中姿勢を取れば仰臥姿勢となるのか、体験することも大切でしょう。
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